第7話 そのお仕事、請け負います!【後編】


 玉玲は一度深呼吸してから扉の鋪首とってに手をかける。

 いったい誰なのだろう。自分をこんな場所まで呼びだしたのは。絶対にただ者ではない。

 少し緊張しながら扉を開け、室内に目を向けた瞬間。


「あなたは――!?」


 玉玲は思わず驚きの声をあげた。

 壮麗な部屋の奥、書類が積み重なった文机ふづくえの前に座っていたのだ。

 昼間この区域で会った、氷像のような美貌の青年が。

 切れ長の目に、青のようにも見える冷たい瞳。背中の長さの黒髪は束ねずにおろし、昼間より若干くつろいだ格好をしているが、間違いない。


「えーと、太監の方ですよね? 私に何の用が――」


 訊こうとするや、後ろにいた文英が口を挟む。


「太監ではございません。こちらにおわすお方は、馮幻耀ふうげんよう様。今上帝の第五皇子で、暘帝国の太子様であらせられます」


「太子様!?」


 またもや玉玲の口から吃驚の声が飛びだした。

 太子というのは、次期皇帝のことだっただろうか。混乱する頭を必死に整理する。


「あれ? でも後宮って、皇帝陛下と宦官以外の成人男性は立ち入り禁止だったんじゃ……」

「北後宮は例外だ。北の区域は代々太子が治めることになっている。まあ、ここの内情は皇族と一部の妃嬪以外には伏せられているからな。新米宮女では知りえないか」

「情報を規制しなければ、宮女たちが更に怖がりますからね。北後宮には実際あやかしがうじゃうじゃいるなんて話が広まれば、恐慌状態に陥りかねませんし。玉玲様も今日耳にすることは口外なさらないでください」


 幻耀の説明を文英が補足し、玉玲に口止めした。

 困惑しながらも、玉玲は「はあ」と返事をする。

 まさか、あの青年が太子様だったなんて。かなり生意気な口を叩いた気がするのだけれど。まさか、不敬罪に処すために呼びだしたのではないだろうな。


「それで、この国の太子様が私にどういったご用件で?」


 玉玲はいくぶん慇懃に口調を改め、内心ドキドキしながら質問する。

 幻耀は冷ややかな目つきで玉玲を見据え、おもむろに口を開いた。


「お前には俺の妃になってもらう。ここにいるあやかしたちを監視してもらいたい」


「…………はあっ!?」


 玉玲の裏返った声が、夜のしじまにこだまする。本日一番の大声だ。


 理解が追いついていない玉玲を尻目に、幻耀は説明を始めた。


「北後宮には今、俺たち以外の人間はいない。俺が太子になってまだ日が浅いからな。北後宮を治めるということは、あやかしたちを監督するということ。それがこの地を番人として治めてきた馮家の後嗣こうしに与えられた使命。悪さをする者がいれば厳しく処罰し、時に魂を冥府へ送る。あやかしを唯一滅することができるこの妖刀で」


 幻耀の手が後方の壁に飾ってあった刀へと伸びる。

 刀身がやや湾曲した柳葉刀ようりゅうとうだ。昼間も腰に佩いていた。


「だが俺は今、あやかしたちの管理以外にも大量の仕事と問題を抱えている。太子に冊立さくりつされたとはいえ、いまだに敵が多く、地位が安定しない。北後宮の全てには目が回らなくてな。だから、お前に一部の役割を担ってもらいたい。妃としてあやかしたちを監視し、問題があれば俺に伝える。それが主な役割だ。できるな?」


 唐突に問われ、玉玲はしどろもどろになってこぼす。


「えと、それは……」

「あやかしが悪さをしないように導くことができる、そう言ったな?」

「……言いました、けど。妃として、というのは……」


 異動ならまだしも、立場が飛躍しすぎて受けとめきれない。妃ということは、やらなければならない役割がいろいろとあるわけで。


「主上のご命令だ。南後宮の宮女は、言わば皇帝の所有物。許可もなく北へ異動させることはできない。父にお前のことを話し、北後宮で働かせたいと奏上したら、条件を出された。宮女ではなく妃として連れていくようにと」


 幻耀は不服そうに眉根を寄せて告げた。


「一介の宮女に北後宮の内情は明かせない。立場をおもんぱかってのことだろうが」

「いえ、それだけではないでしょう。主上は、十八になっても妃を得ようとしない殿下にしびれを切らされたのですよ。かねてより、お世継ぎの問題を憂慮されていましたし。ちょうどいいから玉玲様と子作りに励むようおおせられたではありませんか」


「こっ、子作りぃ!?」


 玉玲は思わず後ろへ飛びのき、幻耀との距離を取る。その役割までは考えていなかった。


「余計なことまで話すな、文英。俺は地位が安定するまで子をもうけるつもりはない。今は赤子の安全にまで気を配る余裕などないからな」


 幻耀はじろりと文英を睨み、玉玲に視線を戻す。


「手を出すつもりはないから心配するな。俺にはお前のような子供を愛でる趣味もない。他に何か問題はあるか?」


 ――子供って……。


 そういう認識をされているのは不本意だが、もっと重要な問題がある。


「あります。私には重い病を患った養父がいるんです。高額な薬代が必要で」


 玉玲は切々と窮状きゅうじょうを訴えた。


「お金で解決する問題なら簡単だ。俸給は宮女の三倍出そう」


「それは、すごくありがたいですけど……」

「何だ、まだ不満があるのか?」

「家族と約束したんです。三年たったら戻ってくる。そしたら、また一緒に旅を続けようって。妃になったら、簡単には後宮から出られないんでしょう? それは嫌だから」


 思い出すのは家を出る前、養父と交わした約束だ。愛する家族に別れを告げ、寂しさをこらえてここに来た。また一緒に旅する日を夢見て。その希望だけはついえさせたくない。

 とはいえ、皇族の命令は絶対だ。訴えたところで、命じられれば無駄か。

 そう考える玉玲だったが、幻耀は「三年か」とつぶやき、小さく頷いて、こう言った。


「いいだろう。父にも言われているからな。三年以内に次の皇后にふさわしい妃を見つけるようにと。それだけの期間があれば、俺の地位も今より安定し、問題もあらかた片づいているはずだ。三年たったらお前のことは、気に入らなかったとでも言って離縁してやる。それなら不満はあるまい」


 まさか、こちらの事情を考慮してもらえるとは思わず、玉玲は目を丸くする。


「つまり、三年以内に太子様は次の皇后にふさわしい妃を見つけ、地位を安定させる。私はそれまでのつなぎで、期間限定の契約妃ということでよろしいですか?」

「ああ。期間を設けた方が目的意識もあがるだろう。どうだ?」


 どうだもこうだもない。玉玲にとっては、これ以上にない申し出だ。

 俸給は三倍。年季はもとの通り三年。仕事自体もやりがいがありそうだ。

 太子は思っていたより話のわかる人間のようだが、あやかしへの対応には不安があった。

 申し出を受ければ、理不尽な決まり事からあやかしたちを守れるかもしれない。


「わかりました。そのお仕事、請け負います!」


 玉玲は何の迷いもなく受諾した。

 すると、幻耀はふところへ手を伸ばし、


「では、これをやろう」


 そう言って、黒漆塗りのさやに包まれた短刀を、玉玲の方へと差しだす。


「これは?」

「あやかしを滅することができる妖刀だ。女性でも扱えるよう短刀にしてある」


 目を見開く玉玲に、幻耀は淡々と説明した。


「北後宮には結界が施されていて、あやかしたちが塀の外に出ることはない。区域のいたる所に、やつらの力を封じる呪符が貼られているから、大きな危険もないはずだ。だが、やつらは気まぐれで、いつ何をしてくるかわからない。念のための護身用だ。持っているだけで、あやかしたちがおびえて近づいてこない。身につけておけ」

「必要ありません」


 玉玲はきっぱりと断った。


「私はあやかしたちと友達になりたいんです。何でも気軽に相談してもらえるような存在に。だから、あやかしたちをおびえさせるような刀なんていりません!」


 冷ややかさを増していく幻耀の空気にひるむことなく言い放つ。養父に、楽しく仕事をすると約束した。刀なんてあったら、自分もあやかしたちも笑顔では暮らせない。


「お前はあやかしのことをまるでわかっていない。やつらは簡単に人を傷つけるぞ。油断すれば、すぐに牙を剥く。ずる賢くて危険な存在なんだ」

「そんなことはありません! 彼らは人と同じです。真心を込めて接すれば、心を許して応えてくれる。私は私のやり方であやかしたちを導きます。絶対に悪いことはさせません!」


 譲れない思いを胸に宣言すると、幻耀は玉玲に冷めた目を向けて警告した。


「命を落とすことになっても知らんぞ」

「心配しないでください。私、これでもかなりたくましいんです」


 脅すような言葉を受けても、玉玲は一歩も引かず、笑みさえ浮かべて主張する。


 幻耀は、話にならないとばかりに軽く首を振り、溜息をついて言った。


「議論を続けても無駄のようだ。文英、彼女を部屋に連れていけ」


 文英は即座に「御意」と応え、玉玲を部屋の外へと促す。


「さあ、まいりましょう。ご案内いたします」



 希望は叶ったものの、玉玲の胸は晴れない。あやかしを敵視する幻耀の態度が気になった。彼は心を閉ざしてしまっている。あやかしにも、人に対しても。

 おそらく、理由を問いただしても、答えてはくれないだろう。

 どうしても知りたいと思った。幻耀にも笑顔で過ごしてほしいから。

 相手のことを理解しなければ、心は開けない。

 気持ちを切り替え、文英の後についていく。彼なら知っているのではないかと思ったのだ。いつでも玉玲は直感に頼って生きてきた。


 部屋から少し離れたところで、さっそく文英に質問する。


「文英さん、どうして太子様はあやかしをあんなに悪く思っているんです?」


 穏やかだった文英の周りの空気が、やにわにぴりりと張りつめた。


 しばらく黙りこんでいた文英だったが、神妙な面もちで口を開く。


「このことは絶対に口外なさらないでくださいね。特に殿下には」


 玉玲は不穏な空気を感じながら頷いた。


「殿下はお母上を殺されたのです。信頼していたあやかしに」


「……え?」


 虚脱した声をもらす玉玲に、文英は暗い目をして忠告する。


「あなたが会われてきたのは、善良なあやかしばかりだったのでしょう。ですが、世の中には危険なあやかしがいるということも覚えておかれた方がよろしいかもしれません」


 文英の口からもたらされたのは、予想以上に深い闇だった。

 玉玲は言葉も返せずに立ちどまる。


 どうすれば幻耀を笑顔にできるのだろう。彼がまとう闇を払えるのか。

 さすがに玉玲の直感も働かなかった。

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