第32話 太子様の笑顔【後編】
幻耀はしっかり目を開けていた。
そして、真剣な表情で玉玲を見つめ、おもむろに口を開く。
「玉玲、お前はなぜまっすぐなままでいられる? 己の境遇を恨めしいと思ったことはないのか?」
「……恨めしい?」
唐突な質問に玉玲は、何のことかと首を傾げた。
「どうしてです? もしかして、私が捨て子だからですか?」
「もちろんそれもあるが……。お前は養父の薬代を稼ぐためにやって来たのだろう? 牢獄のような後宮に。宮女は妃嬪たちの奴隷に等しい。理不尽な思いをしたこともあったはずだ。自分を捨てた親や横暴な主人を恨んだことはないのか?」
「ないですね」
今度はすぱっと切るような即答だった。
「だって今、十分に幸せですから。親が
「……俺に、会えたことも……?」
自分まで含まれると思わなかったのか、幻耀が意外そうに眉をゆがめてこぼす。
「もちろん、私にとって幸せなことでしたよ」
玉玲はにっこり笑って答えた。
「うれしいなと感じたら、どんなにささいなことでも大げさなくらいに喜んだ方が明るい気持ちになれるじゃないですか。何でも悪い方にばかり考えていたら楽しくないですよ。私、ここでの生活を楽しむって師父と約束したんです。周囲の人やあやかしたちが笑っていてくれたらもっと楽しい。だから、太子様にも笑顔になってほしくて」
養父との約束は、今では幸せに生きるための信条だ。あやかしたちに料理をふるまったり、事件について調べているのも半分は自分のためだと言える。幻耀が笑ってくれたら、もっと幸せな気持ちになれるだろう。
「お前は、俺が何者であっても、お前を悲しませるようなことをしたとしても、同じことが言えるのか?」
瞠目したまま尋ねてきた幻耀に、玉玲は「はい」と断言してみせる。
「太子様はわけもなく誰かを悲しませるようなことはしない、そう信じてますから。まずは、その行動の理由を探ります。信じて動いた方が、恨んだり疑ったりすることより幸せだと思うから」
玉玲にとって幻耀は恩人であり、信頼できる雇い主だ。人を見る目はある方だと自負している。一度信じた人のことは、とことん信じ抜きたい。たとえ彼が嘘をつき、過去に何をしていたとしても。
微笑を浮かべながら見つめていると、幻耀はかすかに瞳を揺らしてつぶやいた。
「お前はなぜ負の感情にとらわれない。どうしてそれほどまで前向きでいられるのだ」
幻耀の瞼が悔いるように伏せられていく。
「玉玲、俺は――」
彼が意を決した様子で何かを言いかけた時だった。
「お待たせ~! って、ちょっと、何やってんの!?」
頭上から響いた声にハッとして、玉玲は顔をあげる。
幻耀もすぐに体を起こし、空を見あげた。
「ひどいわよ! あたしたちが必死に偵察してる間に、イチャついてるなんて!」
玉玲は目を
「その声は、漣霞さん!?」
驚きのまなこで問いかけると、着地した漣霞は
「そうよ。人間の姿じゃ、塀を飛び越えられなかったからね」
そういえばそうだと、玉玲は塀に視線を移す。
「じゃあ、莉莉は……?」
「おう、今戻ったぜ!」
問いかけるやいなや、塀の上に二股しっぽの猫怪が姿を現した。
「えっ!? どうして? 塀にのぼるための土台もないのに」
「いや、肩車とかしてもらわなくても、おいらの身体能力ならどうにかなるし」
「あたしは動物なら何にでも化けられるからね」
――だったら、初めから自分でのぼっとけよ。
玉玲は脱力する。ひたすら重みに耐えたあの苦労は、いったい何だったのか。
これには幻耀も渋い表情だ。彼もたぶんそのせいで倒れたのだからな。
まあ、今はとやかく文句を言っても仕方がない。
「それで、どうだった? 内部の様子は?」
苛立ちを胸に押しこめ、邸の状況を訊く。
「怪しいにおいがぷんぷんだったぜ。あれは完全に黒だな」
「黒って?」
尋ねた玉玲に、今度は漣霞が答えた。
「北の
なるほど、それは明らかに黒だ。尋常じゃない。
「正房にとらわれている人というのは?」
「窓からのぞいた感じ、若い女と、老人が二人だったな。そんな状況だからか、かなり暗い顔をしてたぜ。扉を開ければばれるから、とりあえず報告に戻ってきたんだ」
話を終えた漣霞と莉莉は、うかがうように玉玲と幻耀の顔を見る。
玉玲は腕を組み、少しの間考えこんだ。
とらわれている人間というのが、謎を解明するための鍵となるだろう。話を直接聞ければいいが、気づかれないように、となれば難しい。玉玲と幻耀には不可能だ。
だが、莉莉と漣霞は普通の人とは会話ができないから、それ以上の情報を得られない。
「どうしましょう、太子様?」
意見を求めると、幻耀はふところから薬紙に包まれた何かを取りだした。
「これを使うしかないようだな」
玉玲は目をしばたたき、「何ですか?」と薬紙の中身を訊く。
「念のために持ってきた。強力な眠り薬だ。漣霞、莉莉、これを見張りの人間たちに飲ませられるか?」
漣霞と莉莉は、思い出すような間を挟んで答えた。
「ちょうど
「やつら頻繁に水を飲んでたしな。水が入った桶にも振りかけりゃあ、いちころだぜ!」
自信をみなぎらせる彼らに、幻耀は薬包を差しだしながら告げる。
「では、頼む」
「まかせろ!」「おまかせください!」
薬包を受け取った莉莉と漣霞は同時に答え、再び邸へと向かっていった。
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