第31話 太子様の笑顔【前編】


 よう帝国の北寄りに位置する城郭都市・烏洲。京師から馬で八刻(四時間)ほどの場所にあり、交通の便もいいため、貴族たちの別邸が多く並ぶ閑静な町だ。


 玉玲たちが烏洲までたどりついた頃には、中天から日が下り始めていた。

 文英が指定していたのは、西の外れにある邸。一軒だけ他とは区画を隔てた大きな邸があった。高い塀で囲われた、なかなか立派な四合院しごういんだ。

 唯一の出入り口である南東の大門もんには、見張りが置かれている。いくらあやかしとはいえ、気づかれずに大門を通ることはできない。門扉もんぴを開ければさすがに怪しまれる。


 というわけで、玉玲たちは人気ひとけのない北西の塀へと向かった。誰にも見つからないように莉莉と漣霞を塀から内部に潜入させ、まずは偵察してもらおうという算段だ。

 塀の高さは成人男性二人ぶん以上の身長はある。だから、なるのは仕方ない。

 玉玲が土台となって莉莉たちを塀の上に導くのは。

 でも――。


「あのー、どうして一番軽い私が一番下なんですかね?」


 玉玲は四つん這いになりながら不満の声をもらした。

 背中の上には幻耀が立ち、漣霞を肩車している。更に漣霞は莉莉を肩車しているものだから、めちゃくちゃ重い。


「お前が肩車役になれば、こいつらが塀の上まで届かないだろう。我慢しろ」


 幻耀が不機嫌そうに顔をしかめて告げた。

 確かに、子供並に身長が低い玉玲と長身の幻耀とでは、頭二つぶん近く高さに違いがある。

 しかし、届かない塀の前で男装した少女が青年を背中に乗せている姿というのは、はたから見たら滑稽こっけいだ。二人組の変態にしか見えない。

 ひたすら耐えていると、今度は漣霞が声をかけてきた。


「あたしの体重なんてちりのようなもんでしょ。協力してやるんだから文句を言うんじゃないわよ」


 ――いや、めっちゃ重いんですけど。背骨が折れる。


 早くのぼってくれと念じていたところで、ようやく背中から少し重みが引いた。


「よし、のった! おいら、やっぱり獣の姿に戻るわ。こっちの方が動きやすいから」


 莉莉の言葉を聞いて、玉玲は切実に思う。


 ――だったら初めから獣の姿でいろ。

 莉莉もなぜかめっちゃ重かったぞ?


 そんなことを考えている間に、一番重かった漣霞が塀にのぼった。

 無事背骨を守り通すことができて、玉玲の口から安堵あんどの吐息がもれる。


「じゃあ、行ってくるわね。あたしたちなら人にはえないし、声も聞こえないから、まさに偵察にはうってつけよね」

「まかせとけよ。ちゃちゃーっと中の様子を見てくるから。すぐに戻ってくるぜ。帰ったら何か褒美でもくれよな」


 立ちあがった玉玲と幻耀に、漣霞と莉莉が塀の上から言った。


「いいだろう。全てがうまくいったらな」


 幻耀の意外な返事を聞いて、漣霞と莉莉の顔がパッとほころぶ。


「きゃあ~。何がいいかしら。やっぱり新作の衣裳いしょうと化粧品かなぁ。披帛とくつも新調して、それからそれからぁ~」

「おいら、きらきらの石! ひらひらの布! ふわふわの寝床! あと――」

「さっさと行け」


 欲張りなあやかしたちを、幻耀が冷ややかにたしなめた。


 漣霞と莉莉は、やる気満々の様子で塀から飛び降りる。


 玉玲はまだ痛む背中をさすりながら、彼らを見送った。


「お前もいいぞ。褒美を望んでも。何か欲しいものはあるか?」


 怪しまれないよう近くの木陰に移動したところで、幻耀がいてくる。

 その心遣いをうれしく思いつつ、玉玲は小さくかぶりを振って返した。


「私はいいです。俸給は十分にもらってますし。真相さえ暴ければ」


 自分が動いているのは幻耀のためというより、真実を知りたかったから。文英の力になりたいと思ったからだ。もちろん、真相を暴くことは幻耀のためにもなると信じている。

 この事件を解決できれば、きっと文英も幻耀も――。


「あっ、すみません。やっぱり一つ言ってもいいですか?」


 ある希望が思い浮かんだ玉玲は、遠慮がちに確認する。


「何だ?」


「太子様の笑顔です」


 微笑みながら答えると、幻耀は意外そうに目をしばたたいた。


「そんなことを望むとは、お前は変わった女だな」


 幻耀の口角がほんの少しだけ上に持ちあがる。

 そのわずかな変化を玉玲は見逃さなかった。


「今度こそ笑いましたね?」


 即座に指摘するが、幻耀はまた無表情に戻って首を横に振る。


「笑ってない」

「どうして否定するんですか? あなたの笑顔は絶対に素敵です!」


 玉玲は真剣な表情で断言した。


 今の言葉に感じるところがあったのか、幻耀の目が見たこともないほど丸くなる。


 玉玲はそれ以上踏みこもうとはせず、黙って彼の顔を見つめた。

 知りたかったことをここで全部訊いてしまいたい。でも、彼が自分から話してくれるのを待ちたいという気持ちもある。

 葛藤していたその時――。


「太子様!?」


 突然、幻耀が玉玲の体に抱きついてきた。

 いや、違う。倒れこんできたのだ。


「太子様、大丈夫ですか!?」


 玉玲はすぐ幻耀の異変に気づき、彼の体を支えながら問いかける。


「心配するな。少しめまいがしただけだ」


 幻耀は弱々しい声音で答えた。


 倒れるのも当然かもしれない。昨日は一時危ない状態だったのだから。ずっと平気そうにしていたので忘れかけていたが、やはり無理をしていたのだ。

 しかしここで、作戦は中断しましょうと言って、帰るわけにもいかない。おそらく、幻耀は聞き入れないだろう。

 ならば、今できることは一つだけ。


 玉玲は幻耀の体をゆっくり地面に寝かせ、自分の膝の上に彼の頭をのせた。いわゆる膝枕というやつだ。恥ずかしさはあるが、何より彼に少しでも休んでもらいたい。


「……玉玲?」


 幻耀が若干驚いた表情で見あげてくる。


「今のうちに休んでいてください。せめて、ふたりが戻るまでは」


 束の間でもいい、彼に休息を。それが幻耀にとって、安らげる時間であればいい。

 玉玲は何も訊くのをやめ、ただ彼に休む時間を与えた。


 穏やかさをはらんだ晩冬の風が、木々の間を吹き抜けていく。

 今日は日差しが強くて暖かい。木陰にいれば気持ちいいくらいだ。

 初めは落ちつかない様子だった幻耀も、気候のよさに気分がやわらいだのか、玉玲の膝におとなしく頭を預けている。


 それは、玉玲にとっても安らぎの時だった。

 幻耀があまりにもおとなしいものだから、寝ているのではないかと思い、視線を落としてみる。

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