第四章 事件解決のご褒美に

第30話 あやかし後宮調査隊


 

 京師みやこを囲う外壁が徐々に遠ざかっていく。

 外門を抜けると、景色は一変し、建造物などいっさいない平原が広がっていた。

 空は東から太陽を昇らせるばかりで、雲一つまとっていない。

 日の光を一身に浴び、二頭の馬が砂塵さじんをあげて駆けていく。


「割と簡単に出られましたね」


 玉玲ぎょくれい手綱たづなをさばきながら、隣で馬を走らせる幻耀げんように話しかけた。雑伎団では、馬戯ばぎもやっていたため、馬術はお手の物だ。


「俺は任務で頻繁に城の外へ出ているからな。何の問題もない」


 幻耀は前方に視線を向けたまま、淡々と返す。


 皇族だけが検問もなく通れる門まで行けば、あとは楽だった。

 北後宮には、南後宮を通ることなく外朝に出られる門が東にある。莉莉りり漣霞れんかはその東門から、一時的に呪符をがして通らせ、玉玲は幻耀の従者を装って普通に門を出た。

 そういうわけで、玉玲はいまだに従者の格好をしている。


「あんた、その姿すごく様になってるわよ」


 これまでの経緯を思い返していると、幻耀の馬に同乗していた漣霞が声をかけてきた。


「やめてよ。自分でもしっくりしすぎて、悲しくなってるんだから」


 玉玲は己の格好を眺めて溜息ためいきをつく。身にまとっているのは、丸襟まるえりの茶色い長袍ちょうほうだ。髪は頭上で一つに束ね、こげ茶の紗帽しゃぼうを被っている。従者というのは小太監しょうたいかんのこと。いわゆる少年宦官だ。胸もないため、あまりにも格好がなじみすぎて、城で警備の兵に出くわしてもいっさい疑われなかった。

 いちおう十七歳の乙女だぞ。


「似合うならいいだろ。玉玲は何を着てもかわいいし。『猫に金錠こばん』だぜ」


 なぐさめようとしたのか、玉玲の後ろに乗っていた莉莉がそう言ってくれる。

 いつもよりも素直で、ほめようとしてくれた気持ちはうれしいが、言葉の使い方がおかしい。

 『猫に金錠』は『豚に真珠』と同じで、価値のわからないやつに貴重なものを与えても無駄、って意味だぞ。

 まあ、かわいいって言ってくれたから許す。


「莉莉もその姿、かわいいよ。すごく莉莉らしくて素敵」


 玉玲は馬を操りながら、後方に目を向けた。

 そこにいるのは、いつもの猫怪びょうかいではない。黒い短袍たんぽうに、膝下丈のズボンを身につけた小柄な少年だ。見た目の年齢は十代前半で、身長は玉玲と同じくらい。玉玲があげた披帛ひはくを首に巻き、肩の長さの黒髪を無造作にくくっている。目は金色で、獣の時のままだ。


「莉莉も変化できたんだね」


 城を出て、いきなり変化した時には驚いた。


「当然だろ! おいらは強力なあやかしだぞ。力を封じられてたせいで、獣の姿になってたけどな。呪符さえなけりゃあ、人間に変化するなんて朝飯前だぜ!」


 莉莉は「ふふん」と得意げに鼻を鳴らす。とはいえ、二股のしっぽと猫耳はしっかりついたままだ。中途半端なのが逆にかわいい。


「太子様は一見いつも通りですけど、本当に大丈夫ですか? お顔の色がまだ優れません」


 玉玲は隣を駆ける幻耀に視線を戻して尋ねた。

 彼の服装は濃紺の長袍に白い褲。腰には普段通り、妖刀をいている。髪は一つに束ね、いつもより少し動きやすそうな格好だ。

 気になるのは顔色の悪さ。容姿の秀麗さは相変わらずだが、白皙はくせきの肌に青白さが加わっている。

 具合が悪いのも当然の話。まだ意識を取り戻してから、半日もたっていないのだから。


「大丈夫だと言っているだろう。早いうちに真相を突きとめなければな。文英ぶんえいの裏にいる黒幕に気づかれかねない。密やかかつ迅速に行動する必要がある」


 不安な面もちで見つめる玉玲に、幻耀は前を見ながら答えた。

 その言葉には、玉玲も納得せざるをえない。

 文英は今、北後宮の一室に、雪珠せつじゅは念のため檻房かんぼうに閉じこめている。野放しにすれば何をするかわからないという心配もあったが、黒幕から彼らを守るためでもあった。


 黒幕に感づかれる前に突きとめなければならない。文英がいまだに隠している真相を。

 烏洲うしゅうに行けば、きっと全貌が見えてくるだろう。

 幻耀の体調は心配だが、ここまできたら突き進むしかない。


「太子様、城を出る前に調べてくれたんですよね? 烏洲の西の外れにある邸のことを」


 これから向かう場所についてきちんと把握すべく、玉玲は質問した。


「いちおうな。富豪が所有する別邸べっそうの一つだった。書面だけでは特に怪しい点もない」

「でも、文英さんがあんなふうに言ったということは、何かがあるってことですよね?」

「ああ。彼は何を考えているかわからないところはあるが、無意味なことは言わない」


 文英の性格についてよく理解しているようだ。


「太子様は文英さんといつからつき合いがあるんですか?」


 ふと気になって向けた問いに、幻耀は少し遠い目をして答える。


「俺が五つの時、文英が小太監として北後宮に入った。彼は十三だったか。実家が貧しく、家計を助けるために浄身じょうしんしたと聞いたが」


「……そんなに若い時から」


 浄身というのは、去勢したということだ。まだ十三歳の少年が。

 文英の境遇を思い、玉玲は胸を詰まらせる。


「彼はどんな時でも笑顔を絶やさない、穏やかな人間だった。嫌な顔一つせず、俺の身の回りの世話をし、兄のように相談に乗ってくれたこともある。俺の母親が殺された時も、優しく寄り添ってくれていたのだがな。俺を恨んでいたとは」

「それは、何かを隠そうとして言った虚言ですよ。きっと裏に大きな理由があるんです」


 幻耀がこぼした言葉を、玉玲は直ちに否定し、漣霞も賛同して言った。


「そうですわ。あたしも昔から彼のことは目にしてましたけど、幻耀様への態度に偽りがあるようには見えませんでした」

「私もそう思います」


 文英に初めて会った時、こんなに穏やかな空気をまとった人間が後宮にいるのかと驚いた。その頃はおそらく、憂いもなく幻耀に仕えていたはずだ。

 彼の空気が変わったと明確に感じたのは、宴にのぞむ前。すでに命じられていたのだろう。幻耀を殺すようにと。それまでの彼の行動や思いに偽りがあったとは思えない。


「だから今から真相を探りにいくんだろ? まかせとけ。おいらが真実を暴いてやる!」


 暗い空気が漂いかけていたところで、打ち払うように莉莉が宣言した。


「あらあら、また探偵気取り? かわいい名探偵さんね」

「うるせえ! おいらはかっこよくって賢い猫怪だぞ? 太子の命を狙った樹妖じゅようだって、おいらが暴いたようなものなんだからな。なめんなっ、怪力ぎつね!」

「何ですってぇ~!」


 言い返した莉莉に、漣霞が牙と怒りをきだしにする。


「まあまあ、漣霞さん。莉莉もあんまり暴れないで」


 玉玲はとっさに漣霞をなだめ、馬上で立ちあがろうとする莉莉をたしなめた。

 前方に目を戻そうとしたその時。


「あれ? 太子様、今少し笑ってませんでした?」


 幻耀の口もとが若干ゆるんでいたように思えて、質問する。


「笑ってない」


 幻耀はすぐ硬い表情に戻って答えた。


「微笑んだように見えたんですけど」

「微笑んでない。無駄話はやめて急ぐぞ」


 突然速度をあげた幻耀の馬に、玉玲は必死についていく。

 かたくなに否定されたが、彼は莉莉たちのやり取りを見て、微笑わらったように思えてならなかった。

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