第34話 黒幕の正体【前編】


 地平線の彼方に、炎のような色をした夕日が吸いこまれていく。

 玉玲たちが京師の外門をくぐったのは、鼓楼ころうの太鼓が響く閉門ギリギリの時刻だった。


 城を出た時と同じ経路をたどり、北後宮へと戻っていく。文英のもとへ。


 乾天宮けんてんきゅうの一室を訪ねると、文英は窓辺に置かれた椅子に座り、暗い外を眺めていた。


「文英さん」


 近づきながら呼びかけたところで、彼はようやく玉玲たちに気づく。


「玉玲様、殿下」


 立ちあがり、拱手きょうしゅの礼を取る文英に、玉玲はさっそく報告した。


「烏洲まで行ってきました。ご家族に会いましたよ。もちろん、誰にも気づかれずに」


 一緒に部屋へ入ってきた幻耀も、無表情で彼に声をかける。


「話は聞いた。お前は任親王の末裔なのだそうだな?」


 問いかけられた文英は、直ちにひざまずいて慈悲を乞うた。


「殿下、どうかお情けを。私は殺されても文句はありません。それだけのことをしました。ですが、家族だけは――」

「ご家族は逃がしましたよ。安全な場所まで」


 叩頭こうとうする文英を押しとどめるように、玉玲は告げる。


「俺があやかし討伐で各地を巡る際、拠点にしている邸だ。城の者には知られていない。そう簡単に居場所を突きとめられることはないだろう」

「もう何の心配もありませんよ。あなたの素性は聞かなかったことにします。だから、安心して全部話してください」


 もう文英を縛るものは何もない。家族のことは幻耀が全て解決してくれた。

 家族から話を聞いた後、すぐに幻耀は彼らを西の町まで避難させたのだ。見張りは全て正房に閉じこめてあるので、しばらくは黒幕に気づかれる心配もない。その前に黒幕に対し、手を打つ必要がある。

 文英から話を聞き、全ての謎を解き明かす必要が。


「……そこまでしてくださったのですか? 私はあなたを殺そうとしたのに。お母上さえ手にかけようとしたのに」


 震える声音でつぶやくや、文英は床に頭をこすりつけて謝罪した。


「申し訳ございません! 私は林淑妃りんしゅくひを殺害しようとしました。雪艶せつえんは私のためにお母上を手にかけたのです!」


 玉玲と幻耀は、稲妻を浴びたように目を見開く。


 衝撃が大きすぎて、すぐに言葉の意味が頭に入ってこなかった。


 幻耀ばかりでなく、彼の母親まで……?


 放心する二人に、文英は「全てお話しします」と言って、少しだけ面をあげた。


「八年前、私は、ある方に林淑妃を密かに殺すよう命じられました。できなければ手始めに母を殺すと脅されて。私は悩み苦しみました。ですが、結局実行しようと決めたのです。罪が発覚したとしても、ある方の名前さえ出さなければ家族の命は保証してもらえる。そう聞いて。淑妃様を殺して、素直に捕まり死ぬつもりでした。ですが、私が実行する前に淑妃様は殺害されました。雪艶の手によって」


 苦悩に満ちていた文英の顔に、悲しみの色が広がっていく。


「私が死ぬ覚悟でいたことを読み取ったのでしょう。それを止めるために、彼女は自ら淑妃様を手にかけた。自分であれば誰にも気づかれることなく淑妃様を殺せると考えたのかもしれません。ですが、その犯行現場は見られていた。幻耀様、あなたに」


 決して恨むようではなく、文英はただ悲しそうに幻耀の顔を見つめた。


「彼女が何の抵抗もなく捕まったのは、私に嫌疑が及ばないようにするためです。そして、偽りの証言をした。ただ憎らしかったから殺したのだと。そんなはずはありません。彼女は淑妃様を慕っていた。まるで友のように。殿下のことも弟のようにかわいがっていました。これは本当です。彼女は決して淑妃様が憎くて殺したわけではありません。全て私や家族を守るためにやったのです」


 切々と訴える文英を瞠目して眺めていた幻耀が、少しずつまぶたを落として尋ねる。


「そのために黒幕は、お前を宦官として北後宮へ入れたのか?」


 彼が「そのため」と言葉を濁した理由が、玉玲にはわかる気がした。

 幻耀と彼の母親を殺すため。つまりは北後宮で意のままに操れる刺客とするため。

 文英は肯定するように頷き、黒幕の目的について補足する。


「今思えばそうだったのかもしれません。あの方はあやかしが視える従順なしもべを欲していたのでしょう。地位を得るために。北後宮に置いておけばいつか役に立つと踏んで」


 玉玲は唇をかみしめた。

 横暴な黒幕に憤りを覚えつつ、文英に真剣な表情で確認する。


「それで、あなたに命じたわけですね? 宴に乗じて太子様を暗殺するようにと」

「さようです。ですが、暗殺は未遂に終わった。あの方も内心相当あせったことでしょう。殿下が護符について調べ始めた時は、大変気をんでおられました。あの方が護符の作成を依頼したのは、近郊の町にいる道士でしたから。調べられればすぐに暴かれる。もし突きとめられそうになった時は、私に罪を被るよう命じられました。もちろん、自分の情報はいっさい伝えずに、死ねと。そうすればこれまでの働きにむくい、家族は逃がしてやると言って」


 文英は自嘲のような笑みを浮かべ、話を続けた。


「私には自決も、あの方の暗殺を謀ることもできませんでした。もし成功しても、彼女の手先が家族を城に突き出す。死罪を宣告された者が逃亡し捕まった場合、凌遅刑りょうちけい、最も無惨な死に方をしなければならない。とても家族を見殺しにはできなかった。だから、私は最後の命令に喜んで応じました。家族が助かるうえに、敬愛する殿下をこの手にかけることなく死ねるのですから。ようやく解放されると思ったのです。これで雪艶に会えると」


 瞼を伏せて沈黙する文英に、幻耀が静かな怒りを瞳に宿して問う。


「もういいだろう。誰だ? 言え。黒幕の正体を」

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