第10話 契約妃の役割【後編】
決意を固めていたところで、漣霞が歩きながら説明を始めた。
「北側の建造物には、
「ええ~!? まさか、それで案内おしまい? まだ少ししか歩いてないじゃん!」
どこかへ行こうとした漣霞に、玉玲は驚きと不満の声をあげる。
「何よ、文句ある? ちゃんと案内したじゃない。あたしは忙しいって言ったでしょ。これでも、親切に説明してやった方だわ。後宮を見て回りたいなら勝手に行ってよね」
「そんなぁ」
確かに、昨日のことを思えばだいぶ親切だったが、やっつけ仕事もいいところである。
「どうかしましたか?」
途方に暮れていると、南の方角から気遣わしげな声が響いた。
文英が掃除道具を手に、ゆっくりこちらへ歩いてくる。
「余計なこと言ったら、ただじゃおかないわよ!」
漣霞が鬼の形相で
漣霞とは仲よくやっていきたいし、もちろん告げ口するつもりはない。
「漣霞さんに北後宮を案内してもらってたんですけど」
玉玲は文英に差し
しかし、案内や身の回りのことはどうしよう。文英に頼めば、漣霞がちゃんと仕事をしていないとチクることになるし。文英にだってたくさん仕事があるだろう。北後宮の清掃や雑事を処理しているのは彼一人なのだから。
昨日から何も食べていなくて腹も減ってきたし、ああ、困った。
ぐぐぅ。
盛大な腹の音を聞いた文英は、ハッとした様子で玉玲に謝罪した。
「申し訳ありません。玉玲様にはあやかしの世話係をつけたと殿下からうかがいましたが、あやかしに料理まではできませんよね。すっかり失念しておりました。こちらでは食事を用意する必要もありませんでしたので」
「……え? じゃあ、太子様はお食事をどうされているんですか?」
「殿下は日に一度、巡回のため従者たちと城の外へ出るのですが、その際に適当な場所で食事を取られます。それが一番毒を盛られる可能性が低いからだそうで。実は以前、後宮で毒を盛られたことがありまして。もちろん毒味役はいたのですが。それ以来、後宮で用意したものには手をつけられることはなく」
文英の
「殿下は誰のことも信じられないのです。そのため、他の
寂しそうに話す文英を見て、玉玲の胸に鈍い痛みが走った。
だからだったのか。北後宮には幻耀一人しか皇族が住んでいないとはいえ、側仕えが文英だけだなんて、少なすぎると思っていた。彼が心を閉ざし、警戒心を剥きだしにしている理由がそんな過去にあったとは。あやかしに母親を殺され、自身は人間に殺されかけ、誰も信じられないなんて、悲しすぎる。
玉玲が顔を曇らせていることに気づき、文英は再び頭を下げた。
「申し訳ありません。余計な話まで聞かせてしまいました。ただいまお食事をご用意いたしますね。南後宮の
「いえ、私一人のためにそこまでしなくていいですよ。たぶんみんな怖がって、この区域には来たくないと思いますし。食材さえ用意してもらえれば自分で作ります。
「ええ、ございますが。玉玲様はご自分でお料理を?」
「はい。私、旅の雑伎団にいたんですけど、料理は当番制だったから、たいていのものは作れます。一人で何でもできるようにって
料理に裁縫に狩猟、植物や薬草の採取まで。どんな場所でも生きていける自信がある。
「それはすばらしいですね。きっとお仲間も素敵な方々だったのでしょう」
文英の温かい言葉とまなざしを受け、玉玲の口もとに笑みが戻った。自分より家族をほめてもらえたことがうれしい。
「では、すぐに食材をご用意いたします。他にも必要なものがあれば、何でもおっしゃってください。私が用立てますので」
「ありがとうございます。じゃあ、動きやすい服を用意してもらえますか? できれば下は
「かしこまりました」
文英はにこやかな顔で一礼すると、南後宮の方角へ引き返していった。
玉玲は清々しい気持ちで文英の後ろ姿を見送る。本当に何ていい人なのだろう。彼の協力があれば、北後宮の問題は解決できるかもしれない。
あとは瘧鬼の退治に関してだが、幻耀に伝えてもらいたいことがあったのだった。
文英が戻ってくる前に、
「食事をしなければ生きられないなんて、人間って面倒な生き物ね」
やるべきことを整理していたところで、漣霞があざけるように言って鼻を鳴らした。
「あやかしは食事をしないの?」
「必要ないわね。人間の精気が好物なあやかしもいるけど、食べなくても存在はできるわ。食事なんて行為は無駄なだけよ」
「でも、おいしいものを食べると元気になれるよ。心も豊かになるんじゃないかな?」
「くだらない。下等な生き物のすることよ」
人を見下しきった漣霞の態度に、玉玲は違和感を覚えて尋ねる。
「漣霞さんはどうして人間が嫌いなの? 太子様のことは好きじゃないの?」
「好き? 人間にそんな感情を抱くはずがないでしょう!」
「じゃあ、どうして太子様に協力しているの? 彼の前ではすごい笑顔だったけど」
人間が嫌いだという割に、幻耀にだけは満面の笑みを見せていたのが気になった。ただの打算とは思えない反応が。
「言ったでしょ。特権がもらえるからだって。下手な態度を取ったら、護符を取りあげられちゃうから、適当にゴマをすってるだけ。あの方のことだって全っ然好きじゃない!」
漣霞は顔を紅潮させ、躍起になって主張した。
「ふーん、そう」
玉玲はあっさりと返す。
それが火に油を注いだのか、漣霞は苛立たしげに眉をつりあげた。
「もう一度はっきり言っておくわ。あたしはあんたのことが嫌いだし、面倒を見るつもりもない。この区域の監視は全部あたしがするから、部屋でじっとしていることね。それが嫌ならここから出ていってちょうだい! そのための手伝いならしてあげてもいいわよ」
「ううん、必要ない。私、あやかしたちのために働くって決めたから。南後宮の人たちのためにも、私はここでできることをする」
「南後宮の人のため? ここで何ができるっていうのよ! あやかしのためにできることだってないわ! この状況を見ればわかるでしょう。誰もあんたには近寄らない。何をしたって無駄よ!」
漣霞はまくし立てるように言い放つ。
「私を怖がって寄ってこないなら、近づきたいと思うことをすればいいんだよね」
玉玲は動じることなく告げ、眉をひそめる漣霞に笑いかけたのだった。
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