第二章 あやかしおもてなし計画

第9話 契約妃の役割【前編】



 透かし彫りが施された瀟洒しょうしゃな窓から、朝の淡い光が射しこむ。

 契約妃となって迎える初めての朝。

 あまり眠れなかった玉玲ぎょくれいは、とりあえず昨日着ていた襦裙じゅくんを身にまとい、あくびをかみ殺しながら部屋を出た。


 漣霞れんかには金輪際近づくなと言われたし、他に頼る人もいない。重い足取りで、幻耀げんようの執務室へと向かっていく。まだ朝早いから、宮殿のどこかにはいるだろう。

 予想していた通り、幻耀は執務室にいた。


「おはようございます」


 とびらを叩いて入室した玉玲は、若干気おくれしつつ、幻耀に話しかける。


「まず何から始めればいいか聞きたくて来たんですけど」


 朝食も着替えも自分で用意するしかないのだが、どこから調達すればいいのかわからない。


 ちょうど出かけようとしていた幻耀は、眉をひそめて問い返した。


「漣霞は?」


 玉玲は「さあ」と言って、肩をすくめてみせる。

 すると、幻耀は苛立いらだたしそうに顔をゆがめ、


「漣霞!」


 宮殿一帯に響くような声で名前を呼んだ。



 近くにいたのか、あまり時間を置くこともなく漣霞がやってくる。

 控えめに扉を開き、にっこり笑って幻耀にうかがいを立てた。


「何でしょうか?」


 幻耀はじろりと漣霞をにらみつけて確認する。


「昨日言ったな。玉玲の面倒を見てやれと。もう忘れたのか?」

「いいえー。ちょうどお世話にうかがおうと思っていたところですわ」


 笑顔で答える漣霞に、玉玲は半眼を向けた。

 昨日、金輪際近づくなと言っていたけどな。


「ならば、今日はまずこの区域を案内してやれ」

「かしこまりました」


 幻耀は、び媚びの漣霞から玉玲に視線を移してこぼす。


「初日くらいは俺が指示してやるつもりだったのだが。しばらくは忙しい」

「何かあったんですか?」

「南後宮でまたぎゃくが発生した」


「……瘧?」

「ここのところ毎年流行している感染性の熱病だ。あやかしが原因のな。三ヶ月前に一度退治したはずなのだが」


 玉玲は思わぬ言葉に目をいた。


「あやかしが原因?」

「そうだ。あやかしはお前が思っているような存在じゃない。人に危害を加える災厄だということだ。しばらくは北後宮に戻れないかもしれない。その間、わからないことがあったら漣霞にけ。文英ぶんえいがここにいる時は文英でもいい」


 幻耀は抑揚のない声音で告げると、威圧するように漣霞を凝視ぎょうしした。


「漣霞、言われた通りにやれよ。お前がしっかり面倒を見ていたか、戻ったら玉玲に聞くからな」

「おまかせくださいませ。誠心誠意お仕えいたしますわ」


 漣霞が本日一番の笑顔を見せる。

 彼女の表情は、幻耀が退室するまで実ににこやかだった。

 しかし、扉が閉まるやいなや、


「ちいっ!」


 部屋に盛大な舌打ちの音が響き渡った。

 表情は鬼神のように変化する。百面相か。


「何をしているの? さっさと行くわよ」


 びくびくしていると、漣霞が不機嫌そうに告げて部屋を出た。


「え? もしかして案内してくれるの?」


 玉玲はあとを追いながら、半信半疑で尋ねる。


「あんなふうに言われたら仕方ないでしょうがっ。あの方、結構抜け目がないのよ。特権は与えてくれたけど、あたしのこと全然信用してないんだから」


 漣霞の顔は苛立っているというより、少し悲しそうだった。

 彼女の心情を察した玉玲は、なだめるように意見を言う。


「全然ってことはないんじゃない? 漣霞さんだけに特権を与えてるわけだし」

「他にあやかしがえる部下や味方がいないから仕方なくよ。あたしみたいなあやかしでも見張りにすれば、抑止力くらいにはなるらしいわ。彼は本当にお忙しい方だから、猫の手でも借りたい心境なんでしょうよ」

「忙しいって、あやかしを退治することが?」

「主な役割はね。北後宮だけじゃなくて城や京師みやこ、それ以外の場所で発生するあやかしがらみの問題まで処理してるらしいわ。それが皇族の役割だからって。他にもまあ、いろいろとね。身内のことでもたくさん問題を抱えてるみたいよ」


 なだめたのがよかったのか、漣霞は意外にたくさんの情報を教えてくれた。

 この調子でどんどん話を聞きだしたい。


「さっき瘧が発生したって言ってたけど、本当にあやかしが原因の病なの?」

「あやかしっていっても、あたしたちとはだいぶ種類が違うけどね。瘧の原因は瘧鬼ぎゃくきっていう鬼よ」

「鬼?」

「あたしは見たことがないけど、猫よりも小さい鬼らしいわ。毎年夏から秋に発生して、後宮にいる弱った女性ばかり襲うの。退治すれば病も収まるんだけど、どういうわけかまたやってきたらしいわね。瘧鬼には呪符がきかないうえに、すばやくて用心深いから退治するのが大変で、毎年犠牲者が出るって話よ」


 瘧鬼のことを聞いて、思うところがあった玉玲は、直ちに南へ駆けだそうとする。


「ちょっと、どこへ行くのよ?」

「決まってるでしょ。南後宮だよ。瘧鬼をどうにかしなくちゃ」

「無理よ! あの方の許しがなければ、あんたでも北後宮から出ることは絶対にできないわ。瘧鬼は幻耀様や他の皇族が何とかするでしょ。あんたの出る幕なんてないわ。ここでおとなしくしてなさい」


 漣霞の説得を受け、玉玲は足を止めた。

 南後宮から北後宮へは木を伝って忍びこむことができたが、逆はできない。塀の近くに木がなく、門を通れないのであれば、南へは行きようがないだろうか。


「この区域に梯子はしごは置いてない? 南後宮では見かけたことがあるんだけど」

「ここにはないわよ、そんなの。あんたが脱走なんてしたら、あたしまで処罰されるんだからやめてよね!」


「うーん、そっかぁ。なら、せめて太子様に伝えたいことがあるんだけど」

「しばらく戻ってこないかもって言ってたでしょ。文英っていう宦官かんがんに伝えてもらえば? たぶん彼ならそのうち宮殿にやってくるから。ほら、さっさとしないと案内しないわよ。あたしだって美容の研究とかで忙しいんだから」


 漣霞は考えこむ玉玲をかし、宮殿前の大路おおじを南へと歩きだす。


 玉玲は頭を切り替え、彼女のあとを追った。北後宮から出なくても、できることはある。あやかしたちとの交流を深めることもまた、これからやろうとしている計画の一環になるはずだ。ひいては南後宮の人々を救うことにもつながるかもしれない。


 北後宮は昼間だというのに、相変わらず閑散かんさんとしていた。

 大路の脇には壮麗な建物がのきを連ねていたが、そこに人の気配はない。

 鴟尾しびを乗せた瑠璃瓦るりがわらも、色彩豊かな梁架りょうか斗拱ときょうも、心なしか色あせて見える。南後宮に劣らないほど立派な殿舎が並んでいるのに、まるで何年も前に滅んだ町のようだ。


「こんにちは!」


 建物の窓辺に猫怪びょうかいの姿を発見した玉玲は、元気よく挨拶をした。

 だが、あやかしはビクリと体を震わせるや、奥へと引っこんでしまう。

 他の建物にも猫怪はちらほらいたが、みな目が合うと、あわてて逃げていった。


「どうしてみんな、私を警戒しているの? 誰も外に出てこないんだけど」


 玉玲は、少し前を歩く漣霞にしょんぼりしながら問いかける。


「別にあんたにおびえてるわけじゃないわ。人間を警戒してるの。あんたがいなくても、よほどのことがなければ外には出てこないわ」

「どうして?」

「何年か前にこの区域に住んでた人間が、あやかしを恐怖で支配しようとしたの。罪のないあやかしもたくさん粛正しゅくせいされたわ。最近ここの主になった幻耀様だって、あんな感じだし。人間に警戒心を抱いて引きこもっても不思議じゃないわ」


 なるほど、それでここの空気自体も悪いのか。玉玲は納得し、北後宮を見渡した。

 明るい時間だと更に空気の悪さが際立って見える。南後宮よりもひどい。やはり、北後宮の濁った空気があちらまで伝播でんぱしているようだ。

 ならば、自分がこれからやろうとしていることには、きっと意義がある。

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