第22話 皇后と夫人たちの確執【前編】


 楽師たちの奏でる洞簫ふえ琵琶びわの音が、晩冬の青く澄んだ空へと吸いこまれていく。

 華やかな楽曲が流れているにもかかわらず、会場の空気は重い。

 宴に招待された妃嬪のほとんどは、おびえた様子で顔をこわばらせている。幽鬼がいるわけでも、あやかしが視えるわけでもない。見張りや護衛を担当する宦官かんがんが随所に配備され、警備が厳重なことを除けば、目立った異変などない簡素な宴だ。


 玉玲が幻耀の妃になったことを祝う宴は、南西部の園林ていえんに近い広場で執り行われていた。

 玉玲と幻耀は園林に面した天幕の下の上座に。

 左側に淑妃しゅくひを除く貴妃、徳妃、賢妃の三夫人、及び公主たち。

 右側には、夫人の下の位にある昭儀しょうぎ昭容しょうよう昭媛しょうえん修儀しゅうぎ修容しゅうよう修媛しゅうえん充儀じゅうぎ充容じゅうよう充媛じゅうえんの九ひんが並んでいる。


 どの席にも笑顔はない。いや、一人だけ。

 幻耀の隣に座っている貴婦人だけが、晴れやかな笑みを浮かべていた。

 女性らしく豊満な体に、青い霞帔うちかけと袖のゆったりした大袖衫だいしゅうさんをまとい、結いあげた髪を鳳冠ほうかんの中に収めている。

 今年四十五になるという、よう帝国の皇后・姜氏きょうしだ。


 皇后は満足そうに周囲を見渡すと、人好きのよさそうな笑顔で幻耀に語りかけた。


「本当にめでたいこと。浮いた話一つ聞かなかった幻耀が、妃をめとってくれるとは。わらわがいくら勧めようと、聞く耳を持ってはくれなかったのに」


 幻耀に向けられていた皇后の目が、二つ隣の席に座る玉玲をとらえる。


「玉玲と言いましたね。よくぞ太子の心を射とめてくれました。妾は歓迎します」


 ねぎらいの言葉をかけてくる皇后に、玉玲は「恐れ入ります」と言って、こうべを垂れた。正式な妃ではなく、期間限定の契約妃なので、内心ではひやひやだ。

 反応に困ったら、とりあえず「恐れ入ります」を使うよう文英から教育を受けていた。


 うまく反応できていたか、周囲の様子をうかがってみる。

 皇后は至って上機嫌。隣の幻耀は仏頂面――これは参考にならない。

 夫人たちの表情は相変わらず硬く、九嬪は恐怖のあまりか青ざめている。


 雰囲気は全く宴らしくない。卓を華やかに飾り立てているはずの料理がないことも大きいか。毒殺を警戒して、皇后が用意させなかったのだ。

 卓の上にはピリピリした空気だけが漂っている。


 特に空気が悪いのは、三夫人たちのいる席だ。中でもその中央にいる程貴妃の席。ほっそりした体に、色彩豊かな襦裙じゅくんをまとった、四十がらみの女性。

 目が合うや、程貴妃は玉玲をいかにも見下した目つきで眺め、朱唇しゅしんを開いた。


「玉玲様は李才人りさいじんの侍女だったとか。太子妃ともなれば正二品。下賤げせんの侍女が主人以上に出世なさるなんて、本当に運がよろしいこと。ねえ?」


 同意を求められた隣の女性が「全くですわ」と返す。程貴妃の腰巾着と言われている班徳妃だ。貴妃と年は同じくらい。体つきはふっくらしていて、随雲髻ずいうんけいと呼ばれる高々と結いあげた髪が派手で目を引く。


「玉玲様は李才人の命令で北後宮へおもむいた折、殿下に見初みそめられたのだとか。どこにでも行ってみるものね。位の低い人間の行動力はたいしたものですわ」


 嫌みに満ちた班徳妃の言葉に、玉玲は押し黙る。さすがにここで「恐れ入ります」はないだろう。二人ともきつい物言いに反して、敬称を使ってくれてはいるのだけれど。


 太子は四人まで妃をめとることができる。妃の下に、良娣りょうてい娥子がしという位もあるそうだが、太子が好色でもない限り、女人で埋まることはないらしい。即位した後、太子妃は正一品、夫人の位にあがる。四夫人は将来の皇后最有力候補だ。いずれは同等以上の位となりうる玉玲にいちおう配慮はしているのだろう。敵意はものすごく感じるが。


「あなたたち、それ以上玉玲を侮辱するようなことを言えば許しませんよ」


 肩を縮めていると、皇后が夫人たちをたしなめてくれた。


「玉玲は太子が認めた唯一の女性。将来国母となりうる存在です。彼女が皇子を産めば――」

「あら、皇后様。いくら殿下のご寵幸が深かろうと、国母は無理ではないでしょうか。聞けば、玉玲様は旅の雑伎団出身の捨て子だとか。最近は誰かが入ってきたせいで乱れがちですが、本来我が暘帝国は血筋を重んじる国。もとの身分は重要ですわ」


 皇后の発言をさえぎるように、程貴妃が主張する。


「誰かが入ってきたせい。それは妾のことかしら?」


 皇后はピクリと柳眉りゅうびを震わせた。


「滅相もない。主上の妃嬪の中には、家格の低い人間が何人かおりますでしょう? 皇后様のご実家は由緒正しいお家柄。皇族の血縁者であるわたくしたちの実家より格は落ちますが。決して皇后様を指したわけではありませんわ」


 笑顔で否定しつつ、程貴妃は意見の正当性を力説する。


「家柄が重要なことは、生まれる子が示しております。わたくしの子はあやかしを視認できる才能豊かな皇子。班徳妃の皇子も宋賢妃の公主も、主上の目に留まるだけの霊力は備えております。家格の劣る妃嬪が産んだ子はどうでしょう? それほどの力を持つ皇子、公主はいないではありませんか。皇后様が産まれた亡き第一皇子もまた――、ああ、失礼いたしました。これは完全に失言ですわ」


 皇后の顔からは笑みが消え、もはや噴火寸前という形相だった。


「女って怖いわね。身分が高かろうと低かろうと容赦ないわ」


 玉玲の後方にいた漣霞が、唖然とした様子で感想をもらす。

 これには、玉玲も思わず頷いた。まさか皇后と程貴妃の関係が、こんなにギスギスしたものだったとは。特に程貴妃の不遜ふそんさは想像以上だ。実家の身分が高いからなのか、格上の皇后に対しても言いたい放題。発言に容赦がない。


 だが、皇后もただ黙ってはいなかった。


「もとの身分が低くても、霊力の高い皇子を産んだ妃嬪はいました。忘れたのかしら? 幻耀を産んだりん淑妃の存在を」


 皇后の発言を耳にするや、夫人たちがそろって目を見開く。


「林淑妃はもとは妾の侍女。身分が低いにもかかわらず、あやかしを視ることができる稀有けうな存在でした。そのことを珍しがった主上のご寵愛を受け、幻耀を産んだ。母親の身分は子の霊力と関係ありません。我が国において太子となるのは、最も霊力が高く才能に恵まれた皇子。あなた方の子は、家格の劣る林淑妃の子に負けたのよ。おわかりかしら?」


 皇后は勝ち誇ったような顔で夫人たちを見回した。

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