【コミカライズ連載中】あやかし後宮物語

青月花

第1話 遠い日の約束



玉玲ぎょくれい、あやかしたちと遊ぶのはもうやめなさい」


 敬愛する養父の忠告に、玉玲はぱちぱちと目をしばたたいた。


 臥牀しんだいに横たわっていた養父は上体を起こし、厳しげな表情で玉玲を見つめてくる。

 突然部屋まで呼びだして、何を言いだすのかと思えば。


「どうして? みんな、いい子だよ?」


 納得できない玉玲は、首を傾げて言い返した。 

 すると、部屋のとびらが開き、


「あやかしがどんなやつかなんて関係ねえんだよ。村でうわさになってんだ。誰もいない場所に話しかけたり、『待って~』とか言って一人で走り回ったり、奇怪な行動を取るガキがいるって。お前のせいで、うちの雑伎団が白い目で見られてんだよっ」


 苛立いらだたしそうに告げながら、大柄な青年が養父の部屋に入ってくる。玉玲が所属する雑伎団の団員であり、兄弟子である雲嵐うんらんだ。


「私、奇怪なことなんかしてないよ。あやかしたちと話したり、遊んでるだけだもの」

「だーかーらー、そのあやかしがえるのは、お前だけなんだって。はたから見たら、頭のおかしいガキの奇行にしか見えねえんだよっ。おとなしくしてろよ、まったく。師父しふが病でふせってるって時に」


 養父の病の話をされると、さすがの玉玲も反論できなくなってしまう。

 口の悪い兄弟子ならともかく、養父にだけは迷惑をかけたくない。


「……せっかく友達ができたのにな」


 雑伎団で旅を続けて五年。団長である養父が病を患い、しばらく逗留とうりゅうすることになった村。ここで玉玲は、五歳になって初めて友達を得た。村に住みついた、気のいいあやかしたちだ。年の近い団員がおらず、移動生活でなかなか友達ができなかった玉玲にとって、思いがけない喜びだった。


「すまないね、玉玲。私なんかがお前を拾ったばかりに、寂しい思いをさせて」


 玉玲は直ちにかぶりを振って、養父の謝罪をさえぎる。


「私、師父に拾ってもらってすごく幸せだよ! 師兄しけいは小言ばかりで口うるさいけど、一緒に演技をするのは楽しいし、師父は優しいし、この団での生活が好き。誰が捨てたかもわからない私を育ててくれて、とっても感謝してる」


 養父が見つけてくれなければ、きっとおおかみ餌食えじきになるか飢え死にしていたことだろう。

 赤子の頃、ほこらの前に捨てられていた自分を拾ってくれた養父には感謝してもしきれない。


「そう思うなら静かにしてろよ。お前が暴れ回るとな、うちの団の印象が――」


 雲嵐がくどくどと小言をくりだしていた時だった。


“……けて。……助けて……”


 どこからか声が聞こえた気がして、玉玲は耳をそばだてる。


“助けて、玉玲”

 

 言葉ではなく心の叫びが、頭の中で響いたように思えた。

 直感が玉玲の体を突き動かす。


「おい、玉玲!」


 外へと向かう玉玲を、すぐに雲嵐が呼びとめた。

 だが、玉玲は振り返ることなく部屋から飛びだしていく。

 ものすごく嫌な予感がした。なぜか玉玲の勘はあたる。天賦てんぷの才能と言っていい。あやかしだけではなく、人には視えない空気や気配まで関知する。


 東の空を見あげると、黒いもやが上空へと立ちのぼっていた。

 そちらの方角できっと何かが起きている。


 玉玲は脇目も振らずに東へと走った。住民の数は百人にも満たないという、小さな農村をひたすら東へ。

 のどかな田舎の景色が西へと流れていく。

 ぽつぽつとたたずむ土楼どろうの家屋。

 ゆるやかな速度で回る風車。

 のんびりと草をはむ馬や牛。

 そして、塗装されていない道の先からは、絹を裂くような断末魔が――。


「ぎゃあ――――っ!」


 凄惨せいさんな光景を目のあたりにして、玉玲は凍りついた。

 刀で体を両断され、あやかしたちが消えていく。黒い靄となって。

 一番最初に声をかけてくれた蛇のあやかしも。興味深い話を聞かせてくれた亀のあやかしも。よく駆けっこをして遊んでいたイタチのあやかしも。


 容赦なく刀を振りおろしているのは、十代後半くらいの青年だ。見るからに仕立てのいい紺の長袍ちょうほうをまとい、黒い長髪を冠で一つにまとめている。

 青年は流れるような動きでイタチのあやかしを斬り払うと、とどまることなく別の方向へと切っ先を向けた。

 唯一生き残り、ぶるぶると震えていた白猫のあやかし、天天てんてんに。


「やめて!!」


 とっさに玉玲は声をあげ、天天の前へと飛びだした。今は放心している場合じゃない。

 天天は自分と一番仲よくしてくれたあやかしだ。この子だけでも守らなければ。

 天天を守るように両腕を広げ、毅然きぜんとして青年の顔を見あげる。


「小娘、お前、そいつが視えるのか?」


 青年は軽く眉をあげ、玉玲に冷ややかなまなざしを向けた。


「どうしてこんなひどいことをするの? みんな、とってもいい子だったのに!」


 刃のような視線の鋭さにひるむことなく、玉玲は青年をにらみつける。あやかしが視える人に初めて会ったのに、驚きも感慨かんがいも湧いてこなかった。

 時間の経過と共に、大事な友達を失った悲しみと怒りがどんどんこみあげてくる。


「あやかしは存在そのものが悪だ。人に害を与える前に駆除する。それが我らの務め」

「あの子たちが人に何をしたっていうの! 悪さをしてるところなんて見たことない! 陽気で人なつっこくて優しいあやかしたちだった!」


 負の感情を視線に込めてぶつけると、青年は罪人でも見るように冷酷な目をして言った。


「この村にあやかしに魅入られた子供がいるという噂を聞いて来たのだが、お前のことだったか。ならば、情けは無用だな。あやかしをかばい立てするというなら、一緒に冥府へ送ってやろう」


 いっさいの躊躇ちゅうちょもなく、青年が刀を振りあげる。

 

 白刃はくじんの光がきらめき、まぶしさに目をつむった刹那――。


「お待ちください!」


 どこからか空気を裂くように声が響いた。


 覚悟していた痛みや衝撃はいつまでも襲ってこない。

 玉玲はゆっくりまぶたを持ちあげていく。


 青年の後方に、決然とした表情で歩く少年の姿が見えた。年は玉玲の少し上くらい。痩身そうしんに上等な青磁せいじ色の長袍をまとい、長い黒髪は一部だけを束ねて背中に流している。


 少年が近くまでやってくると、青年は刀をおろし、鋭い目つきでこう告げた。


阿青あせい、お前は軒車けんしゃから出てくるなと言ったはずだぞ。俺のすることに口を出すな」

「いいえ、黙って見すごすわけにはいきません。滅していいのは人に危害を加え、大いなる災いとなりうるあやかしのみ。兄上は、天地を統べる玉皇大帝ぎょくこうたいていの定めし天律てんりつを犯していらっしゃいます」

「天律は今ではただの建て前だ。あやかしをのさばらせれば、人間にとっていずれ害となる。そうなる前に災いの芽を摘むこともまた我々の役目」

「ならば、兄上がなされたことを全て父上に報告します。よろしいのですね?」


 阿青と呼ばれた少年は臆することなく意見し、おどしの言葉を加える。


「悪さをしたあやかしならまだしも、無垢むくな少女を手にかけるなど、いくら父上とはいえお許しにはならないでしょう。それに天律には、むやみにあやかしを滅してはならない、とあります。人と同じく、あやかしにも善と悪がいる。兄上はその判断をおろそかにした。このあやかしは天律にのっとり、しかるべき場所へ連れていきます。よろしいですね?」


 青年は苛立ちをあらわに阿青を睨んだ。

 獅子のように殺気立った視線を受けても、阿青は動じない。少しも目をそらすことなく、青年と対峙たいじしている。


 先に勝負からおりたのは青年の方だった。


「勝手にしろ。だが、阿青。あやかしに情けをかければ、いずれ己の身に災いが降りかかることになるぞ。その甘い判断を後悔することになる。覚えておくがいい」


 呪いの言葉を浴びせるように忠告すると、青年は阿青に背中を向けて去っていった。


 阿青はホッとした様子で息をつき、玉玲の方へと近づいていく。

 いや、玉玲ではない。その後方で震えていた猫のあやかし、天天の方へ。

 意味のわからない短い呪文を唱えると、阿青はふところから取りだした黄色い紙を、すばやく天天のひたいに貼りつけた。

 とたんに天天が、ぐったりと地面に体を投げだす。


「天天!」


 声をあげて駆け寄る玉玲に、阿青は安心させるように優しい声音で言った。


「大丈夫。落ちつかせるために眠らせただけだよ。ちゃんと生きている」


 玉玲はすぐにかがみこんで、天天の様子を確かめる。

 ぐったりはしているものの、天天は静かな寝息を立てていた。

 額に貼られているのは、難解な文字が書かれた短冊だ。お札というものだろうか。

 ひとまず天天が生きていることに安堵あんどする玉玲だったが。


「ごめんね。こんなことになってしまって。この子は僕が責任を持って預かるから。決して悪いようにはしない」


 阿青が申し訳なさそうに告げて、天天をそっと抱きあげた。

 玉玲は不安な面もちで阿青の顔を見あげる。


「天天をどこかに連れていっちゃうの?」

「ああ。この子が本来いるべき場所。仲間が大勢いるところだよ。ここにいても寂しい思いをするだけだろう? この子のためにも、仲間のもとへ連れていくのが一番いい」


「……仲間」


 玉玲の脳裏に、消えたあやかしたちの姿がよぎった。

 この村に天天以外のあやかしは、たぶんもういない。仲間はどこにもいないのだ。

 養父の病がえれば、玉玲もこの村から離れることになる。養父や師兄の様子からすると、あやかしである天天の同行を許してはくれないだろう。天天はここに置いていかなければならない。仲間もおらず、独りぼっちになってしまう。


 仲間が大勢いる場所で、天天が幸せに暮らすことができるのなら。


「あの怖い人から守ってくれる?」


 玉玲は不安をぬぐいきれず確認した。命を助けてくれた阿青ならまだしも、あやかしを斬った青年のことだけは信用できない。


「ああ、必ず守ろう。約束する」


 まっすぐ見据えていると、阿青は優しげな笑みを浮かべて答えてくれた。


 星空のように澄んだ彼の瞳を見て、玉玲は直感する。この少年のことなら信じられると。

 黒い靄が漂っている中、なぜか阿青の周りだけが、きらきらと輝いて見えたのだ。そこだけ空気が浄化されているように。

 こんなにきれいな空気をまとった人になら、天天のことをまかせられる。


「また会える?」


 玉玲は天天の白い背中をでながら尋ねた。天天に、そして阿青にも。


「そうだね。君があやかしとつながっていれば、またどこかで会えるかもしれない。その時はゆっくり話をしよう。この子の話も聞かせてあげるよ」


 笑顔で答えてくれた阿青につられ、玉玲の口もとにも笑みがこぼれる。


「うん、約束ね!」


 木陰に停めてある軒車へ向かう阿青を、玉玲は手を振って見送った。いつか彼らと再会できることを願いながら。



 この日の記憶は玉玲の胸に痛みを与えつつ、大切な思い出としていつまでも残り続けることになる。


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