第15話 ひとり雑伎団【後編】
安堵の溜息をついているあやかしたちに微笑みかけ、玉玲は最後の仕上げにかかった。
即座に体の向きを変え、駆けるような速さで竹をよじのぼっていく。
そして、てっぺん付近に到達したところで、後ろに体をのけぞらせて飛び降りた。
後方三回宙返り一回ひねり。
見事に着地し、両手を空に向かって広げると、周囲に水を打ったような静寂が落ちた。
静まり返っていたのも束の間、竹やぶ一帯はあやかしたちの大歓声で覆われる。
「すげえ、すげえ! おら、こんなにわくわくしたの、初めてだぞ!」
「楽しかったニャ! 人間ってあんなこともできるのニャ!」
「あれは人間じゃないわ。猿のあやかしよ。
あやかしたちはみな、興奮状態だ。口々に驚嘆の声をあげている。
隠れていたあやかしも、近くまで寄ってきたようだった。
猫怪や狐精以外に、イタチや蛇のあやかしの姿も見える。
派手なことをすればいいという莉莉の助言を聞いて、ひとり雑伎を開演してみたが、ここまで注目を集められるとは。楽しんでももらえたようだし、今回の興行は大成功だ。
ただ、玉玲の計画はまだ終わっていない。
「みんな、最後まで見てくれてありがとう! どうだったかな?」
目的を果たすべく、玉玲はあやかしたちに問いかけた。
あやかしたちは急に黙りこみ、近くの仲間と顔を見合わせる。
「また見たいと思う人、じゃなくて、あやかし」
自ら挙手して希望者を募ると、真っ先に莉莉が桃色の肉球を見せた。
負けじと他の猫怪たちがそれにならい、狐精たちはそろそろと片手をあげていく。
「じゃあ、これから何度かこういう機会を設けるね。みんなの前で芸を披露して、それを何か食べながら見てもらうって催しを。私なんかじゃなくて、他の誰かがやってもいいし。これから積極的に外へ出て、交流していこうよ」
玉玲はあやかしたちの反応をうれしく思いながら、笑顔で提案した。
とたんに、あやかしたちの表情が曇りだす。
「でもなぁ、たまに太子が歩き回っているから怖いし」
「斬られちゃうよ。
狐精のあやかしが幻耀の顔まねをして、ぶるっと体を震わせた。
「そんな闇雲に斬ったりしないよ。処罰するのは悪いことをしているあやかしだけ。あの人、冷たそうに見えるけど、話はちゃんとわかる人だよ。盗んだり、誰かを傷つけたりしなければ大丈夫」
玉玲は必死に説得するが、あやかしたちの表情は変わらない。
「でもなぁ。やっぱり怖いよ」
狐精たちは特に、警戒心をぬぐえずにいるようだ。
玉玲は根気強く彼らに言い聞かせる。
「何かあった時は、私が間に立つよ。絶対にみんなのことは守るから。とりあえず、こうやって外に出てみよう。困ったことがあったら相談に乗る。この区域でしてほしいことでも何でもいい。私のところに来て話してみて。私はたいてい厨かあの宮殿にいるから」
北の乾天宮を指さし微笑んでみるが、反応はない。
若干後ろめたそうに玉玲を見つめるばかりで、誰も返事はしてくれなかった。
今回の催しで、だいぶ距離を縮められたと思っていたのに。一時的なことだったか。
肩を落としかけたその時、誰かが遠慮がちに声をあげた。
「恋の相談とかでもいいのか? おいら、最近ちょっと気になってるやつがいてさ」
ちらちらとこちらを見やりながら、莉莉が訊いてくる。
「もちろん! どんな相談にだって乗るよ」
玉玲は莉莉に感謝の念を抱きながら快諾した。
彼はいつでも玉玲の意を
莉莉が先陣を切ってくれれば、あとは楽だった。
「俺様、『ぶらんこ』ってのに乗ってみたい。作れるか?」
なぜか莉莉に対抗心を燃やしている斑の猫怪が注文する。
「いいよ。私、空中で
「では、我が輩は猫じゃらしという道具を所望したい。楽しい気分になれるらしいな」
「あたくし、もっと料理が食べてみたいわ。人間が食べている本格的な宮廷料理を」
「私は人間のひらひらした服が着てみたい。貴族の女が着てるやつ」
次々にあやかしたちが要望を出してきた。
「まかせて! 料理は覚えてくればいいし、手芸や裁縫も一通りできるから。私にできることなら何だって叶えるよ」
玉玲は快く応じ、あやかしたちに視線を巡らせる。
「とりあえず、夕方にもまた料理を持ってここに来るから、みんな食べにきてね!」
あやかしたちの口もとにようやく笑みが浮かび、なごやかな空気が流れた時だった。
「ちょっと、あんたたち、何をやっているの!」
東の方角から響いた声に、あやかしたちはぎょっとして顔色を変える。
華やかな襦裙をまとった女性が、狐精たちの後方に恐ろしい形相で立っていた。
「げっ、漣霞だ」
狐精たちが振り返るなり、苦虫をかみつぶしたように顔をしかめる。
「嫌だわ。太子に媚びへつらう裏切り者よ」
「行くナリ。太子に妙なこと吹きこまれたら、たまらないナリ」
そそくさと去る狐精たちにならい、猫怪たちも散り散りになって逃げだした。
竹やぶの前には、まなじりをつりあげる漣霞と玉玲だけが取り残される。
「あんた、今度は何をやってるの!? どうしてあやかしがあんな……」
玉玲を睨みつけるや、漣霞は戸惑いをあらわにあやかしたちの後ろ姿を見やった。
「みんなと仲よくなりたくて、ひとり雑伎を開演してたんだ。軽食つきで。漣霞さんも誘おうと思ったんだけど、どこにも見あたらなかったから」
「ちょっと、余計なことばかりしないでよね! 北後宮はこれまであたしのおかげで静かに問題なくやってこられたの。あやかしたちをつけあがらせないで! 秩序を乱すようなことはしないでちょうだい!」
漣霞に激しく叱られる玉玲だったが、動じることなく言い返す。
「でも、みんな楽しそうだったよ。問題がないのはいいことだけど、ずっと閉じこもっているのはつまらないよね。どこかで息抜きをしないと。みんなの
「空気なんてどうでもいいのよ! 問題さえ起こらなければ。あんたがやってること全部、幻耀様に言いつけるわよ!」
「別に構わないけど? 叱られるようなことは何もしてないし。私なりのやり方でこの区域をよくしていってるつもりだし。漣霞さんはいったい何がしたいの? どうして太子様に従って、あやかしたちを監視したりしているの?」
「だからあたしは――」
「特権のためだけじゃないよね? だって、特権を得て人の姿で生活してたって、漣霞さん全然楽しそうじゃないもの。何か別の理由があるんじゃない?」
反論しようとした漣霞に、すかさず指摘する。ずっと気になっていた。言葉とは裏腹な彼女の態度が。本当に望んでいることが何なのか、はっきりとはわからないけれど。
「別に理由なんてない! あたしは他のあやかしたちみたいに獣として生きるのが嫌なだけ。楽しくなくたっていい。他のみんなに嫌われたっていいわよ。それでも、私は……」
つりあがっていた漣霞の眉が、少しだけ悲しそうにゆがむ。
それも束の間のこと。
「とにかく、あんたはもう何もしないで! この区域のことはあたしが監視する。二度とあやかしたちの感情をかき乱すようなまねはしないでよね!」
鋭く顔つきを戻すや、漣霞は玉玲に再度注意し、肩を怒らせながら去っていった。
※
御膳房の窓から黄昏の空に向かい、湯気が立ちのぼっていく。
漣霞から注意を受けたが、玉玲はまた料理を作って広場を訪れた。あやかしたちに約束したので、やめるわけにもいかない。
昼間以上に盛況で、あやかしたちは喜んで料理を食べてくれた。あれが欲しい、こういうことをしてもらいたい、そんな要望を口にしながら。
狐精の姿もあった。数は猫怪が約五十、狐精が二十ほど。たった数日ですごい進歩だ。
喜んであやかしたちの相談に乗る玉玲だったが、完全には胸が晴れない。漣霞のことがあったから。彼女とはうまくやっていきたいのに、空回りしてばかりだ。
くすぶった気持ちを抱えたまま、玉玲はあやかしたちと別れ、乾天宮へ戻っていく。
漣霞が悔しそうに自分を見ていたことには気づかずに。
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