第28話 共犯者は誰?【前編】
北後宮の西部には南から北にかけて緑が広がっている。柳に杉、
もちろん今は訪れる人間などおらず、実に閑散としたものだ。
池の
その池の北部に立つ桃の木の前で、莉莉は足を止めた。
「ここだ! 確かにここで、前を駆けてたあいつが突然消えたんだ」
莉莉の言葉を受け、漣霞が周囲を見回しながらこぼす。
「特に誰かいそうな気配はないわね」
刺客のあやかしを捜しにいくと伝えたら、もちろん彼女もついてきた。
今ここにいるのは莉莉と漣霞、幻耀と玉玲だけだ。
押しの強さに負けて従ってしまったが、玉玲は幻耀のことが心配でたまらない。いくら彼が武術を極めているとはいえ、毒で倒れたばかりなのだ。周囲の状況より幻耀の体調を気にしてしまう。
「玉玲、お前は
顔色をうかがっていたところで、幻耀が問いかけてきた。
「霊力の高い人間は、あやかしだけではなく特別な空気まで視えると聞く。人を殺そうとしたあやかしだ。そういった
だから自分も一緒に連れてきたのか。
玉玲は納得しつつ、首を傾げて答える。
「どうでしょう。人を殺そうとしたあやかしなんて、視たことがありませんから。でも、よくない空気をまとっている可能性はあると思います。ちょっと集中してみますね」
幻耀ばかり見ていたことには、気づかれていなかったようだ。そのことに少し安堵しつつ、周囲に目を
北後宮全体から漂う少し濁った空気は視えるものの、特別に目立った何かは感じられない。近くに桃の木が数本生い茂り、その奥に竹林が広がっているばかりだ。
「だめです。何も視えません」
呼吸まで止めて集中していた玉玲は、ぶはっと息を吐いた。
不穏な空気も視えなければ、気配もない。周辺に自分たち以外誰もいないことは間違いないだろう。
「移動したのだろうな。この辺に多いのは桃の木か。他をあたってみよう」
周囲を見回した幻耀は、すぐに気持ちを切り替え、緑が続く道を北上した。
玉玲は空気を気にしながら、莉莉たちと幻耀のあとに続いていく。
やはり、特に目立った空気は視えない。途中で亀とイタチのあやかしを見かけたが、彼らから何か感じるわけでもなく、刺客がひそんでいそうな気配もなかった。
人を殺そうとしたあやかしは、普通と違う空気をまとっている、幻耀のその考えは外れていないように思うのだけれど。
思索にふけりつつ、周りを観察していたところで、幻耀が足を止めた。
玉玲は一緒に立ちどまり、前方に目を向ける。
そこもまた小さな池と仮山を備えた
池の水面には
立ちどまった幻耀は、つらそうな顔で桃の木を見つめていた。
「太子様、どうかしました? もしかして、具合が……?」
彼の体調が心配になり、玉玲は顔をのぞきこんで尋ねる。
「お前は目ざといな。だが、具合が悪いわけではない。ここに来ると思い出すんだ。俺や母と親しくしていた樹妖がいた場所だから」
「……その樹妖って……?」
嫌な予感がしてこぼした疑問に、幻耀は瞼を伏せて答えた。
「母を殺したあやかしだ。俺はここで母が刺されている場面を見た」
玉玲は彼の言葉に衝撃を受けて絶句する。
まさか、母親を殺害されているところに直面していたなんて。
十歳の少年が耐えられる
「気にするな。昔の話だ」
幻耀は淡々と言って、桃の木の方へ足を踏みだした。
気にしないよう言われても無理だ。ただでさえつらい状況だというのに、因縁の場所に向かっている彼の心境を思うと、胸が痛くて仕方ない。
止めても無駄だろう。幻耀は刺客を捕らえるために、無理をして動いているのだ。
玉玲だって刺客を捕まえたい。二度と彼に危険が及ばないように。もうつらい思いをすることがないように。彼の力になりたい。
玉玲は神経を研ぎ澄ませ、周囲を観察した。どこかに刺客がひそんでいるかもしれない。
幻耀を殺そうとした刺客は、きっと普通とは違う空気をまとっている。
何としても見つけだすのだ。彼を守るために、絶対。
強く決意したその時。
「あっ、あの木!」
玉玲はわずかな違和感を覚え、少し進んだ場所にある大きな桃の木を指さした。
「少しだけど、片方の枝から濁った霧のようなものを感じます」
周りのものより幹の太い桃の木だ。枝が大きく二つにわかれ、片方は途中で折れて朽ちている。
違和感を覚えたのは、片側の少し小さめな枝の方だった。目を凝らさなければわからないほど薄い霧をまとっている。他の木や枝からは同様のものは視えない。
玉玲の言葉を聞くや、幻耀はその桃の木の前に向かった。
あとについていった玉玲は、次の瞬間、彼が取った行動に目を
「太子様!?」
幻耀は腰に
薄い霧をまとった桃の枝に向かって。
刃が枝をとらえようとした刹那――。
「やめろ!」
桃の木から鋭い声が響き、若い女性が飛びだしてきた。
細くて小柄な体に、白い長衣をまとい、薄茶の長い髪を後頭部で一つに束ねている。
女性は桃の木から出現すると同時に、北へと駆けだした。
直ちに玉玲と莉莉があとを追う。
あれは絶対に幻耀の命を狙った刺客だ。体に黒っぽく濁った霧をまとっている。幻耀に対する殺気がもれ出ているのだろう。
「玉玲、できるだけ早く捕まえろ。桃の木が多い遠方まで逃げられると厄介なことになる」
後方から幻耀の声が響いた。
――んなこと言われても。
無茶ぶりだと思いつつ、玉玲は必死に刺客を追跡する。
莉莉でも一度逃した相手だ。相当に速い。
全力で追いながらも距離を離され、危機感を募らせていたその時。
「うおりゃあっ!」
奇声が響き渡ると同時に、後方から巨大な岩がふっ飛んできた。
近くに落ちた岩にひるんで、刺客が一瞬足を止める。
その短い時間さえあれば十分だった。
再び走りだした刺客へと、玉玲と莉莉は同時に飛びかかる。
莉莉が女性の背中に組みつき、前のめりになった彼女の足を玉玲が抱えこんだ。
体を組み敷き、動きを封じてしまえば、捕縛完了だ。
念のために莉莉が足にかみつき、睨みをきかせてくれている。
「よくやった、玉玲、莉莉。そして、漣霞」
体を必死に押さえつけていたところで、幻耀がやってきて、三者の労をねぎらった。
――あれ? 漣霞さんも?
彼女が何をしたのかわからず、玉玲は後方に目を向ける。
漣霞は手についた砂を
もしかして――。
「あの岩を投げ飛ばしたのって、漣霞さん?」
近づいてくる彼女に、恐る恐る確認する。
岩の直径は玉玲の身長近くある。
あの岩を投げ飛ばしたのが、漣霞だったとしたら。
――すっごい怪力。
顔を強ばらせる玉玲に、漣霞は溜息をついて言った。
「できたらこれはやりたくなかったんだけどね。女性らしくないし。あたし、か弱くて可憐な美女で通ってるから」
――いや、全然通ってないよっ。
そのツッコミは玉玲の胸の中だけにとどめておく。口に出したらひねりつぶされる。
あきれとおびえを隠していたところで、幻耀が刺客を見おろしてこぼした。
「莉莉に話を聞いて、怪しいと思っていたが、やはり樹妖だったか。樹妖は近くに同じ属性の木があれば、乗り移れるからな」
漣霞が幻耀に渡された縄で、女性の手と足を縛る。
玉玲は女性の体から離れ、改めて刺客の姿を観察した。
髪の色は桃の枝のような薄茶。瞳は薄桃色で、身にまとう色や空気は異様だが、二十歳ぐらいの女性にしか見えない。人に変化したあやかしであることは明白だった。
幻耀が斬ろうとした木に宿るあやかしだったのだろう。樹妖を間近で視るのは初めてだ。
「お前、何者だ? なぜ俺の命を狙った?」
幻耀は、うつ伏せになった樹妖の顎を掴んで尋問する。
「お前に護符を渡した人間がいるな? 誰だ? 吐け」
樹妖は堅く目を閉じ、口を開かない。
「簡単には白状しないか。ならば、仕方がない」
立ちあがった幻耀は、再び
「白状しなければ殺す。言え」
首を軽く傷つけられた樹妖は目を開き、幻耀を鋭く睨みつけて言い放った。
「貴様に教えてやることなどあるものか! 冥府へ送られようと絶対に話さない! 殺したければ殺せっ!」
幻耀は顔をしかめ、刀の
「太子様」
玉玲はなだめるように幻耀の袖を引いた。
挑発に乗って殺せば、共犯者のことを訊けなくなってしまう。
何より、ここで彼女を殺してはいけない気がした。幻耀のためにも。
思いが通じたのか、幻耀は妖刀を鞘に収めて告げる。
「玉玲。漣霞でもいい。そいつの体を
指摘されるや、樹妖がピクリと眉を震わせた。
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