■7――エピローグ。貴方のいない、世界の片隅で。

    ■7――エピローグ。貴方のいない、世界の片隅で。


 今日の日付、1943年10月3日。

 こうして日記を書き始めてからもう、半年近くが経った。

 ティーとともに先生がいなくなってから、半年。

 だからというわけではないけれど、久しぶりに――こうしてちゃんと、色んなことを書き残しておこうと思う。

 私はまだ、当分あちら側には行きそうにないけれど。それでもいつ、そうなるかは分からないから。


 九重を取り戻したあの事件の後。先生はティーの言っていた通り、テロ事件の主犯として逮捕された。

 そして――恐らくは事前から仕組まれていたであろう通り。あの人が連邦からの亡命者であり、しかも連邦の極秘機関に所属していたことはすぐに世に明らかにされ――結果としてあの人の沙汰の決定は、連邦を巻き込んでの軍事裁判の場に持ち越されることとなった。


 連邦、帝政圏、そしてそれ以外の国々からの注目が一斉に集まる中。裁判の場で、あの人が語った事実は――その誰もを震撼させるに十分なものだった。

 連邦内で極秘に行われていた、軍事兵器の開発。人間の遺伝子に手を加えて、人の形をした兵器を創り出す――そんな神の理に背くような行為が、誰にも知ることなく平然と続けられていたこと。

 それによって生み出された「聖女」と呼ばれる兵器たちは、まだほんの幼い少女たちで。

 さらには彼女たちは「箱庭」と呼ばれる場所に押し込められて、ただ兵器として戦場に投入され――あるいはそうなることすらなく、「計画」を凍結した連邦軍部の手によって、その多くが命を絶たれたという事実。


 先生の提出した証拠……私たちの診察記録は、ティーを経由して国内の出版、新聞社にも送られていたらしい。

 戦争の闇に葬られた「異能」持ちの少女たち。

 彼女たちの日々を追った「傍観者」の記録。

 そこに綴られた悲劇に――戦後の薄暗がりの中、刺激を求めていた大衆たちが反応するのはもはや自明の理だった。

 非人道行為を続けた連邦を糾弾する声が多く上がる一方で、同時にこれまでの疲弊から厭戦の気運もより一層高まって。結果的にはその世論の動きもまた、連邦と帝政圏との間での正式な休戦――あるいはその先に垣間見える、終戦をも求める流れを生むこととなった。


 そんな世界の動向の只中で、先生の裁判は三ヶ月続いた。

 世論の声には、聖女たちを亡命させたその行為を擁護するものも多くあったようだが――しかし一方で、あの人が「聖女計画」の片棒を担ぎ続けていたという事実も、また事実だった。

 いかな理由があろうとあの人は「アカデミー」の一員として、計画の渦中で歯車として周り続けていた。その厳然たる事実は――酌量の余地はあれども、司法としての公正な決定を覆すには至らない。

 ……判決は、無期懲役。

 ここで先生を減刑すれば、今後の他の戦争犯罪人たちの判決に負の前例を遺すという判断もあったかもしれない。なんにせよ、先生はそんな判決を言い渡されて、私たちとは顔を合わせることもないままに牢獄へと送られた。

 ……だけど。それでも必ずしも、それが字面通りのとはならないだろうことを私たちは期待していた。

 ティーは言っていた。極刑を免れさえすれば、後は政治的取引の範疇に入ると。それ次第では、一月もすれば戻ってこれるかもしれないと。

 だから――きっと。待っていればきっといつか、先生は戻ってくる。

 誰もがそんな、ぼんやりとした期待を持ちながら待ち続けて。

 けれどその終わりは、突然にやってくることとなった。


 先生の――獄中死という結果をもって。


 ――。

 9月1日。およそ一月ほど前のことになる。

 その特殊な立場上、帝都中央軍事刑務所の特別牢に収監されていた先生は――ある朝、眠るように息を引き取ったという。

 ……ティーから伝えられたその事実に、私たちは当然、ひどく動揺した。

 先生の背負っていた事情は私から皆に伝えてはいたけれど――それでも実際にこういう結果になるなんて、誰もが思ってはいなかった。

 姉妹たちが死んでいくのは、何度も見送った。だから死というものが身近なものだということは、よく分かっていたはずなのに。

 それなのに――先生が、死んでしまうかもしれないという事実を。

 ここにいる誰もが、まるで想像すらしていなかったのだ。


 先生の死という現実を前にして、時が止まったように悲しみに暮れた、私たち。

 ……それでも、時計の針は否応なしに進んでしまう。悲しんでばかりも、いられなかった。

 この孤児院の管理者ということになっていた先生が正式にそういうことになってしまった以上――私たちのもとにも、変化は否応なしに訪れることになったから。


 偉そうな人たちがしばらくの間は色々な手続きとか、今後の相談とかで孤児院を訪れて――その対応に追われるのはいつも、私だった。

 あの人から任されてしまった以上は仕方ないし、そもそも私以外がやるとなるとそれはそれで不安ではあるからしょうがないのだけれど。

 そういう話の中では当然、私たちをこのままにしておくべきか――という話題も当然出てきた。

 と言っても「箱庭」にいた時みたいに処分されるとか、そういう物騒な話ではなく。単純に、子供だけで暮らしているべきなのか――ちゃんとした孤児院だとか、あるいは養子としてどこかの家族に引き取られて暮らした方がいいのではないか、みたいなそういう話。

 それは一理あったけど、結局は紆余曲折を経て、私たちはここでこのまま暮らしていくということで話は落ち着いた。

 一番の理由は――もう誰も、離れ離れになりたくなかったからだ。

 ティーもそんな私たちを、支持してくれた。最終的にはなんとこの孤児院の書類上の管理者として、ティーが名乗りを上げてくれることになったのだ。


 そんなわけで、私たちは今も変わらず、ここにいる。

 あれから一ヶ月が経って、ようやく皆も少しだけ、先生がもうどこにもいないという事実を受け入れ始めていた。

 いつまでも、時計の針を止めてはいられない。先生が遺してくれた「今」を、自分たちは進んでいかなければいけない。

 だからだろうか。むしろ皆はいつも以上に、「いつもどおり」であろうと振る舞っている。

 六花たちは相変わらずうるさいし。ちびっこたちは相変わらずよく動く。

 気弱だった三七守はちょっとだけ、たくましくなったかもしれない。

 ……私たちが兵器だっていう事実は誰もが知るところになったから、学校などでは色々と――まあ色々と、ありもするけれど。

 それでも概ね、私たちは皆元気にしている。

 前を向いて、一日一日を、自分の足で歩み続けている。

 ……そう。

 あの子、ただ一人以外は。


 ……日記を畳むと、私は同室のあの子の机の上にある、一枚の写真を見る。

 それはポラロイドカメラで撮影された、少しよれたカラー写真。

 被写体となっているのは二人の人間。一人は薄桃色と白のまだら色の髪の少女で、もう一人は――仮面を着けた黒髪の、軍用コートを着込んだ長身の人物。

 背景は、どこかの街角のようだ。少女の左手は仮面の人物の右手を照れくさそうに掴んでいて、その顔にはどこか恥ずかしげな、けれど花が咲いたような明るい笑顔が浮かんでいる。

 それはまるで、幸せな時間をぎゅっと押し込めたような一枚で。

 けれどそれが永遠ではなかったことを、私は既に知っている。

 痛いほどに、痛すぎるほどに、知っている。


     ■


 そろそろ夕方になってきたから、カーディガンを羽織って――それから彼女の分のケープも持って、私はいつもの場所へと向かった。

 本棟を出て、少し歩いた先。そこにひっそりと佇む、小さな温室庭園。

 六花たちが直したはずなのに、それでもやっぱり建て付けの悪い扉を開けて――中に入ると、彼女の声がした。

「先生?」

「違う。私」

 入ってきた私の顔を見て、彼女……九重は一瞬しょんぼりとした顔になって、けれどすぐ、いつもと同じ微笑をたたえる。

「ああ、すみません。……また間違えてしまいました」

「別にいいけどね。それより、寒いでしょう」

「ええ、まあ、少し」

 そう返す彼女の元へと歩み寄ると、その肩にケープを掛けてやる。「ありがとうございます」と頭を下げる九重。その指には彼女の髪の色と同じ、薄桃色の石があしらわれた指輪がはめられている。

「うらやましいですか? 八刀さん」

「……まあ、少しはね。これよりは、飾り気があるし」

 そう言いながら私もまた、自分の右手の薬指を一瞥する。

 そこにはまっていたのは、銀色の簡素な造りの指輪だった。

 「抑止剤レジスター」。先生がずっと試行錯誤していたプロトタイプに連邦からの技術供与を組み合わせて造られた、新型の抑制剤だ。

 リングの中に薬液が封入されており、こうして指につけているだけで体内に微量の抑制剤が吸収され、「聖痕症候群」の進行が抑えられる――というものらしい。

 今回の先生の一連の事件がきっかけになって、帝政圏でもおおっぴらに「聖痕症候群」の治療のための研究が進むようになった。その成果物として造られたのが、この指輪。

 ……とは言っても、それも完全には程遠い。既に発症して久しい症状についてはやはり根本的な改善は難しいというのが研究者たちの見立てだったから、私の目や三七守の心臓、それに九重の体についても――もとに戻るということはないらしい。


 目の前にいる九重の姿を、見る。

 髪の毛は前よりも増して、半ば以上までが白くなったし――何より彼女はもう、歩けなくなってしまった。

 あの日の戦闘で力を使いすぎたせいもあるだろうし、そもそもがもう、彼女という聖女にとっての限界であったのかもしれない。

 あれ以降、彼女の足は完全に動かなくなり。……こうして車椅子での生活を余儀なくされていた。


「……いつも手間をお掛けします。八刀さん」

 私の視線に気付いてか、苦笑しながらそう告げる彼女に、私は慌てて首を横に振る。

「手間なんて、そんなこと言わないで。私はそんなふうに、思ったことはないんだから」

「ふふ、ありがとうございます」

 そうたしなめながら、私は彼女の座るティーテーブルの上に置かれた一冊の本に目を移す。

「何を読んでたの、今日は」

「『白夜姫』というおとぎ話です。聞いたことはあったのですが、読むのはこれが初めてで」

「どんなお話?」

「ざっくり言ってしまえば、救いようのない悲しいお話でした。カイさんが差し入れにって下さったんですけれど、あまりいいチョイスではありませんでしたね」

「全く、あの人は」

 カイさん、というのはティーと同じく情報部所属の人で、九重奪還の時に協力してくれていた「エイプリル2」その人だ。

 元々は連邦に所属していたらしいけれど、本人曰く「色々あって」今は帝政圏にいるのだという。

 ティーと共に私たちの面倒を見てくれる、気さくないい人ではあるのだが……たまにこう、デリカシーに欠ける部分があるのはよろしくない。

 ……そんなどうでもいい話で盛り上がっていると、不意に彼女が、咳をした。

「大丈夫、九重?」

「ええ、すみません。……やっぱり、風に当たりすぎるのはよくないですね」

 以前にも増して生気のない白い顔でそう笑う彼女に、私は心配になって問う。

「辛かったらすぐ、ティーさんに連絡するけど」

「大丈夫ですって。んもう、八刀さんは心配性なんですから」

「貴方みたいにすぐ無茶をしようとする妹を持つとね、そうなるのよ」

「あはは」

 力なく笑う彼女に肩をすくめながら、私は赤く染まりつつある夕空を見上げて続けた。

「どうする、そろそろ戻る?」

 そんな私の問いに、九重は少しだけ悩んだ後。

「……すみません、もう少しだけ、待っていたいです」

 返ってきたのは私の予想した通りの、そんな答えだった。

 手元の懐中時計を確認する。午後四時過ぎ。もうちょっとしたら夕食の時間だけれど、まだ少しだけ、時間はあるか。

「……じゃあ、また来る。何かあったらすぐ、端末で呼んでよね」

「分かりました、すみま……」

「『すみません』じゃない。『ありがとう』」

「……ありがとう、ございます、

 苦笑しながらそう返す彼女を見つめて、私は若干後ろ髪を引かれながらも庭園を後にする。


 ……あの日、先生がいなくなってから、毎日彼女はこうして、この温室庭園であの人のことを待っている。

 体の調子が思わしくない日でも、雨の日でもお構いなしに。「今日こそ帰ってくるかもしれないから」と言いながら、彼女はずっとここにいる。

 そんな彼女に――私たちは悩んだ末、先生が亡くなったことを伝えなかった。

 言ってしまったらきっと、彼女を今ここに繋ぎ止めている何かが、今度こそ完全に……なくなってしまうような気がしたから。

 それがどれほどに残酷なことかは、分かっていたけれど。

 それでも私たちは――彼女の時計の針を止めることを、選択したのだ。


 ――。

 これで、良かったのだろうか。

 あの幸せそうな写真を見るたびに、九重とこうして言葉を交わすたびに、私はそう思わずにはいられない。


 ――幸せな終末。めでたし、めでたし、で幕を閉じることができるのは、それが単なる物語に過ぎないからだ。

 どんな物語にも、ハッピーエンドは訪れる。それがたとえどんなに辛くても、苦しくても、幸せな一瞬で時計の針を止めることができればそれは、幸せな終末ハッピーエンドたりうるからだ。


 けれど世界は、そうではない。

 時間が進めば、世界というものはいとも簡単に変容を遂げてしまう。刹那に掴んだ儚い幸福は、いとも簡単に現実という名の残酷な蛇に呑まれて消えてしまう。

 だから私は、考える。

 二人が選んだその道の、その果てに得たであろう答えについて、思いを馳せる。

 これで、良かったのだろうか。

 常にそう自問しながら――私も世界もまた、時計の針を進め続けている。

 彼女だけをただ一人、止まった時の中に置き去りにして。


 ……だからこそ。この物語はきっと、私が語らなければいけないのだと思う。


 あの写真に写った、二人の話を。

 いつかここにいた一人と、ずっとここにいる一人の話を。


 これは――幸せな終末の、あるいは醜悪なる蛇足のその先の話。

 優しくて残酷な、嘘つきだらけの物語だ。

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