■ex file:インソムニア-XⅥ(3)



 ――。

 それからというものの。奴は有言実行とばかりに、毎日のようにわたくしの定位置まで足を運ぶようになりました。

 いや、まあ。わたくしもイヤなら場所を変えればいいのですが――それはそれでなんだか負けたような気がするので釈然としません。

 わたくしはわたくし自身にのみ従って動くのです。こんなことでお気に入りスポットを手放すなんて、わたくしの美学に反する行為です。

 ……とはいえ、現実問題として困ったことも出てくるもの。それが何かと言えば――一七葉自身のことでした。

 わたくしを行動を共にするということはつまり、訓練などをボイコットするということ。

 わたくしほどに超絶優秀ならばまだしも、あんなアホアホ劣等生が真似すれば即刻廃棄物スクラップ行きもあり得る愚行です。

 ……別に、彼女のことが心配なわけでは断じてありませんでしたが。とはいえ間接的にとはいえ。完全な自業自得とはいえ彼女がそんなことで「処分」されるのも寝覚めが悪いというものです。

 そこでわたくしが選んだのは――まっこと業腹なことですが、授業に出席するという手段でした。

 もちろん、また模範的に全部の訓練や座学に参加するなんていうのはわたくしの美学に反しますから。わたくしが選ぶのは、あくまで最低限――一七葉の現状の成績でこれだけは落としたら拙い、というような必須の授業のみでした。

 久方ぶりの参加だったこともあり、最初は奇異の視線もいくぶんかはありましたが、そう時間も経たぬうちに皆はまたわたくしや一七葉を受け入れるようになっていました。

 聖女たちに特有のある種の淡白さもあるでしょうが――何より一番の理由は、わたくしたちが「強かったから」でしょう。

 わたくしは言うまでもないことですが、一七葉の方も、ペア訓練などでわたくしとつるんでいる間にだいぶ腕前を上げていたのです。

 もともと秘蹟自体は強力で使い勝手のよいもの。彼女の場合は、聖痕症候群(後々知りましたが、どうやら彼女のそれは血液系の異常のようでした)に伴う体力のなさがネックでしたが――わたくしとつるんでいるうちにどうやら巧く「手を抜く」ことを覚えたらしく。

 別次元の存在であるところの「一桁台」を除けば、この「箱庭」においてわたくしたち二人はいつの間にか、聖女たちの中でもトップ層に躍進していたのでした。……いやはや、さすがはわたくしです。


 とはいえ、そんな変化があったからと言って、わたくしがサボりをやめたわけではありません。いやむしろ、サボるべき時にはしっかりとサボるのが今も以前も変わらぬわたくしのスタンスなのです。

 特に、よく晴れたこんな日のお昼。不味い固形糧食でお腹を膨らましたわたくしたちは、午後の訓練などどこ吹く風でいつもどおり、あの木の枝のハンモックにぶら下がっていました。

 くうくうと、隣で聞こえるのは一七葉の寝息。しばらく一緒にいて分かったことですが、こいつは本当に、寝るのが上手いのです。

 授業中だろうが訓練中だろうが、休み時と見てとるやあっという間に眠りの世界に旅立って、くーくーと呑気で平和そうな寝息と寝顔とを垂れ流す。

 ……まっこと、憎たらしいくらいに幸せそうに眠っているのです。

 超優秀なわたくしでもちょっとだけ、羨ましく思うほどに。


 隣でじっと寝顔を眺めていると、やがて彼女はぱちっとその大きな目を開けました。

「おはよーさんデス、イムヤ」

「なにがおはよーですか。自由な寝相でよく寝たものですわ」

「よく寝たデス」

 ふあぁ、と大あくびをぶっこいた後、彼女はわたくしを見て不思議そうに首を傾げました。

「ふと気になったんデスが、イムヤはなんでいつも起きてるデスか。イムヤが寝てるとこ、ワタシ見たことないデス」

 まじまじとわたくしを見つめながらそう問うてくる彼女。

 変なところで勘のいい――そう思いながら、わたくしは鼻を鳴らして視線をそらします。

「どうでもいいでしょう、そんなこと」

「よくないデス。イムヤとワタシ、相棒デス」

「何でそうなる」

「同衾している仲でショウ」

「言葉を選んでくださいまし」

 ぶっきらぼうにそう返しつつ。

 いきなりこんなことをのたまった奴に、わたくしは少しばかり面食らっていました。

 友達、なんて。そんなことをこのわたくしに言ってきたのは――これまでの人生の中でもこいつだけだったのです。

 だから、でしょうか。わたくしとしたことがつい、口を滑らせてしまいました。

「……『聖痕』の、せいですわ」

「ほぇ?」

「わたくしの『聖痕』は、不眠。……わたくし、今までろくに眠ったことがありませんの」

 圧されるままにそう告げて。

 けれどぱちくりと目を瞬かせる一七葉を見て、わたくしは「しまった」と我に返ります。

 ああ、なんということ。何だってわたくしは、こんなことを――そう思っていたその時です。

 目の前で呆然としていた一七葉の両の目から、大粒の涙がだばだばと溢れてきたのです。

「なっ、一七葉!? どうしたんですか一体! どこか痛いところでも!?」

「ちがう、デス。ただ……ワタシ、イムヤのこと全然知らないで、ずっと……。……ゴメンナサイ。ワタシ、もうここに、来ないデス――」

「待ちなさいな!」

 取り乱したようにそう告げて、ハンモックから飛び出そうとする一七葉。しかし慌てていたせいもあるでしょう、バランスを崩して落ちそうになってしまいます。

 そんな彼女の手を思わず掴んで――わたくしは「重力制御」を発動。すると腕に伝わる彼女の重みがふっと軽くなって、わたくしは見事、一七葉の一本釣りに成功しました。

 ……代わりに、勢いがよすぎてわたくしの上に奴がのしかかるような体勢になったのは業腹ではありましたが――とはいえ一七葉がもしも怪我をするようなことがあれば、そちらの方が一大事です。

 聖痕症候群によって慢性的な血球減少を来している彼女は、それゆえに血小板――いわば出血を止める仕組みも少ない。彼女の場合はひとたび怪我でもすれば、血が止まらなくなってしまうのですから。


「間一髪ですわ……。全く、わたくしを下敷きにするなんて、いい度胸してますわ」

「ご、ゴメンデス、イムヤ……痛くないデス?」

「わたくしの秘蹟制御を甘く見ていただいては困りますわ」

 ハンモックの上で、押し倒されるような格好のまま鼻を鳴らすと、わたくしは今も泣きそうな顔になっている一七葉の――その鼻頭を指でちょいとつつく。

「ぎゃん!?」

「顔が近いですわ」

 のけぞった彼女を見て意地悪く笑いながら、わたくしはため息混じりに、ぽつりと呟く。

「……全く。一七葉のくせに生意気ですわ。わたくしの心配をするなどと」

「デモ、イムヤ……」

「でももだってもありませんわ」

 ぴしゃりと言い放つと、わたくしは上に乗っかったままの一七葉をじっと見つめる。

「確かに、眠れないわたくしの隣で貴方がアホ面を晒してよだれを垂らしながらひっどい寝相で眠りこけているのを見るとイラっと来るのは事実ですわ」

「よだれ垂らしてなんてないデス……」

「うるさいですわよ」

 もう一度そう言い放って黙らせた後で、わたくしは「けれども」と言葉を続けて。

「……眠れないわたくしの隣で、貴方が眠っていて。それは確かに少し、妬ましいですけれど。だけど――貴方の寝顔を見ていると少しだけ、ホッとするんです」

「え……?」

 こちらをじいっと見返す彼女を前にして、わたくしは急に、なんだかすごい恥ずかしいことを言っているような気になりながら――けれどもういまさら止めることもできず、顔をぷいと横にそらしたままで呟きました。

「貴方のいかにも幸せそうな寝顔を見てると。なんだかわたくしも、一緒に眠っているような。……そんな気分に、させられるんです。だから一七葉」

 そう言って、耳までなんだか熱くなるのを感じながらもわたくしは泣きべそかいた彼女の顔を真っ直ぐに見て。


「いなくなるなんて、言わないで下さい。わたくしの隣に、いてください、一七葉」


 勢いに任せてそう告げると――一七葉はぽかんとした顔で瞬きを繰り返して。

 それからやがて、いきなり感極まった顔になってわたくしに抱きついてきやがりました。

「イーーーームーーーーヤーーーーー!!!!!!」

「ぎゃあ! 何をするんですか一七葉!」

「イムヤ、イムヤ、イムヤー!! わかったデス、ワタシ、イムヤとずっと一緒にいるデス! ずっとずっとずっと、おはようからおやすみまでイムヤと一緒にいるデス!! ずっとずっとずーっと、イムヤと一緒にサボるデス!!」

「ええい息苦しい、暑苦しいですわ! あと貴方はもう少し訓練に出なさいな! 最近は少しマシになったとはいえまだ守衛官たちに目をつけられてるでしょう貴方!」

「また明日から考えるデス! 今日はやらなきゃいけないことがあるデス!」

「はぁ?」

 そんなアホなことをのたまうと、彼女はわたくしからぱっと体を離して、何やら自信満々な顔になってこう告げる。

「決めたデス! ワタシが、イムヤのこと絶対寝かせるって!」

「寝かせるって、貴方……何を」

「ワタシ、子守唄歌ってあげるデス!」

 ドヤ顔で、何を言うかと思えば。

 わたくしの不眠は、彼女が思っているよりも遥かに根が深いのです。かなりの強度の睡眠導入剤を飲もうがぴくりとも効果はなし、仮死状態クラスの強い鎮静を掛けられてようやく意識が落ちる程度。

 日が沈んで皆が寝静まっている間も、わたくしだけがただ一人、世界を認識している。それがわたくしという存在に刻み込まれた、聖痕なのです。

 それを子守唄、などと――アホくさい話ですわ。

 です、けど。

「イムヤイムヤ、ささ、ぎゅーっと。ぎゅーっとするデス」

「ぎゃあ! また何抱きついているんですか、貴方!」

「ポカポカした方がよく寝られるデス!」

 謎の自信をたぎらせながらわたくしを抱きしめて横になると、彼女はその能天気な、けれど優しい声で歌い始めます。

 そのメロディには、聞き覚えがありました。図書室にある、古めかしい音声記録媒体に入っていた曲。「箱庭」にいるわたくしたちが知っている、唯一の音楽。

 わたくしは一度くらいしか聴いたことはなかったですけれど、それでも彼女の歌声が妙に上手で――それがなんだか腹立たしいやら何やら。

 一七葉のくせに、生意気ですわ……なんて、言ったか言っていないかは、定かではありませんでした。

 ふんわりと温かくて柔らかい、一七葉の胸の中。

 包み込まれながら心地の良い歌声に耳を傾けているうちに――そう。

 驚いたことに。

 わたくしは……気付けば彼女の胸の中でぐっすりと、眠りに落ちていたのです。

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