■ex file:インソムニア-XⅥ(2)
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識別コードA-016、個体識別名「一六矢」。
製造年1937年、初期型である
在籍していた五十二番工廠での成績は座学、実技ともにトップ。
宿した秘蹟は「重力制御」。破壊力のみならず、味方への補助にも高い有用性を発揮するその汎用性の高さは一桁台と比較しても見劣りせず。
そんなわたくしのことを、周りの研究者たちは皆、こう呼んでいました。
稀なるもの。貴きもの――すなわち、「貴種」と。
訓練過程を修了し、「箱庭」へと送られてからも、わたくしは彼らの言ったとおりに優秀であり続けました。
「箱庭」にはわたくしと同じようによその工廠から送られてきた聖女たちが何人もいましたけれど、そんな彼女たちと比べても――わたくしは圧倒的だったのです。
戦術論も、教養学も。実技訓練も、秘蹟の操作も。
既に実戦投入が済んでいた一桁台と比べれば、どうだか分からないですけれど。
少なくとも訓練中だった聖女たち――その中で言えばわたくしは、あらゆる面において完璧な聖女と言ってよかった。
……だから、でしょうか。
「箱庭」に来て一年もしたころには、わたくしはもう、どうでもよくなってしまいました。
最初のうちはわたくしも人並みに、やる気はあったのです。
一桁台の彼女たちのように、早く一人前の聖女となって祖国のために戦うのだ……なんて、そんな立派なことを思っていたこともありました。
けれど――待てど暮らせど一向に、わたくしが実戦投入されることはなかった。唯一訓練課程に残っていたA-008「八刀」さんも同様――どういった理由かは分かりませんが、とっくに規定の訓練過程を満了していたにもかかわらず、わたくしたちが「箱庭」を出ることはなかったのです。
いくら訓練で、座学で一番を取ろうとも同じ。
ずっとわたくしたちはこの「箱庭」で、いつ終わるかも分からない訓練を続けるだけ。
それに気付いてしまったから――わたくしはもう、すっかりそういったことへのやる気を失ってしまったわけです。
座学も訓練も、何もかもがどうでもよくなったわたくしは、いつしかそれらをサボタージュするようになりました。
流石に全く出席しないとなると色々と面倒事になると思ったので、時折言い訳程度に顔を出して、それだけ。
教導の守衛官たちもわたくしの成績を知っている以上はあまり強いことも言えないようで、わたくしを止めるものはもう、誰もいませんでした。
――。
教練課程の開始時刻を告げる鐘の音を聞きながら、わたくしは校舎とは反対方向に広がる雑木林へと足を踏み入れていく。
中央管理棟へと続く雑木林。その中にある、一本のひときわ大きな木――木漏れ日がきれいなその枝の上が、わたくしのお気に入りの場所。
たまたま見つけた守衛官たちの私物らしいハンモックをくすねて、そこに結びつけてあるのです。まばらに茂った葉の隙間から届く適度な日陰の中、ハンモックに揺られながら目を閉じるのは――夜中に固い寝台で横になっているよりもよほど、わたくしにとってはいい息抜きと言えました。
……そんなわたくしの、憩いの場。
誰も知らないはずの、秘密の場所。だというのに。
そんなある日、そこにはなんと、先客がいたのです。
……それが、彼女――一七葉との、出会いでした。
「「……あ」」
木の上のハンモック。その中で丸まっていたそいつとわたくしと、目が合いました。
それから十秒くらい、お互いに見つめ合っていたでしょうか。やがて先に口を開いたのは、わたくしでした。
「そこは、わたくしの特等席ですわ」
わたくしがそう告げると彼女は、びくっとして怯えたように震えるのです。
柔らかそうな金髪の、すらっとした少女でした。身長はわたくしよりも高いでしょう、全体的に色んな意味で大きいくせに、けれどその表情だけは妙に怯えた様子で。
そんな彼女の顔を見て――わたくしはすぐに思い出していました。
彼女の名前は確か、A-017「一七葉」。わたくしよりも半年くらい遅れてこの「箱庭」に来た聖女。連番だったからなんとなく、覚えていたのです。
成績は下の上。実技試験は特に不得手で、おそらくは彼女の
保有する秘蹟は「発火」――わたくしほどではないにしろ有用なものですが、どうやら使い手としてはまだまだ未熟なようです。
そんな彼女の普段の行状を思い出すにつれて、わたくしの回転力の高い頭脳はすぐに彼女がここにいる理由を理解しました。
「……ああ、貴方さては、サボりですわね」
図星だったようです。わたくしの言葉に、彼女の肩はびくーんと震えていました。
そんな彼女にサディスティックな部分が刺激され、ついわたくしは言葉を重ねてしまいます。
「この『箱庭』で訓練をサボるなんて、随分とだいそれた事をしますわね、貴方」
「う。…………あ、アナタだって、サボってるじゃないデスか。なんなんデス、アナタ」
何故か片言みたいな調子でそう返してくる一七葉に、わたくしは若干の落胆を覚えます。ああ、なんということでしょう。この超絶優秀なわたくしのことを、聖女のくせに知らないとは。
もはや憐れみすら感じながら、わたくしは彼女に名乗ってやることにしました。
「わたくしはA-016。ここに来てからは、『一六矢』という呼び名をつけられましたわ。……で、一七葉さん? 貴方の方はどうして、こんなところでサボっていらっしゃるんですの?」
それはもう、とっくに答えの分かっている意地悪な質問だ。
けれどわたくしの意図に気付くこともなく、彼女は怯えた顔のまま、正直にぽつりと呟きました。
「……な、なんでって。嫌に、なったから、デス」
「授業についていけないから、ですか?」
「う……」
やはり図星らしい。大仰に肩をすくめてみせるわたくしに、彼女はむっとした様子で弱々しく抗弁する。
「な、なんデスか。そっちだってサボりじゃないデスか」
「わたくしのサボりは、貴方みたいなやぶれかぶれのサボりとは違うのですわ」
「やぶれかぶれって」
一言で切り捨てると、わたくしはハンモックの中で揺れている彼女を静かに睨み、続ける。
「さあ、分かったらさっさと授業にお戻りなさいな。貴方のような美学のないサボりに、わたくしの特等席を温めさせるわけにはいきませんわ」
そんなわたくしの言葉に、渋々従って降りてくる彼女。
視線を合わせずに無言で立ち去っていくその背中を見送ると、わたくしは「重力制御」で跳躍して定位置に潜り込む。
ぽかぽかとした木漏れ日。頬を撫でる、爽やかな風。たった一人分の特等席。
ただ一人、わたくしだけがここにいると――そう実感できる場所。
この「箱庭」で、わたくしはいつも一人。わたくしに並び立つ者なんて、誰もいないから。
だからここには、わたくし一人だけ。
……それでいいと、わたくしはそう思っていました。
――。
次の日。また、奴は来ました。
「また、来たんですの」
ハンモックに寝そべりながら呆れ混じりに告げたわたくしに、一七葉はやや怯えたような、けれど何やら妙な意志を感じさせる青い瞳で答えます。
「アナタのこと、聞きまシタ。成績優秀で、訓練での実績も抜群。なのにたまにしか授業や訓練に出てこない――ド変人って」
「変人とは、随分な言い草。貴方みたいに気の抜けた喋り方をする人にそんな風に言われたくないですわ」
「こ、これは……言語調律のエラーでワタシだけこうなっただけデス! それに、変な喋り方って言うならアナタだって」
「おや、聞き捨てならないことをおっしゃいますわね」
この「箱庭」ほどに広いわたくしの心ですが、今のは少しかちんと来ました。
この分かりの悪い劣等生に、少しばかり教育して差し上げる必要がありそうです。ハンモックから飛び降りて彼女の目の前に着地すると、わたくしは胸をそらして言いました。
「いいですか。『貴族』とは、こういう喋り方をするものなのです」
「…………は?」
わたくしのそんな台詞に、呆気にとられた様子でぽかんと口を開ける一七葉。
そんな彼女の間抜けな顔に鼻を鳴らしながら、わたくしはさらに続けます。
「この『箱庭』に来る前。工廠での期間、研究者たちは超絶優秀すぎるわたくしのことを『貴種』と呼んでいましたわ。『貴種』――つまりは貴きもの。つまりつまり、『貴族』ですことよ。本にそう書いてありました」
「……ひょっとしてアナタ、アホでは?」
胸を張りに張ってそう告げたわたくしに、何を思ったか奴め、そんなことを言いやがりました。これには温厚さでも他の追随を許さぬわたくしと言えど黙ってはいられません。
「アホとはなんです、アホとは。ぶん殴りますわよ」
「いひゃいいひゃい、いひゃいれふ」
余計なことしか言わない一七葉の口をぐにぐにとこねくり回してやった後、頬を押さえて涙目になっている彼女に向かってわたくしは改めて問うことにしました。
「で、一七葉さん。貴方は何でまた、ここに来たんですの」
そんなわたくしの質問に、彼女は少しだけ目を伏せた後、決心したように言いました。
「……どうすればアナタみたいになれるのかと思って。ワタシ、もっともっと、強くなりたいデス」
そんなことをのたまう彼女を、わたくしはしばらくじいっと見つめて。
それからやがて、小さくため息をついた後にこう問うのでした。
「『強くなりたい』。それはご立派なことですし、守衛官の皆様方も喜ぶでしょうが――貴方は一体どうして、強くなりたいんですの?」
「え?」
目をぱちくりさせて訊き返してくる一七葉に、わたくしは肩をすくめる。こいつ、何も考えていなかったというのでしょうか。
「どうしてって、それは……」
「強くなって、戦場に送り出されたとして。その先に、一体何があると言うのです?」
「それは、そこで戦って、皆のために……」
「で、その先は」
「…………ぅう……………」
あっさりと撃沈してしまいました。
涙目で俯く彼女から視線を外して大きくため息を吐くと、わたくしは横目で彼女をちらりと一瞥しながら続けます。
「『頑張りすぎず、ほどほどに』――これがわたくしのモットーです。……考えなしの頑張りなんて、単なる体力の浪費ですわ。まずはご自分を知りなさいな」
「自分を……」
「ええ、そうです。貴方自身の能力を、その限界をお知りなさい。それも分からずにもがいていたところで、ただ力尽きて溺れるだけですわ」
今かーなーり良いこと言った気がしますわ、わたくし。
我ながら思わず鼻の穴が膨らみそうになるのを感じながら、どうにかすまし顔でそう言ってやりました。
これだけやり込めれば、これ以上わたくしに近付いてこようともしないでしょう。そう確信しながら彼女の返事を待っていると――
「わかったデス」
ぽつりとそう告げて、一七葉はわたくしを妙に熱のこもった視線で見つめると――こう続けたのです。
「じゃあワタシ、イムヤを見習いマス。イムヤを見習って、サボる練習をするデス!」
「は?」
思わず、間の抜けた声が出てしまいました。
何言ってやがるのでしょうか、このアホは。
「何言ってやがるんですか、このアホは」
思わず思ってる通りの言葉が出てしまいました。
「アホじゃないデス。ワタシ、イムヤに言われて今よーく考えたデス」
「それってたかだか数秒じゃありませんこと?」
「数秒よーく考えたデス」
やっぱりアホですわこいつ! 頭を抱えるわたくしに構わずこのアホちゃんはどんどん一人で突っ走って話を進めていきます。
「イムヤの言う通りだったデス。ワタシ、とにかく頑張って強くならなきゃって思って、結局のところ何もできてませんでシタ。急いてはコトを仕留め損ねるデス」
「微妙に物騒っぽい慣用句を捏造しないで下さいまし」
「ところでコトって誰デス」
「知りませんわ」
さっきまでのしょぼくれた態度はどこへやら、何だか妙な気合の入った剣幕でふんすと鼻息を荒くして、一七葉はわたくしの手を掴んできました。
「イムヤ。今日からワタシ、イムヤのことを師匠って呼ぶデス!」
「はぁ!? 冗談じゃありませんわ!」
「師匠がイヤならフツーにイムヤって呼ぶデス!」
「そういう問題ではなく!」
……とまあ、そんなこんなで押し合いへし合いした挙げ句。
なんだかんだでこのアホアホのアホちゃんとの付き合いが、始まってしまったのでした。
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