■1──識別コードA‐009(2)


    ■


 ──記録番号1942‐05‐18。


「聖女計画」。遺伝子改変による人類超越種の創造計画。

 大戦中、連邦軍部特殊神学機関──「アカデミー」を主体として秘密裏に推し進められたこの計画は、ごく端的に述べるならば、つまりは「超人の兵士」を生み出す研究である。

 受精卵レベルでのDNA操作を施すことで遺伝子異常を誘発させ、「異能」を保有する進化人類を人為的に生み出し、兵士として運用する。

 平時であれば決して許されないであろう、そんな道理の外にあるた研究も──戦争という熱病の中にあっては驚くほどに簡単に認可され。

 そして、「彼女」たちが生み出された。


 ──。

「おっけー、準備完了!」

 アカデミー直轄訓練研究施設、通称「箱庭」。

 学舎棟の正面に広がる運動場に、はつらつとした声が響き渡った。

 声の主はA‐060、個体識別名「りつ」。動きやすいようにサイドで結んだ長い金の髪が特徴的な、背の高い少女だ。

 他の聖女たちと比べて均整のとれた女性的な体つきを薄手の運動着に包み、の下に惜しげもなくその白い肌をさらしている。一見、学生の体育の授業にも見える光景だが──しかし彼女の手にあったのは、模擬戦用の木剣が装着された小銃だった。

「みーちゃん、そっちはどう?」

「あっ、うん、大丈夫!」

 小銃を支えにぞんざいにストレッチをしながら、そう声を掛けるりつ。答えたのは、彼女の対面五十メートルほどのところに立っていた──同じく運動着姿の少女だった。

 りつと対照的に小柄なたい。肩口までのプラチナブロンドの髪に、ケイバー分類Ⅱ度の薄青色の瞳。この春の陽気の中だというのに首にはマフラーを巻いている。

 人形のように愛らしい顔立ちに、しかし不安の色を浮かべながら彼女──A‐037「もり」はよたよたと小銃を構えて、

「い、いつでも準備完了だよ、りつちゃん!」

 周囲を囲む、同じくらいかもっと幼い少女たちから「頑張れー!」とげきが飛ぶ中、対するりつは彼女の返答に満足そうにうなずいて、

「おっけ。じゃあ、始めようか──!」

 そう宣言するやいなや、大股に一歩を踏み出す。

 瞬間、彼女の姿がかき消えて。辺りにじんが巻き起こると同時に、次の瞬間にはりつの姿はもりの真正面にあった。

「もらった!」

 下段から、銃剣での斬り上げ。回避することのかなわない、必殺のタイミングの一撃は──しかしもりには届かなかった。

 一体どうしたことか。銃剣の切っ先は彼女の肌から数センチ先で、何かにはばまれたかのように静止していたのだ。


せき」と呼称されるそれは、遺伝子改変の末に彼女たちが獲得した異能の力。

 りつのそれは、「加速」──自身の身体速度及び認識・思考を加速する異能。

 もりのそれは、「絶対防御」──周囲の空間の連続性を断つ特殊な力場を展開することであらゆる攻撃を防ぐ異能である。


「っ!」

 攻撃がはばまれたことを察知したりつは素早くやいばを引くと、続けざまに数発射撃。しかし放たれたゴム弾はやはり、もりには届かなかった。

 もりの方も反撃に銃剣を突き出すが、これもりつの肌を軽くかすめるだけ。数度の接近戦の応酬を繰り返した後、りつは軽く後ろに跳んで──その顔に楽しげな笑顔を浮かべる。

「さっすが。腕を上げたね、みーちゃん! ……けど!」

 つぶやくやいなや、りつは再びもりに肉薄。至近で銃撃をいた後、銃剣を大きく振りかぶって──しかし、

「えっ!?」

 今まさに振り下ろそうとしたタイミングで、もりの眼前からその姿が消えて。

「りゃあ!」

 れつぱくの声と共に、「加速」で背後に回り込んでいたりつの一撃が振り下ろされ──そのやいばは、もりの首筋に触れたところで止まる。

 今度ははばまれたのではなく、りつ自身が止めたのだ。

 もりの「絶対防御」は、今の所の彼女の練度の問題もあって完全ではない。こうして反応しきれないタイミングでの攻撃や不意打ちには、防御を展開するのが追いつかないのである。


 停止した二人を、横合いでじっと見つめていた黒髪の少女。

「……勝負あり。りつ貴方あなたの勝ちよ」

 分厚い眼鏡を直しながらそう告げた彼女はA‐008、「」。

 静かな、けれどりんとした彼女の声が響くと同時。観念した様子でその場に尻餅をつくと、もりは静かにつぶやく。

「……負け、ました」

「やったー!」

 大きく拳を突き上げて喜んだ後、彼女は座り込んだもりに手を差し伸べ、満面の笑顔で続ける。

「やー、よかった。やっとみーちゃんから一本取れたよー」

「やっと、って言っても。能力を使わない戦闘訓練ではわたし、りつちゃんには全然勝ててないです……」

「なに言ってるのさみーちゃん。私たちは『聖女アーテイフアクト』なんだから。せきを使ってなんぼでしょ。……ねえ、やっちゃん?」

 そう言って同意を求めるようにへと顔を向けるりつ。そんな彼女に、は切れ長の目をすっと細めて告げる。

「……せきを使用して、歩兵単騎で一個師団と同等の戦力を展開する。それが私たちの運用デザインよ」

「でしょー」

「けれど能力を思い通りに発揮できない場合、あるいは能力のみで対応しきれない局面もありうる以上、兵士としての基本的な戦闘技能を習得しておくことも重要となるわ」

「むう」

「そう、ですよね……」

 なぜか二人共落ち込んだかと思うと、舌の根も乾かぬうちにりつは「じゃあ」と声を上げた。

「みーちゃん、もっかいやろ! 今度は能力なしで! あと、やっちゃんも一緒に!」

「ええ、またですか!?」「ちょっと、何で私まで」

「当然! 私たちはまだ実戦組じゃないけど……いつ本当に出撃することになるか分からないんだし、今のうちにやるだけやっとかなきゃ!」

「それは、そうですけど……」

聖女アーテイフアクト」たちはこの「箱庭」で兵士としての訓練を積んだ後に、戦力として戦場へと派遣されることになる。

 彼女たちはまだ訓練中の身。周りでやいやいと騒ぎ立てている幼い少女たちも皆、そうだ。

 ……そもそも、今のところ実戦に送り出された聖女は初期生産の「九番」まで。……正確に言えば、さらにそこから八番、「」だけを除いた八体のみ。

 現段階で九十八番まで製造された聖女たちの中で──たったの八体しかいないのだ。

 どうしてかと理由を言えば、ひとつは訓練期間の問題。「一桁台フアーストコード」と呼ばれる初期生産組とその次の世代との間には製造年におよそ一年近くも空きがあり、第二世代の聖女たちはまだ十分な訓練期間を経ていないということ。

 そして、は──

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