■1──識別コードA‐009(3)


「ただいま、皆さん。お元気でしたか」

 静かなそんな声が運動場にって。その方向へと視線を向けたりつもりは──ぱっと顔をほころばせる。

「くー先輩!」

ここの先輩!」

 口々に声を弾ませて、そこに立っていた薄桃色の髪に毛皮製の防寒帽をかぶった軍服姿の少女──ここのへと駆け寄っていくと、りつが勢いよく彼女に抱きつく。

「くー先輩、くー先輩ーっ! 大丈夫、してない? 生きてる? 足ある?」

「生きてますし足もあります……それよりりつ、苦しいです、その腹立たしい胸を押し付けてくるのをおやめなさい当てつけですか──」

 そんな調子でもつれ合う二人を、少し遠巻きに見つめる

 ケイバー分類Ⅰ度の薄水色の瞳は、今はどこか、不安げに揺れていた。

「……おかえりなさい、ここの

 細い声でそう告げた彼女に、ここのは少しだけ驚いた顔で。

「はい。さんも、お元気そうで何よりです」

 そう返すと、今度はこちらへと向き直って、満面の笑みで告げる。

「どうも、先生。A‐009、『ここの』──現時刻をもって帰投しました」


 A‐009、「ここの」。彼女は、現在実戦投入されている唯一の聖女である。

 当初、戦場に送り出された聖女は八体。しかし彼女以外は全員、既に死亡しているのだ。

 ……だが。全員戦場で死亡したかと言えば、それは違う。

 008、009を除く一桁台。彼女たちは皆──病床で命を落とした。

 これこそが、だ。


聖女アーテイフアクト」。人を超越した異能を獲得した、作りものの人間アーテイフアクト

 少女たちの得た力は、それはそれは素晴らしいものだった。

 あるいは、念じただけで物体をれきだんする異能。

 あるいは、願っただけで未来の事象を見通す異能。

 そんな、人の領分を超越した力を持った少女たちは──たった数人で一個師団を圧倒し、機甲部隊すら真正面からねじ伏せたと記録されている。

 その成果は研究者たちのもく通りで、なるほど、計画は完全に成功した……かに見えた。


 しかし、この世にそんな上手うまい話はない。

 悲しいかな。そんな冗談みたいな異能をとしも行かぬ少女たちが思う様に振るえるほど、この世界は非常識ではなかったのだ。


 遺伝子の改変による、異能の獲得。受精卵レベルでの大規模なDNAの書き換えは──人ならざる力を付与する代わりに、人として必要な最低限の構成情報を彼女たちから奪い去った。

 遺伝子とは、とどのつまりは生命の設計図である。

 全体の構成を考慮しない無作為な建て増しは当然、屋台骨に負荷を及ぼす。

 ある者は、呼吸器の構造異常による慢性的な呼吸不全。

 ある者は、脊髄神経系の構成タンパク質変性に伴う四肢

 発生段階でのそういった先天異常に加えて、一刻も早い前線への投入を目標とした成長促進剤の過剰投与、脳に直接電磁信号を送り込むことによる圧縮学習。それらに伴う正常な細胞分裂サイクルの破綻。

 ゆがめにゆがめられた彼女たちの体は当然、あっさりと破綻した。

 具体的に言えば──初期生産の九体のうち七体は、生まれて五年以内に一人残らず命を落とした。

 何かを得るには、すべからく何かをうしなう必要がある。

 ……彼女たちの場合、それが命だったというだけの話だ。


 聖女たちの体に、遺伝子に刻まれた致命的なエラー。

 アカデミーはこの有害事象を「聖痕ステイグマ症候群」と呼称して秘匿、「聖女計画」は全面的な見直しを余儀なくされた。

 当然だろう。いつ死ぬかも分からない不安定な兵器に戦況を左右させるわけにはいかない。

 兵器にとって何よりも重要なのはその威力でも戦略的価値でもなく、「いつでも、どんな状況でも同じように使える」という信頼性なのだから。


 くして。既に実戦投入が済んでいた009の利用を除いて「聖女計画」は全面凍結を余儀なくされ、009以降の聖女たちは半永久的に実戦への配備が見合わせられることとなった。

 しかし──彼女たちがそれを知ることはない。

 兵器として生み出されたその本分を全うする機会は永久に訪れないであろうことを、彼女たちは知るよしもなく。

 ……この「箱庭」で、彼女たちはただその時を待ち続ける。



「先生。どうしたんですか、そんなふうにほうけて」

 声を掛けられて、私はいつの間にか目の前でこちらをのぞんでいたここのに気付く。

 の光で視界がくらんだだけだ、と返答すると、

「あんまりまぶしそうには見えませんけどね、そんなふうに

 そう言って彼女は私の顔──その表面をすっぽりと覆う無骨な金属面をでた後、すっとこちらに身を寄せてくる。

「何か、考え事でも」

 真っ青な目が、仮面越しの私を見つめる。深い深いそのあおからわずかに目をそらしながら、私はかぶりを振ってその言葉を否定。代わりに、帰還後のメディカルチェックを提案する。

「ああ、そうでした。先生と二人っきりで密着して、あんなことやこんなことをしたりあんなところを触られたりしなきゃですね」

「……ちょっと貴方あなたここのにふしだらなは」

 していない。無遠慮に殺意をらし始めたに首を横に振って返す。そんな私の白衣の裾をつまんで、ここのはいたずらっぽい笑みを浮かべて続けた。

「行きましょうか先生。今日も診察、お願いしますね」


 自身の体に刻まれた不可避の宿命を彼女たちは皆、知っている。

 五年生存率、11・8%──ほぼ十七人中十五人は、五年の歳月を生きられない。その事実を知りながら、彼女たちは毎日、笑っている。

 A‐009、「ここの」。彼女の製造年は一九三六年──今年で六年目になる、最古参の聖女。

 11・8%のさらに先。不可知の確率のその先を、彼女は生きている。

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