「死ねない聖女と、死にたがりの私。」(2)
*
温室庭園。「見せたいものがある」という四月に連れられて、私は普段あまり行かない外周の植物園区画へと足を運んでいた。
「見て、これ。綺麗でしょ」
そう言って彼女が示したのは、大きく枝を伸ばした一本の木だった。
新しく植えられたのか――見たこともない、桃色の花がいっぱいに咲き誇っている。
一体何という花だろう。そう思っていると、隣の四月が見透かしたように口を開いた。
「さくら、って言うんだよ」
いつにも増して、どこか楽しげにそう告げると、彼女は満開のその花を見上げて微笑む。
「昨日、植えられたばっかりなんだって。造り物なのは味気ないけど、それでもこういうことが出来るのは便利だよね」
と、そんなどうでもいいことを話す彼女に――私はジト目で口を開いた。
「……それで、何で私はわざわざ連れてこられたんです」
「何でって。特に意味はないけど……強いて言うなら、九重と一緒にこの花を見たいって思ったからかな」
「何で私なんですか」
私のそんな問いかけに、彼女はすっと私の頭に手を伸ばすと、
「貴方の髪。とっても綺麗な、さくら色だから」
そう言ってぽんぽんと軽く撫で、穏やかな笑みを浮かべてみせる。
「……答えになってません」
「あはは、そうかも」
私の抗弁にあっけらかんと答えて、彼女は再び「さくら」とやらを見上げて目を細める。
「私、九重みたいな髪の色ならよかったな。こんな、冷たい色じゃなくて」
風になびく、み空色の髪。今ではほとんどが真っ白になってしまったその髪を軽く指で弄びながら、彼女は小さくため息をついた。
そんな四月の言葉に私は、しかし瞼を伏せて呟く。
「……私は、嫌いです」
「どうして?」
「こんな奇妙な色。他に誰も、いませんから」
それだけ返して、私はその忌々しい色の花を見上げる。
薄桃色の花。それと同じ色の自分の髪が、私は嫌いだ。
こんな色の髪、私以外に見たことがなかったから。この髪を自分で見るたびに、私は他の誰でもない「私」というものを否応なしに認識してしまうから。
だから私は、自分のこの髪の色が嫌いで。
何より、私は――
「私は、好きだけどなぁ」
不意に――隣の四月はそう呟いて、私を見ていた。
「貴方のその髪。とってもあったかい色で私は好きだよ。見てるだけで、なんだかぽかぽかしてくるもの。……それに」
彼女の左手が、私の頬に軽く触れて。
「貴方のことも、私は好き。普段はつんけんしてるくせに、実はこうやって私に付き合ってくれてる優しいところとかも――全部ね」
見透かしたようにそんなことを言う彼女から、私は視線をそらす。
その時の私はまだ、そういう時にどんな顔をすればいいのか、分からなかったのだ。
*
ある日、ふとあの「さくら」の木の前を通りがかると、彼女が倒れていた。
「……ちょっと貴方、大丈夫ですか!?」
思わず慌てて駆け寄ると、彼女は生気のない真っ白な顔でぼんやりと瞼を開けて。私の顔を認めるや、ふんわりと笑ってみせた。
「あ、九重。おはよ……」
「おはようって、何を呑気な……。こんなところで何をしてるんですか」
「んー。気付いたら、気を失ってた……のかな。最近多いんだよね、こういうの」
話す内容とは裏腹に軽い調子で笑ってみせると、彼女はゆっくりとその場で上半身を起こして小さく息をついた。
「いやぁ、ごめんごめん。九重がいなかったら私、危なかったかも」
「……冗談にしては悪趣味です」
「う、ごめん」
思わず怖い顔になっていたらしい。珍しく少しばかり萎縮した顔で縮こまると、彼女は軽くスカートの裾をはたいてふらふらと立ち上がった。
見ているだけで危なっかしい。自分だって足の不自由な身だから人のことは言えないけれど、今の彼女は風が吹いただけでも倒れそうなほどに、頼りない。
思わずその肩を支えると、彼女はそんな私を見てふんわりと微笑む。
「ありがと、九重」
「……一体何をしていたんですか、こんなところで」
礼を受け取る代わりにそう問うと、彼女は目を瞬かせた後、
「決まってるじゃない。お花を見てたんだよ」
なんて、そんなことを言う。
「……お花を、って。そんなふらふらの体調でですか」
「ダメかな」
「調律官はなんて?」
「外は出歩くな、ってずっと言われてる」
いたずらっぽい、けれどどこか弱々しい笑みを浮かべて告げる彼女に、私は大きなため息をついた。
「……阿呆ですか、貴方は。そんな体で、わざわざこんなものを見に来なくてもいいでしょうに」
「あはは、九重は優しいなぁ」
そう言って肩を揺らした後、四月は「さくら」を見上げながら、目を細める。
「でもね、九重。違うの。こんな体だから――ここに来たかったんだ」
「……なんで」
「あの人との、約束だから」
そう呟いた彼女の横顔は、いつか――恋の話をしていた時と同じもので。
だから私はすぐに、理解した。
「……貴方が『恋』したお相手ですか」
「えへへ」
少し困ったような、はにかんだような笑みを浮かべる四月に、私はなんとなく面白くないものを感じて口をつぐむ。
そんな私の表情を知ってか知らずか、彼女はぽつりと、口を開いた。
「あの人と、約束したんだ。いつか一緒に、さくらの花を見ようって。だからね、私はここで待っていようと思って。……そうすればきっといつか、あの人がここに来た時、見失わずにまた会えるはずだから」
「……馬鹿なことを」
思わず吐き捨てるようにそう呟いた私に、彼女はけれど、怒るでも悲しむでもなく静かに微笑む。
「かもね。……でも、九重もいつかきっと、分かるよ」
*
「九重」
その日も、あの「さくら」の木の前に四月はいた。
車椅子に座りながら、今日も変わらぬ姿で咲き続ける造り物の花たちを見上げて――彼女は私に気付くといつもみたいに微笑む。
透き通るようなみ空色の髪はもう、どこもかしこも真っ白で。そしてその肌も、髪と同じくらいに生気を失った白さ。
それはまるで――地に落ちた雪の結晶のよう。すぐにでも溶けて消えてしまうんじゃないかと思ってしまうほどに、今の彼女は、不確かだった。
「貴方、また――」
「ちょうどよかった。九重に、お願いしたいことがあったんだよね」
私の言葉を無視してそう告げると、彼女は膝の上に置いていた、一冊のノートを差し出してきた。
「これを、持っててくれないかな」
軍用品だろうか。簡素な、けれど丈夫なつくりのよれたノートだ。開いてみると、中には何やら落書きめいた文字がたくさん並んでいて――けれどそれらを追ううちに、どうやらそれが私たちの名前のようであるということに気付いた。
「なんですか、これは」
「九重たちの、名簿……みたいなものかな。まだ『箱庭』に来てない番号の子のぶんまであるから、新しく来た子にはそこから名前をつけてあげて欲しいんだ。……あ、もし九重や他の子たちが別の名前を考えてくれるならそれでもいいけど――」
そんなことを言う四月に、私は眉根を寄せながら首を横に振る。
「私の知ったことではありません。……貴方がやればいいでしょう、そんなこと」
「そうなんだけど、ね。多分そろそろ――無理だから」
「無理って」
「私――もうそろそろ、死んじゃうと思うんだ」
少し困ったような顔で、四月はあっけらかんとそう告げて。
それから私にぐいとノートを押し付けて、その手を離した。
「だからこれは、引き継ぎ。私から、貴方への」
そう言って笑う彼女をじっと睨んで、私はぽつりと呟く。
「『恋をすると、死ねなくなる』のでは?」
そんな私の指摘に、彼女は苦笑まじりに肩を揺らす。
「もう、九重はいじわるだなぁ」
「ええそうです。私は、意地が悪いんです。だからもう一度言います、そんな仕事は――これからも貴方が勝手にやっててください」
「えへへ。いじわるだし、素直でもない。ほんと、九重はかわいいなぁ」
四月が、笑う。
そうやって笑っている彼女のことが、私には全く理解できなかった。
「……A-004。なんで貴方はそんなに、名前にこだわるんですか。名前なんて――私たちにとっては、あっても辛いだけのものでしょう」
ノートを握った左手に、知らず知らず力がこもる。
「辛い? どうして?」
静かに問う四月に、私は思わず、ノートを持った左手をぎゅっと握りしめながら――声を荒げていた。
「だって、そうでしょう。私たちは、ただの使い捨ての兵器で。そこに『自分』なんて存在しないし、する意味もないはずなのに。……なのに名前なんてものがついてしまったら、私たちは否応なしに『自分』になってしまう」
言葉が、堰を切ったように溢れ出して。私はやけくそみたいに、彼女にぶちまける。
「『自分』なんてものがなければ、何も考えなくて済むのに。名前なんてつけられたら、どうしても先のことを、未来のことを考えて不安になってしまう」
「自分」について考えるたびに、足が震える。
「自分」がそう遠くない先に死ぬという事実を、否応なしに突きつけられるから。
だから私は、イヤだった。
名前で呼ばれることが。「自分」というものが存在していることが、たまらなく耐え難かった。
……なのに。
「なのに――なんで貴方は、私たちに名前なんてつけるんですか」
そう吐き出して、座ったままの四月を睨んで。
彼女はそんな私の言葉を、目を閉じて聴いた後――
「だってそのほうが、寂しくないじゃない」
ぱちりとその深青色の瞳を開けて、穏やかにそう返した。
「確かに九重の言う通り、名前があればそれだけ、私たちはいろんなことを考えちゃうかもしれない。怖くなることもあるかも、しれない。……ううん、『かもしれない』じゃないよね。その通りだと思う。けどね」
車椅子に乗った彼女の視線が、私を見上げて微笑む。
「誰かに名前を呼ばれると、心があったかくなるの。その人が他でもない『私』のことを呼んで、覚えていてくれてるって、そう思えるから。そう思うと少しだけ――怖くなくなる。辛くても、もうちょっとだけ頑張ろうって元気が出るんだ」
視線と視線が、交錯して。
「ねえ、九重」
そうやって私の名前を呼んで、彼女はその左手で――私をぐいと引き寄せる。
弱々しい力。けれどそんな不意打ちに私はたたらを踏んで、彼女の胸元に頭から倒れ込み、抱きしめられるような形になってしまう。
「九重は、九重って呼ばれるの、いや?」
「…………」
私は、答えなかった。
答えてしまえば、私の虚勢を支えている何かが、崩れてしまいそうな予感があったから。
「やっぱり九重は、優しいなぁ」
私を抱きしめたまま、彼女はのんきにそう笑って。それから何かを思いついたみたいに「そうだ」と呟く。
「ねえ、九重。そのノートを引き継いだついでにもうひとつ、お願いなんだけどね」
「イヤです」
「そう言わないでさ。……そのノートをね、ある人に、渡してあげてほしいの」
「ある人?」
眉根を寄せて私がそう問うと、彼女は小さく頷いた。
「うん。レンレンっていうの」
彼女の告げたそんな名前……名前? に、私はいっそう眉をひそめる。
「なんですか、その珍妙な名前は。人間ですか」
「えー。かわいいじゃん」
子供っぽく唇を尖らせた後、彼女は自分の右頬のあたりを指で示して続けた。
「このあたりに、おっきな傷跡がある男の子でね。貴方たちみんなの名前を考えてくれた、すっごい人なんだよ」
はしゃいだ様子でそう語る彼女に、私は内心呆れる。それはまた、どこの誰かは知らないがずいぶんとご苦労なことをしてくれたものだ。
ため息を呑み込みながら、私は半眼で彼女に問う。
「……なるほど。それでそのレンレンさんとやらは、どこにいるので」
「さあ」
「さあ、って」
疑惑の目を向ける私に、彼女はけれどぽやぽやとした様子のまま、「うーん」と可愛らしく唸る。
「一年前に、別れたっきりだから。今はどうしてるのかなぁ」
「どうしてるかなぁ、じゃないですよ。そんなどこにいるかも分からない人に、渡せるはずがないでしょう」
「大丈夫だよ」
私の抗弁に、けれど彼女の返答は短くそして、確かだった。
「レンレンは、きっといつか、ここに来る。だからその時に、そのノートを渡してくれればそれでいい」
「『箱庭(ここ)』に、って。その人は、アカデミーの研究員かなにかなんですか」
連邦の最重要機密施設であるところのこの場所。知っているものすらごく限られた権限の者に限られているし、訪れることができるものといえばなおさらだ。
けれど私のそんな問いかけに――四月はあっさりと、首を横に振った。
「ううん、レンレンはアカデミーなんかとはなんの関係もない、ただの男の子だよ」
そんな彼女の答えに、私は思わず肩の力が抜けそうになる。
「……ナンセンスにもほどがあります。単なる部外者がここに来ることなど、絶対にありえません」
「確かにそうかもね。でもレンレンは、絶対来る」
「『好きな人』だからですか?」
流石に、察しはつく。今までの流れから考えればその「レンレン」とやらが、彼女の想い人であるということくらい明白だ。
私の言葉に、四月は少し驚いた顔でこちらを見返した後――はにかんだように笑って、小さく頷く。
「よくわかったね、九重」
「貴方に押し付けられた恋愛小説のせいで、無駄なところに頭が回るようになりまして」
「英才教育成功、かな」
「何が英才教育ですか」
「へへ」
楽しそうに声を漏らした後、彼女は再び「さくら」の木を見上げて、澄んだ瞳で呟く。
「レンレンは、きっと来る。だってレンレンは私の、ナイトさまだから。どんなことがあってもきっと迎えに来てくれるって、そう言ってたから。だから絶対、絶対、絶対に――来てくれるの」
静かな、けれど何も言い返せないような、強い自信に満ちた響き。
けれどそれはどこか、自分自身に言い聞かせているようでもあり。
だから私は――ただノートを片手にぶら下げたまま、
「……受け取るだけ、受け取っておきます」
と、ただそれだけ言葉を返す。
「えへへ、ありがと」
そう言って微笑んだ彼女の笑顔は、残り雪を解かす春日のように、暖かかった。
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