■3――動くことをやめられない世界 その2

 ――。

 メインストリートから少し外れた、人通りのまばらな路地の日陰。

「先生」と九重が声を上げるのに気付いて、私はそこで足を止めた。

「ごめんなさい、あんまり早くは、歩けないので」

 困ったように笑いながら告げる彼女に、私ははっと我に返る。彼女の足のことを、忘れていた。

 謝罪する私に、九重は肩をすくめて首を横に振る。

「いえ。ただあまりに情熱的に手を引いて下さるものですから、ドキドキしちゃいました」

 そう言って、くすくすと小悪魔めいた笑みをこぼす九重。私はなんだか居心地の悪い気分で視線をそらす。

 そんな私をじっと見つめながら、青い瞳を細めて彼女はぽつりと呟く。

「ありがとうございます、先生」

 礼を言われることなどないと、そううそぶく。けれど彼女は小さく首を横に振って、

「だって、先生は私のためにと思ってこうして下さったんでしょう?」

 なんて、見透かしたようなことを言う。

 沈黙する私をよそに、彼女は壁に背を預けながら、落ち着いた声音で続ける。

「『舞踏する死神ダンス・マカブル』。ふふ、こんなところであの名前を聞くなんて思ってもいませんでしたけれど――そうですよね。あれだけ戦って、何千……いえ、何万とも知れない数の人を、殺したんですから。こういうことがあっても、何もおかしくないんですよね」

 そう言って、目を伏せて左手の指輪を見つめる九重。

 何か声を掛けようとして口を開きかけた私の仮面の口元に、その時彼女の人差し指がそっと触れた。

「いいんです。聖女わたしたちは、兵器だから――人殺しへの罪悪感なんて、そんなものは最初からないんです。だから、何も感じない。どれだけ大勢の悲鳴を聞いても、人が腐り崩れるさまを目の当たりにしても。それが私たちの、存在する意味だったから。だから何も、思わない……そのはず、だったんですけどね」

 仮面に当てられた左手が、ずるずると下がっていって。私のコートの胸元をぎゅっと握ると、彼女はそのまま力なく体重を預けてくる。

「こちらに来てから、毎日思い出すんです。『箱庭』から逃げる間に殺された、聖女たちみんなのことを。私にも姉妹がいたように、私が殺した敵にも、同じように大切な人たちがいたかもしれない。ならそんな人たちを何人も、何人も殺した私は――皆を殺したA-099かのじょと、全く同じなんじゃないかって」

 胸元に顔を埋めているから、どんな表情をしているのかは分からない。ただその声は、わずかに震えているように思えた。

 しばしの逡巡の後、私は彼女に問いかける。ならば他の聖女たちは、どうなのかと。

 あの亡命の最中、追手との戦闘の中で敵を手にかけた聖女は他にもいる。三七守も、皆を逃がすために戦って――結果だけを見れば、大勢を殺した。

 そんな私の問いに、九重はゆっくりと首を横に振る。

「あの子たちは、生きるために戦っただけです」

 ……ああ、その通りだ。そんなことは、百も承知だった。

 聖女たちに何ら非などありはしないと知っていてなお、私はこんな悪辣な問いを投げかけたのだ。

 お前が人殺しなら、彼女たちも同じ人殺しじゃないのか――と。

 ……自分でも、最悪すぎて反吐が出そうになる。

 押し黙る私にぎゅっと顔を押し付けたまま、九重が静かに、言葉を継ぐ。

「あの子たちの手は、確かに少し、汚れてしまったかもしれない。でもそれは――自分を、隣の誰かを守るために流したあの子たち自身の血。……だけど私は、違う。ただ任務として、何の利害もない相手を――沢山殺した。私は、兵器だから。そんな理由だけで思考を停止して、何人も、何人も、何人も。あの店主さんの息子さんだって、きっとその中にいた。そんなこと、私はずっと、知ろうともしなかった」

 何の言葉も掛けられず、私はただ、沈黙する。

 続く言葉を待っていると、絞り出すようなか細い声で、彼女は続けた。

「ねえ、先生」

 コートを掴む手に、わずかばかりの力が籠もる。

「先生は私たちを……私を兵器じゃない、一人の人間として見てくれています。でも……それで本当に、いいんでしょうか?」

 顔を上げた彼女の、少し充血した青い瞳が私を見つめる。

「こんなに大勢を殺した私が。血に塗れて、汚い私が。皆と一緒に人間になんてなって――幸せになって、いいんでしょうか?」


 その、問いかけに。


「そんなの――良いわけが、ないじゃないか」


 け私が口を開くよりも早く、割り込んできた声があった。

 弾かれたように声の方向、路地の奥、薄暗がりになったそちらへと視線を遣る。

 するとそこから姿を現したのは――一人の男だった。

 闇の中でなお輝くような銀の髪に白い肌。年齢の読めないような端正な顔立ちには古風な片眼鏡を掛けている。

 長身痩躯を包むコート――華美な装飾が施され、緋色に染め抜かれてこそいるものの、それは見覚えのある連邦様式。

 そしてその肩口に刺繍されているのは、見紛うこともない。

 アカデミーの所属であることを示す、緋色の意匠であった。


「探したよ、A-009。やっと、やっと君に会えた!」

 九重の姿を認めるや、その顔を歓喜に歪めてそう告げた男。

 九重の前に庇い立ち、何者かと問うと――すると彼は初めて私に気付いたかのようにわずかに瞼を動かした。

「なんだ、君は? その仮面は……うん、見覚えがあるな。管理官コントロール02――いや、あの忌々しい男は死んだから、そうか。君があいつの後釜の『死神』……-っていう、例のやつか」

 愉快そうな男の言葉に、九重が私の方を見る。最悪のタイミングだったが、今は説明をしている場合でもなさそうだ。

 警戒を滾らせる私に、男はその貴族めいた風貌に違わぬような優雅な一礼を披露する。

「一応、名乗っておこうか。僕はカール・マイセン。アカデミー所属の第二哲学者にして――偉大なる大神学者ランダウの弟子さ。以後、お見知りおきを……いや、その必要もそれほどないか」

 挨拶もそこそこに、髪と同じ銀色の視線はすぐにまた九重に注がれる。

 アカデミー。そう明言された以上は、彼はもはや敵でしかありえなかった。

 そんな私の内心を態度から見て取ったのか、男――マイセンは大仰に肩をすくめて首を振る。

「ああ、そんなに身構えないでくれたまえ。僕は平和主義者なんだ、荒事は好みじゃない」

 嘘か本当かも分からないことをのたまうマイセン。

 とはいえアカデミーの人間が、現状まだ敵国と言って過言ではないはずの帝政圏の首都にいるというこの異常な状況を前にして、信じることもできない。

「知っているだろう、今は正式に休戦が結ばれようとしているんだ。僕も使節団に同伴してついてきたってだけで、後ろ暗いことなど何一つしていないよ」

「ついてきた、ですか。アカデミーの人間が、一体何の目的で」

 九重の問いかけに、何やら楽しげな表情でマイセンは大きく頷いた。

「ああ、よくぞ訊いてくれたね、愛しい君。何を隠そう、僕は――君を迎えに来たんだよ、A-009」

 その答えに、九重は眉間のしわを深くして剣呑な様子で呟く。

「迎えに、ですって。何を言って……」

「そのままの意味だよ、A-009。亡命したアカデミー職員が持ち出した連邦の兵器を、機密保持のために回収しに来たんだ」

 兵器の、回収。つまり彼の目的は、聖女たちの奪還――ということか。

 けれどマイセンは首を横に振って、こう続ける。

「いや、いや。誤解はしないでほしい。僕は……いや、僕らはもう他の出来損ないには興味がない。A-037なんかはなかなかいいデータを持っていそうだが――うん、別にアレもいらないし、ついでに言えばそこの君をどうこうしようって腹づもりもない。僕の目的はただひとつ、A-009――我が大いなる師の最高傑作たる、君だけだ」

 そう言って、どこか粘着質な視線を九重に向けるマイセン。

 彼の言葉に九重の瞳がわずかに揺れたのを見てとって、私は彼女の左手を強く握りしめたまま、拒否の意思を伝える。

 彼女たった一人だけだとしても、アカデミーの手に引き渡すことなどできるはずもない。そんな私の返答に、マイセンは薄笑いを浮かべたまま肩をすくめる。

「ああ、そういうことを言うのか。じゃあこう言い換えたほうがいいかな――それを引き渡さなかったら、君も、他の出来損ないたちも、無事では済まない」

「……帝政圏のど真ん中で、揉め事を起こすつもりですか?」

 声を荒げる九重に、マイセンはうっとりとした視線を向けて頷く。

「全ては君のためだよ、A-009。……君が僕と一緒に連邦に戻ってくれれば、誰も困ることはないんだ。それに――賢明な君なら分かるだろう? 君みたいな兵器が、こんなところでことの異常さを」

 そんなマイセンの言葉に、九重は大きく目を見開いて言葉を喪って。

 だからこそ私は、それ以上奴に喋らせるべきではないと、そう判断した。

 懐から護身用の――ランバージャックから譲り受けた軍用拳銃を抜いて、マイセンへと迷わず向ける。

 こちらに来てからは、射撃練習は定期的に積んでいた。この距離ならば外しはしない。

 けれどマイセンはあくまで余裕の表情のまま、向けられた銃口をつまらなそうに一瞥して。

「それが、君の答えというわけか。なら――しょうがない。こちらも実力行使といこう」

 彼が指を軽く鳴らした、その時。

 私はとっさにその場から、九重を抱えて飛び退っていた。

 それは私自身が反応したというよりも、おそらくはナイが反応してくれたのだろう。

 一拍遅れて、石畳を何か固いものが削る鈍い音が聞こえて。

 今しがたいたその場所には――地面に突き立った一本の軍刀と、それを握る漆黒色の長衣姿の人影が立っていた。

 身長は、私よりも低いくらいか。全身を覆う黒衣と頭部全体を覆う鉄仮面のせいで、姿かたちは判然としない。

 ひとつ言えるのは、その人影が我々と敵対しているというその一点だけ。

 それだけで――この場でどうすべきかは私も、そして九重も即座に理解した。

「先生! 下がってください、私が……」

 そう叫ぶ九重を押し留めて前に立ちはだかると、私は黒衣めがけて発砲する。

 路地裏に反響する銃声。しかし黒衣は俊敏な動作であっさりと回避するや、軍刀を構えてこちらへ向かってくる。

 小柄ながら鋭い踏み込み。あっという間に懐に入って、その剣先が私を捉え――

「させ、ませんよ!」

 ようとしたその刹那。私の背後から、闇を固めたような黒霧が立ち上って黒衣へと降り注ぐ。九重の秘蹟――「万象の腐敗」だ。

 しかし直前で察知したのか、軍刀を呑まれたのみですんでのところで退避すると、黒衣は大きく後ろに跳んで体勢を立て直そうとする。だがそれを許す九重でもない。

「まだ、まだ……っ」

 再び黒霧を練り上げて、黒衣めがけて放とうとして。けれどその時――振り上げた彼女の左手が、がくんと力なく落ちる。

 いや、それだけではない。全身から力が抜け落ちるようにして崩れ落ちようとする彼女に、私はとっさに駆け寄って支えた。

 はぁ、はぁと荒い呼吸。首筋や額には、じっとりとした汗が浮いている。

「……ああ、もう、こんな、時に――」

 とぎれとぎれに呟いて、それきり意識を失う九重。おそらくは、久々に秘蹟を使用したがゆえの反動だ。

「よそ見をしている場合かな?」

 そんなマイセンの言葉と同時。視界の端に黒いものが見えて、次の瞬間頭を鈍い衝撃が貫く。

 蹴られたのだと理解した時には、私の体は大きく飛ばされて壁に激突していた。

 頸部の違和感とともに、四肢から感覚が消え失せる。今の一撃で頸を折られたようだ。

 数分もすれば回復するだろうが――眼前では、黒衣が意識を喪った九重へと近づこうとしている。数分では、もはや遅い。

 手を伸ばそうとして、けれどぴくりとも動かない体。

 黒衣の手が、九重へと伸びて――しかしその時だった。


「そこまでです」


 そんな冷ややかな声とともに、響いたのは銃声。

 声のした方を見ると、マイセンの背後側――そこに立っていたのは拳銃を構えたティーの姿だった。

「失礼。別件の対応をしていたもので、遅れました」

 倒れた私を一瞥すると、彼女は表情をぴくりとも動かさずにマイセンを見る。

 いつの間に移動したのか、九重の側に立っていたはずの黒衣はマイセンを庇うようにしてそこに立っていた。

 黒衣に守られたまま。ティーの姿を認めて、マイセンは大きなため息を吐く。

「どちらさまかな。今は取り込み中なんだけれど」

「ええ、お構いなく。私はそこに転がっているお二方を拾いに来ただけですので」

「……とすると、帝政圏の人かい。ならなおさら、手を引いてほしいな。僕は単に、勝手に持ち去られたを取り返しに来ただけなんだから」

 そう言って口の端を上げるマイセンに、対するティーはぶっきらぼうな調子のまま銃口を向け直す。

、ですか。であれば多分、何か勘違いをなされているのかと」

「勘違い?」

「ええ。そこにいるのは、こちらに亡命してきたですので」

 そんなティーの言葉に、マイセンは押し殺したような笑い声を漏らす。

「人間、か。ふふ、面白いことを言うなぁ、帝政圏の人は。……でもまあ、そうか。つまりはあくまで、見逃すつもりはないってことかい」

「くどいです」

 返すティーの言葉は、あくまで短く。

「そうか。なら――排除するしかない」

 マイセンのそんな言葉と同時に、彼の前に立っていた黒衣が真っ直ぐにティーへと向かっていく。

 拳銃で応射しようとするティーだが、しかし狙いをつけるよりも黒衣の動きの方が早い。

 あっという間に接近を許すと、黒衣の繰り出した蹴りが彼女の喉元を狙い――けれど姿勢を低くしてそれを避け、ティーは至近からの銃撃を一発撃ち込む。

 消音器のついた、乾いた銃声。黒衣の右肩を、吐き出された弾丸が貫通する。

 けれどまるで痛みを感じた様子もなく黒衣はそのままくるりと後ろに宙返りをして距離を取り、撃たれた右腕をだらんと下げたままティーに顔を向けると――不意にその左腕を横に突き出した。

 次の瞬間。起きた光景に私も、そしてティーも表情を変える。

 黒衣の左腕に――九重の使うのとまるで同じような漆黒色の霧が、まとわりついていたからだ。

 黒衣に従うように、霧が蠢き、迸る。

 路地を埋め尽くすほどの黒霧がティーのみならず一帯を丸ごと呑み干して――霧が晴れたころには、そこにはひび割れた石畳しか残されていなかった。

 その光景を前に、満足気に頷くマイセン。

「やはり、本物と比べたら威力は落ちる。……けど、人一人を消すには十分か」

 しかし、その言葉に――返事は上から降ってきた。

「誰が、消えたと?」

 同時に降り注いだ銃撃は、二発。一発は黒衣の肩を掠め、もう一発はその仮面に当たって弾かれる。

 視線を遣ると、上へと向かう壁沿いの配管を掴みながら拳銃を構えるティーの姿がそこにはあった。

 掴んでいた手を離して、地上に着地するティー。そんな彼女を見つめて、マイセンはやや呆れた様子で肩をすくめる。

「すばしっこいなぁ。でも、無事じゃあ済まなかったみたいだね?」

 そんなマイセンの視線を追うと、着地してしゃがんだままのティーの、その右腕――スーツの二の腕が大きく破け、黒く変色して抉れた肌が痛ましく晒されているのが見えた。

 その負傷を一瞥し、それから眼前に立つ黒衣を見比べると、ティーはわずかに不安定な足取りで立ち上がり――何を思ったか、拳銃を懐に仕舞う。

「おや、降参するのかな」

「ご冗談を」

 そう言って、拳銃の代わりに彼女が懐から取り出したのは、奇妙な意匠の腕輪のようなものだった。

 鈍い金属色の、分厚い腕輪。しかしよく見るとそれは無数の機械部品の集合であり、装飾品というよりはむしろ一個の工業製品のように見える。

 右腕の手首に腕輪を嵌めながら、あくまで涼しい表情のまま静かに、ティーは告げる。


「――少しばかり、本気を出させて頂こうかと思っただけです」


 その言葉と同時、腕輪を構成する部品の隙間が緋色に輝いて。次の瞬間、腕輪から無数の、暗赤色の帯のようなものが凄まじい勢いで迸る。

 それらはティーの右腕全体を包み込んだかと思うと――またたく間にその質感を変え、固着する。

 無数の装甲の組み合わさった、まるで篭手のような外見。色や形は違うがそれはどこか、私の――ナイの右腕と似て見えた。

 緋色の右手を軽く二、三回握りしめた後、マイセンと黒衣に向き直ってティーは手招きするようにその手を動かして、

「さあ、掛かっていらっしゃい」

 その言葉に応じたのかは定かでないが、それとほぼ同時に、黒衣が駆けた。

 左手に腐敗の黒霧を剣のように固めて、ティー目掛けて振り下ろす。一方でティーはその場から一歩も動かず、緋色の右手を掲げて黒剣を、正面から受ける。

「――!」

 黒衣が、わずかに動揺を見せた。それも無理はない、九重のそれと同じであればおそらくありとあらゆる物質をすら腐敗せしめるはずのその霧が――ティーの右手に触れた瞬間、

 黒衣に生まれた一瞬の隙を見逃さず、空いた左手でその胸ぐらを掴むと、ティーは大きく振りかぶった右腕から拳打を繰り出す。

 一撃をまともに顔面に食らった黒衣はそのまま冗談みたいに吹き飛ばされ、大きな音を立てて壁に激突して崩折れた。

 その有様を前にして、静観していたマイセンが初めて、興味を惹かれた様子でティーを――正確にはその右腕を見る。

「面白いものを持ってるじゃないか。何だい、それ」

「お答えする義理はありません。もっと知りたいなら、体に教えて差し上げてもいいですが」

 そう言って右腕を構えるティーに、マイセンは首を横に振り、

「遠慮しておこう。……分が悪いとも言えないが、その右腕は少しばかり面倒そうだ。今日のところは引き上げさせてもらうよ」

 壁際で倒れたままの黒衣の側に歩み寄ってそう返すマイセンに、対するティーは緑色の眼光を鋭くする。

「逃げられるとでも?」

「ああ、もちろん」

 そうマイセンが告げたのと同時。彼の側には、倒れている黒衣と背格好もまるで同じ人影が立っていた。

 新しい黒衣に引き起こされ、よろよろと立ち上がる黒衣。すると、先ほどの銃撃と今しがたの拳打で壊れかけていたのだろう――倒れていたほうの黒衣の仮面が、割れて落ちる。

 を見て、ティーも、そして私も思わず動きを止めて。

 その空隙を狙って、黒衣たちはマイセンを抱えあげると大きく跳躍する。

「今回は、挨拶代わりと思ってくれたまえ。また正式に、彼女を取りにいかせてもらうよ」

 そんなマイセンの言葉だけを残し、あっという間に彼らの姿は消え失せていた。


「……逃しましたか。あるいは、見逃されたと言うべきでしょうか」

 淡々と呟いて、腕輪を操作するティー。右腕を覆っていた緋色が霧散して、同時に腕輪もふたつに割れて外れる。

 周辺をぐるりと見回した後、こちらに駆け寄ってきたティーが手を差し伸べてきた。

「立てますか」

 頷いて、まだ若干違和感の残る体を起こしてその手を取る。

 差し出された右手には、不思議なことに先ほどあったはずの傷跡は既になかった。

 ……彼女の腕輪のことも気になったが、しかし今はそれより、九重だ。

 彼女に駆け寄って、容態を診る。少なくとも呼吸はしているが、浅く、早い。すぐにでも処置を要する状態だ。

 私が何かを言う前に、すでに携帯端末で誰かに連絡を送っていたティーが口を開く。

「そろそろ、銃声を聞きつけて人が来るかもしれません。情報統制は要請しておきましたが――彼女のこともあります、早く戻りましょう」

 その言葉に、異論などあろうはずもなかった。

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