■3――動くことをやめられない世界 その1


■3――動くことをやめられない世界


 思いもよらない事態というのは、得てして起きるものである。

 今回の場合はそれは――ふたつ。

 八刀が私の後をつけて来たことと、そして何より、彼女が私について知ろうとすることを、ティーが許可してしまったこと。

 いや、もうひとつあった。

 それはつまり――全てを知った八刀が出した交換条件というのが、だったというその点に尽きる。


 ――。

「ふん、ふん、ふふーん」

 帝都中央地区、聖ベルツ通り。商業施設や博物館、美術館などの文化施設が立ち並ぶこの大通りを、私と九重は二人、歩いていた。

 鼻歌を歌いながら上機嫌そうに前を進む毛皮帽子の頭を見つめながら、私は誰にともなく小さくため息をつく。

 どうして、こうなったのか。考えてもその答えは単純で、そしてそれゆえに否定のしようもない。

 先週の八刀との一件の後。結果的に私は八刀の提示した条件をそのまま受け入れ、九重と一緒に帝都を散策することを決定づけられていた。

 無論、私と八刀、二人の間だけでの問題ならば、あるいは別に、こんなにもすぐさま行動に移さなくてもよかったかもしれない。

 だというのに、たったの一週間でこんなことになったのは、意外にもティーの申し出が原因であった。

 周辺の警護は自分が請け負うから、なるべく早く行ってこい――およそそんなことを言われて背中を押されたのがあの日の午後。

 九重をなるべく外に出さないように、というのはティーからの要請であったはずだが、その彼女がこう言い出した以上は私としても断る材料もない。

 結局その日のうちに九重を誘って、こうして今日、帝都の散策に乗り出す形となったわけである。


 視線を、過去から今に戻す。

 いつにも増して賑わいを見せる街並み。人通りも常よりごった返していて、露店などの数も多い。

 祝い事か、祭りか何かでもあるのだろうか。そんなことを考えていると、前を歩く九重が得意げに口を開いた。

「おや、先生はご存じないので? 近々連邦との休戦会談が行われるそうですから、それに向けてのお祝いムードということだそうですよ」

 抑制剤の研究にかまけていて、最近は少し世情に疎くなっていたらしい。

 ……いや、それだけではないだろう。この先そう長くはない――そんな諦めにも似た気持ちも、きっとその一因だ。

 とはいえ。あの孤児院で実質の軟禁状態となっている彼女の方が世間の動向に詳しいというのは、やや意外だった。

 思ったままに返すと、九重はふふん、と得意げに胸を張る。

「ふふ、また私の魅力にお気づきになってしまいましたね。旦那さまの足りないところを補うのが、良き妻というものです」

 いつもどおりの桃色発言をいなしながら、前を歩く九重を一瞥する。

 八刀たちの通う学校の制服の上に、いつの間に用意したのか薄手の紺色のコートを羽織っている。

 そして否応なしに目立つその桃色の髪は、連邦にいたころから愛用している軍用帽で隠されていた。「なるべく目立たないよう」というティーの注意を受けてのものだ。

 こちらに来てから実質初めて目の当たりにする帝都の光景を、好奇心を隠しきれない眼差しできょろきょろと見回して歩く彼女。

 他の聖女から譲り受けたのだろうか、その手には安っぽいポラロイドカメラが握られていて、何かしら目についたものがあるたびにそれを撮っている。

 他の聖女たちの中でどうしても大人びて見えることの多い彼女であるが、こういうところは年相応の少女と何ら変わらないように思えた。

 ……そんなことを考えていると、「きゃっ」と短い悲鳴が聞こえて九重が体勢を崩した。

 ファインダーを覗き込んでいたせいで通行人と軽くぶつかったらしい。慌てて後ろか支えてやると、彼女はこちらを見上げて苦笑をこぼす。

「ああ、すみません、先生……人が多いものですから、ぶつかっちゃって」

 心配そうに声をかけてきた、ぶつかった相手と思しき年配の男性に「こちらこそすみません」と笑い返した後、大丈夫だと言いたげに左手で軽く私を叩く九重。

 ……そう言われても、しかし人通りが多いのは事実であり、だとすればまた同じように転ぶ可能性もある。

 少しばかり考えた後、私は彼女の空いている左手を握ることにした。

 私よりも小さな手のひらを、大切に握りとめる。手袋越しでも、その柔らかさと温度とが伝わってくる。

 これで、転ぶ心配もないだろう。そう思っていると、九重が私の顔を見つめながらおずおずと口を開いた。

「…………あの、先生、これは一体」

 転ばないようにと答えると、彼女は何やら頬を赤くしながら「そうですか」と呟いて、口元を緩める。

「いやぁ、人混みさまさまですねぇ」

 ……相変わらず、何を考えているのかいまいち分かりかねるが。ともあれ握り返してきた彼女の手のひらを確かめながら、彼女の思うままに足を赴かせる。

 古本市に目を輝かせたり、あるいはショーケースに並ぶガラス細工を不思議そうに覗き込んだり。

 本当に、こうしているとただの子供で。

 ……道行く人々だって、まさかこの浮かれ上がっている少女が帝政圏を長く苦しめ続けた「舞踏する死神ダンス・マカブル」であるとは思いもしないだろう。


「ねえ先生。あそこのお店、少し覗いてみてもいいでしょうか」

 何度目かの彼女の言葉に、私は頷いてそちらを見る。

 露店に並んでいたのは細やかな宝石をあしらった指輪であったり、あるいは細工の彫り込まれた首飾りであったり。なるほど、装飾品の行商らしい。

 聖女といえど、こういうものへの興味はあるものなのか。少し意外に思って尋ねると、「失礼な」と九重は唇を尖らせる。

「乙女ですもの、お洒落をしたいと思うことだってあります――なんて。まあ確かに、『箱庭』にいた頃はいつも軍装でしたから、先生にそう思われるのも仕方ないですけれど」

 そうぼやいて俯く彼女に、私は肩をすくめる。

 思えば、九重の姿を思い描いて最初に出てくるのは、やはりあの濃紺の連邦軍装になる。

 それはそれで似合ってはいたが、とはいえ無骨な装束であったことに変わりはない。装飾の類と言えばせいぜい、儀礼用も兼ねていた軍刀くらいのものだ。

 ……とはいえ別に、飾り立てていようがいまいが彼女は彼女だろう。そう言ってやると、九重はぶんぶんと首を大きく横に振った。

「それじゃダメなんです。あんな戦うための姿だけじゃなくて……先生にはもっともっと、私の可愛いところを見て、気付いて頂きませんと!」

 さあ行きますよ、と鼻息荒くずいずい進んでいく彼女に、私はもう一度肩をすくめて後を追う。

 ……どんな格好をしていたところで、彼女が彼女であることに変わりはない。

 私にとっては、彼女はずっと私の共犯者で――守るべき、聖女の一人だ。

 そう思いこそしたが、言ったところでさしたる意味もないため、言わずにしまっておくことにした。


 ――。

「すいません、少し見ていっても?」

 店主の初老の男性にそう九重が声をかけると、店主は気のいい笑みを浮かべて頷いた。

「ええ、どうぞ。可愛らしいお嬢さん」

「先生先生、可愛いですって」

 瞳をきらきらさせながらこちらに振り向いてくる九重に、よかったな、と雑に頷いてやる。

 こちらに気付いた店主は私の顔を――というかそこに張り付いた仮面を見てわずかに驚きを浮かべていたが、それ以上のことはなかった。傷痍兵たちも多く出歩いており、顔に手ひどい傷を負った者なども今のご時世には珍しくもない。そういった中の一人だと思ったのだろう、

「ああ、こりゃあどうも、ご苦労さまです」

 なんて一礼した後に、九重と私とを見比べて笑顔のままこう続けた。

「娘さんですかな。お若いのに、大変そうで」

 九重の突いている杖を指してのことだろう。そんな言葉にしかし、九重当人としては別のところが気になったらしい。

「……娘ではなく、妻ですが」

「はぇっ!?」

 また見比べられたその視線には、今度は先ほどとは違った意味合いが含まれているように思えた。冗談だと告げると「ああ、左様で……」と納得した様子で再び愛想笑いを浮かべる。

 機嫌を直したらしい九重は、すぐにまた興味深そうに並んでいる装飾品を覗き込んでいた。

「すごいですね、綺麗です」

 素直な感想だったし、実際素人目に見ても、素朴でこそあれいい品が揃っているように思えた。こんなご時世に、よくこれだけ集められたものだと感心していると、店主が自慢気に大きく頷いてみせる。

「もともとは作物の行商をしていたんですが、戦時中は現金代わりにこういう品でお代を支払うお客さんも多くてね。戦時中じゃあこんなものを買ってくれる人も見つかりませんから、泣く泣くしまっていたんですが――停戦のお陰でこうして蔵出しできるようになったんですよ」

 停戦さまさまですわな、と笑う店主に、九重も「そうですね」と微笑み返す。……彼女たちにしてみれば、複雑な心境もあるだろうが。

 しばらく何やら唸りながら見ていた後、九重はこちらへと視線を向け、口を開いた。

「こんなにあると、目移りしちゃいます。ねえ先生、先生はどれが私に似合うと思いますか?」

 急に振られて、私は言葉に詰まる。あまり装飾品などに詳しいわけでもないので、あまりいい意見は出せそうにない。

 そんな私の返事に、しかし九重はというと首を横に振り、

「いいんです。先生が選んでくれれば、それで」

 なんて言ってくる。

 そんな彼女の言葉に、私は逡巡しながらも陳列された品々を見回して――やがてそのうちの一つを指した。

 銀製の、細工入りの指輪。小さな薄桃色の宝石がはめ込まれていて、その色味が彼女の髪の色によく似ているような気がしたのだ。

 私の指した指輪をじいっと見つめて、九重はやがて、満足げに大きく頷く。

「なるほど、なるほど。つまりはこれは、結婚指輪というわけですね?」

 ……全く、どこで覚えてくるのやら。そういう意味合いは毛頭ないのだが。

 九重の戯言を無視して、私は値札分の金額を店主に渡す。意外にも、破格と言ってもいいほどの安値だった。

 早速指輪を左手の薬指にはめると(結婚指輪のつもりか)、九重はそれを空にかざしたりして上機嫌そうにする。

 そんな彼女を暖かな視線で見つめながら、店主が口を開いた。

「せっかくです。お嬢さんのカメラで、お二人を撮って差し上げましょうか」

「いいんですか?」

 やや驚いた様子で問い返す九重に、店主は大きく頷いて、

「買ってくれたサービスです。さあ、どうぞ並んで並んで」

 九重からカメラを手渡されると、そう言って私たちを店の脇の街角に並べる店主。

 通行人の視線がやや気恥ずかしくもあったが、九重の方を見ると嬉しそうに私の手を握っている。

 ……彼女が喜んでいるならば、余計なことを言う意味もない。そう思い直して私もまた、店主の構えるカメラのレンズへと視線を向けた。

「撮りますよ……はい、おしまいです」

 シャッター音の後、現像された写真がカメラの口から出てくる。仮面をつけた私の隣で、楽しげに微笑む九重。悪くはない写真だった。

 カメラと写真とを受け取って礼を言う九重に、店主は「こちらこそ」と笑い返す。

「お二人のお陰で、私も元気を貰えましたからね。私の方こそ礼を言わせてほしいものです」

 どういうことかと問うと、店主は少しだけ淋しげに目を伏せながら返した。

「……いや、大した話じゃあないんですがね。私にもせがれがいたんです。もったいないくらい優秀なせがれでね。士官として戦争に出ていって、お国のためによくやっていたそうなんですが――一昨年に訃報が届きまして」

 苦笑交じりにそう話しながら、店主は九重の指にはまった指輪を見つめて続ける。

「最近になってね、せがれと同じ部隊だったって人たちが来て、言うんですよ。せがれは『死神』に殺されたって」

「しに、がみ……」

「『舞踏する死神ダンス・マカブル』。……軍人さんなら、聞き覚えもあるでしょう。桃色の髪をした、戦場の悪魔――そんなたちの悪いおとぎ話みたいな奴に、せがれは殺されたって言うんです」

 大きく肩をすくめて失笑する店主に、九重は何も言わず、ただ聞いていた。

「ふざけた話でしょう、そんな戦場の与太話を大真面目に伝えにくるなんて、どうかしてる。……ええ、与太話だとは分かってるんですがね。分かってるんですが――その指輪を見るとね、どうしてもその話が、頭をよぎっちまうんですよ。だからお客さんがたがそいつを買っていってくれて、安心したというか……」

 そこまで語り終えると、店主は「いや、すいません」と謝ってから九重に笑いかけた。

「せっかくの品にケチをつけるような話で、申し訳ありません」

「いえ……別に」

 少しだけ固い笑みを浮かべて言葉短くそう返すと、九重は左手で帽子をぎゅっと抑えながら店主に頭を下げた。

「……こちらこそ、ごめんなさい」

「うん?」

 首を傾げる店主に礼を言うと、私は九重の手を引いて、足早にその場を後にした。

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