■2──識別コードA‐008(3)


    ■


「……ふむ。さんに嫌われていると」

 月下の鳥籠、造花の庭園。

 中央に置かれた白いティーテーブルで紅茶をすすりながら、私の話を聞き終えたここのはなにやらしたり顔でうなずくと、

「つまり先生は私に慰めてもらいに来たというわけですね。そういうことでしたらさあ、どうぞ私の胸に飛び込んできて下さいな。よしよししてあげます」

 そういうことではない。

 両腕を広げてみせる彼女に首を横に振ると、彼女は「ふむ」と小さくうなって。

「つまり先生は膝枕の方がお望みということですか」

 違う。

 私が再度首を横に振ると、いよいよ不思議そうな顔で彼女は小動物みたいに首をかしげる。

「それ以外というなら一体私に、どうしろと」

 私が「箱庭」に配属されたのはおよそ七ヶ月ほど前のことである。ゆえに、私よりも彼女の方がとの付き合いは当然長い。

 であるから、彼女との間の確執の解消を相談しに来たのだと。そう返答すると──ここのは複雑そうな面持ちで小さくうなる。

「どうして私が先生と他の女の仲を取り持たなければいけないんですか……と言いたいところですが、相手がさんだというならば仕方がありませんね。あの子は私の、大切な友達ですからね」

 そう言う通り、ここのは仲がい。

 訓練の際には二人で組んでいることが多いし、何より──二人は現状生き残っているたった二人の「一桁台」。何かしら、通じるところを感じ合っているのかもしれない。

 ここのは少しだけ考えた後──やがててんがいった風に顎に手を当ててうなずくと。その顔に何やら、不敵な笑みを浮かべて言葉を続ける。

「ふふ。名探偵ここのさんの灰色の脳細胞に、びびっと来ちゃいました」

 どうやら書庫に収蔵されている娯楽小説ダイムノヴエルか何かに影響されたらしい。気取った風に腕を組んで、パイプの代わりにティースプーンをくわえる彼女に行儀の悪さをたしなめつつ、私は話の続きを促す。すると──

「つまりですね。さんは先生のことが好きなんです。ラヴなんです」

 下唇をんで無駄に気取った発音でそう言い放ったここの。沈黙する私を前に、彼女はいてもいないのに得意げにその薄い胸を張って続ける。

「なに、簡単な推理ですよ先生。『ツンデレ』というのは古典文学から伝わる好意の裏返し行為──つまりあの子が先生にきつく当たるのも、好意の裏返しということに他ならないでしょう」

 他ならなくないだろう。そもそも、推理ですらない。そう返すと、彼女は困ったように眉尻を下げて唇をとがらせる。

「むう。恋愛小説マスターとうたわれたこの私の見解を無下にするとは、先生ってば不思議な方ですね」

 私としては、彼女がなぜそんなに自信満々にこの説を提唱できるのかの方が不思議だった。

「そりゃあもちろん、先生ほどの方であればさんがひとれしてしまっても無理もないことですからね。無論、いくら大事な友達とはいえ私としても先生のおそばを譲るつもりは毛頭ありませんが」

 どうやら、彼女と私とでは前提条件に大分があるらしい。

 ……しばらく彼女だけ書庫を出禁にすべきかもしれない、と彼女の情操教育の方向性について検討しつつ、私は話題を戻す。

 が私を嫌っていることは、問題の優先順位としてはそう高くない。

 むしろ──今の彼女について問題とするべきことは、他にあった。


さんが、無理をしすぎている……ですか」

 思案顔で紅茶を一口すすると、ここのは小さくうなずいた。

 真夜中に一人、鍛錬を続けていた彼女のことを話す。ここのは静かな瞳で私の話を一通り聴いた後──何かを考え込むように、目をつぶった。

「……なるほど。全く、あの子にも困ったものですね」

 小さくつぶやいて、彼女ははあ、とため息をつく。いつもひようひようとした態度の彼女にしては、少し珍しい表情だった。

 がああもあせって訓練に励む理由に何か心当たりはないかと尋ねると、彼女はどこか煮え切らない表情で──

「……心当たりがないとは言いません。ですが──いえ、やめておきましょう」

 そんなぼやけた答えに問いを返そうとする前に、ここのはテーブルの脇に立てかけてあったつえを取り、ゆっくりと立ち上がる。

「先生。確か明日、野戦訓練がありましたよね」

 唐突にそう問うてくる彼女に、私は虚を突かれながらもうなずく。

 予定されている訓練は、付近の山にて実戦形式での戦闘演習を行うというものだった。

 せきの使用も制限なし。サバイバルと実戦とを兼ねた、危険度の極めて高い過酷な訓練。それゆえに聖女たちの訓練課程においても最終段階に位置するものであり、見事最後まで勝ち残ることができれば──その意義は極めて大きい。

 それがどうしたのかと問うと、

「いえ、別に。ただ──」

 そう言って、彼女はその顔に何やら含みのある笑顔を浮かべて。

「ひとつ言えるのは、先生のお悩みが明日には解決するでしょう、ということです」

 ──なんて。そんなことを言ってきたのであった。

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