■2──識別コードA‐008(4)


    ■


 翌日の午前八時。野戦訓練は滞りなく開始された。

 近隣の野山を利用しての戦闘演習。聖女たちは二人一組で別々の出発地点から行軍を開始し、遭遇した他チームから各員の所有するリボンを奪い取る──そういうルールだ。

 当然、使用するのは模擬戦用のゴム弾入り小銃と、刃を潰した訓練用サーベル。とはいえ聖女同士の実戦形式での戦闘訓練である。どんな事故が起こるか分からないため、私も調律官ウオツチヤー用の救護テントを設営し、訓練の全行程が終了するまで待機していた。

「よっしゃー、みーちゃん、絶対優勝目指そうね!」

「え、えええ!? む、無理だようりつちゃん!」

 そんな調子でいつも通りに気楽そうに騒ぎながらスタート地点へ向かっていったのはりつもりペア。

 機動力で他の追随を許さないりつと、防御・足止めに特化しているもり。ペアでの戦闘経験も多い彼女たちはこの演習の優勝候補の一組だ。

「……だるいデス。めんどいデース。超帰りたいデース」

「駄目ですわ、そんな無気力では。手を抜いてるってバレないようにいい感じに戦って、いい感じのところで一抜けがベストですわ」

 ……などと不穏当な会話を交わしているのは、A‐017「」とA‐016「」のペア。訓練や講義の無断欠席が目立つ問題児たちだが、とはいえ能力自体は決して低くない──いな、総合力ではここのにも決して劣らないレベルであると言っても過言ではない。

 ふらりふらりと、とりあえず所定の配置へと向かっていく彼女たちを確認して──それから私は、手元の端末で他のペアの組み合わせ表を確認する。

 はいつも通り、ここのと組んでいるらしい。

 ここのが昨日告げた言葉を思い出す。露骨に何かをたくらんでいそうな態度だったが──少なくとも出発段階では特におかしな行動もない。

 の方も、相変わらずだった。私に対して警戒心に満ちた視線を向けて立ち去ったところも含め、常と変わりはない。

 ここのはああ言ったものの、少なくとも現段階では何の取っ掛かりもつかめてはいない。どうしたものか、と改めて対応を練り直す必要性を感じていると──ややあって、遠方から銃声がかすかに聞こえ始める。戦闘が開始されたのだ。

 標高こそなだらかであるもののそこそこに広大な山で、生い茂る木々の量も厚く見通しは悪い。各ペアの開始地点も互いに距離が開いているため、交戦も必然的に偶発的なものとなる。

 孤立した状況下における生存訓練。それが本演習の目標だ。


 ……そして加えて言及するならばもう一点、この演習には軍事上の意味合いもある。

 連邦北部、帝政圏との国境沿いを中心にして南北に広がる深大な山地帯、その裾野の広大な原生林の奥深くに位置する「箱庭」。今利用しているこの山はまさに、国境と目と鼻の先と言っても過言ではない。

 そのため数十年前にはこの一帯は要衝のひとつとして数えられており、山中を横切る大渓谷には第二十八号跳開橋──通称「渡らずの橋」と呼ばれる巨大な跳ね橋が建設されたのだとか。山中に建造されたこの大鉄橋は帝政圏への侵攻において重要な役割を果たすものと期待されていたのだが──結局のところ車両の立ち入りも困難で大規模な行軍路として使うには障害が大きすぎるという理由から今では連邦、帝政圏の両陣営から実質放棄されており、戦略上の重要度は極めて低いものとされている。

 とはいえ敵国からの侵入者が潜んでいる可能性や秘密裏の軍事展開がなされている可能性というのもゼロではないため、定期的な調査、索敵は必須である。

 そういう点においても、本演習の重要度は高いものと言えた。


「よう、ウォッチャーの。今日はよろしくな」

 ふと声を掛けられて振り向くと、そこに立っていたのは物々しい装甲服を着込んだしようひげの男だった。

 彼は「守衛官デイフエンダー」。「箱庭」及び聖女たちの警備や護衛、そして──仮に彼女たちが反逆行為に及んだ場合の殺処分などを引き受ける役職である。

 国境が近い場所での演習である。敵兵との遭遇の危険もあるがそれ以上に、上層部が危惧しているのは聖女たちが脱走する可能性の方であった。

 ……彼らの存在は、そのための保険というわけだ。

「ったく。この夏日にこんなくそ暑い強化兵装パツケージ着て一日見張りとかやってらんねえよ。俺が熱中症になっちまう」

 やめだやめ、と言いながら手近な椅子に腰を下ろして脱力する彼。「ランバージャック」の符丁を持つ彼は「箱庭」の警備責任者という大役にもかかわらず、どうにも気の抜けた男なのだ。

「大体、あの嬢ちゃんたちが脱走だの、反乱だのするわけもねーだろうに。お上は神経質すぎんだよ。……そもそもよ」

 小さく息を吐いた後、彼は私へと向き直り。

「どうせもう、嬢ちゃんたちは用済みなんだ。訓練なんかしたところで、何になるってんだ」

 力の抜けた──けれどどこか、皮肉げな響きがにじむ声でそう、静かに続ける彼。

 その漆黒色の瞳を見返して、けれど私は何も答えない。

 そんな私をしばらくじっと見つめた後。やがて彼は小さく肩をすくめて、

「……ま、あんたに言ってもしょーもないわな。やれやれ、すまんね」

 そうつぶやいたきり、再び無骨な小銃をかついでテントを出ていった。



 ──さて、そんな調子で数時間ほどが経過すると、ちらほらと脱落したペアが救護テントへと戻り始めた。

「……っつぅ、やられたー! くやしー!」

 擦りむいた膝に処置を受けながら涙目で叫ぶこの童女は、A‐069「」。早々に交戦し、運悪く敗退してきたペアの片割れだ。

「っていうか先生、もーちょい優しくしてよぅ。それ痛い!」

 そう抗弁する彼女であったが、とはいえ土や砂で汚染された擦過傷は、そのまま放置していたら皮内に細かな砂粒が残存して外見的な障害を残す場合がある。こうしてちゃんと消毒し、洗浄することが必要だ。

 ピンセットでしゆせい綿めんつかみ、若干の力を込めて傷口を拭う。は小さな悲鳴を上げながら、恨めしげにぼやいた。

「うう、おのれ8・9はちきゆーペア。あいつらのせいで……いだだだだ」

 どうやら彼女たちのペアを撃破したのはここののペアらしい。

 それから後に脱落し、戻ってきたペアも半数は彼女たちの手で撃破されたもの。もう半数はりつもりペア、あるいはペア……といった割合で。

 気付けば夕方の六時になる頃には、既に戦闘を継続しているペアの数は両手の指で余るほどに減っていた。


 ……が救護テントに運び込まれたのは、丁度その頃のことだった。

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