■2──識別コードA‐008(5)


    ■


 目を閉じて、額に汗をにじませて気をうしなったを──救護テントまで運んできたのはペアであるここのと、そしてりつもりの三人だった。

「……お二人と遭遇して、しばらくやりあってたらここの先輩の方から白旗が揚がって」

「何かと思ったら、やっちゃんが具合悪そうにしてたんだよね」

 心配そうにそう告げて、眠り込むをじっと見つめるりつもり

 そんな彼女たちに、私は訓練へ復帰するよう告げる。

 そうして救護テントに残されたのは、ベッドに横たわると──そんな彼女を見守るここの

 を静かに見つめたまま、ここのは口を開く。

「先生。さんは──」

 心配はない、と説明する。

 診察上、今すぐに命に関わるような所見はない。恐らくは軽度の脱水と、そして何よりも──ここ最近、訓練に根を詰めすぎたことによる疲労の蓄積であろう。

 しばらく点滴で補液を行っていれば、じき目は覚める。

 ……それよりも、と。

 心配そうにを見つめるここのに──私は問いを投げる。

 ……いや、質問と言うよりは、確認と言うべきであったかもしれない。

 ここの。彼女がの態度について何か知っているであろうことは──分かっていたから。


「……他人ひとさまの昔の話を言いふらすのもいかがなものかと思って、黙っていたのですが。とはいえやっぱり──先生にも知っておいて頂いた方がいいかもしれませんね」

 疲れの混じったため息をついた後。ぽつり、ぽつりと、ここのが口を開く。

「丁度、三年くらい前でしたか。私たち『一桁台フアーストコード』が実戦に投入された頃の話──つまりは、先生がまだいらっしゃってなかった頃のお話です」

 かつ、かつとつえをついて近くの椅子に座ると、彼女は話を続ける。

「当時、『一桁台わたしたち』はまだ訓練課程の途中で──正式に実戦配備になるかも決まっていませんでした。あの頃はまだ私も、早く実戦に出てお役目を果たしたい……だなんて殊勝なことを考えていたものですから、躍起になって訓練に励んでいたものです」

 苦笑混じりの笑みを浮かべながら、ここのはさらに、続ける。

「そんな、ある日のことでした。ようやく私たちの実戦配備が正式に決まって──けれどこの子だけは、実戦部隊から外されたんです」

 理由を問うと、彼女は目を伏せて、

「最終試験として行われたのが、丁度これと同じ訓練……山中での遭遇戦訓練でして。その時も私とこの子とでペアを組んでいたのですが──訓練中にこの子の撃った弾が、私に当たってしまったんです」

 静かな表情で、ここのはさらに続ける。

「丁度夜間で視界も悪く、さらには雨まで降ってましたから、この子の力でもあの状況で正確な射撃を行うのは難しかったでしょう。幸い訓練用のゴム弾だったので、私もなんてことはありませんでしたし──しょうがないで済ませられたはずの、ちょっとしたミスでした。……けれど」

 沈痛な面持ちで、彼女が顔を上げる。

「……上層部は、そうは思ってはくれませんでした。『他の聖女の足手まといになる』と判断されて、この子は『箱庭』への残留を命じられたんです。……それからでしょうか、この子がああいうふうになったのは」

 そうつぶやいて、彼女は眠り続けるを静かに見つめる。

「今でこそあんなふうですけど、前はもっと癒やし系だったんですよ、この子。私ほどではありませんでしたが」

 しょうもない軽口をたたいてみせた後、ここのは少しだけ、その表情を陰らせた。

「今日の訓練で優勝すれば、少しは自信を付けてもらえるかと思ったのですが──なんだか、逆効果になってしまったようです」

 はあ、と大きなため息をついた後、つえを鳴らして立ち上がるここの。どこへ行くのかと尋ねると、彼女は軽く肩をすくめて答える。

「私は訓練に戻ります。私まで一緒に棄権したとあっては──この子、きっと余計に気に病んでしまうでしょうから」

 眠ったままのを見つめて、どこか申し訳なさそうな笑みを浮かべた後。彼女はきびすを返して出ていく。


 ここのが出ていって、しばらくした頃のこと。いつの間にか微睡まどろみかけていた私は、テントの布を軽いものが打ち付ける音が聞こえて目を覚ます。外をいちべつすると、雨が降り始めていた。

 それと、時を同じくして。

「……ん、ぅ……」

 小さなうめき声と共に、眠っていたも、目を覚ました。

 調子はどうだと問うと、彼女はぼんやりとした顔でこちらを見つめて──それから慌てて毛布にくるまると、なぜか赤面しながらこちらをにらんでくる。

「な、な、な、何よこれ、どういう──」

 訓練中に倒れたのだと教えてやると、彼女は面食らった様子でしばらく言葉をうしなって、それからその表情を暗くして、肩を落としてうつむく。

「……ああ、そう。そっか。また私──あの子の足を、引っ張っちゃったのね」

 沈んだ様子の彼女に、私は何か言葉を掛けようとして口をつぐむ。

 そんなことはない、とか。自信を持て、とか。そういう言葉を掛けるのは簡単だ。

 だがそれは、当時の彼女たちを知らない私が告げるべき言葉ではないし、私に許された言葉ではない。

 私は──所詮はただの第三者ウオツチヤーでしかないのだから。

「……その様子だと、ここのから何か聞いたのね」

 そう問うてくるに、私はただうなずいて。すると彼女は小さなため息をついて、ベッドの上で膝を抱える。

「おせっかいなんだから、あの子は。私なんかに気を遣ってくれなくて、よかったのに。……それで、あの子は、なんて?」

 先ほど聞いた通りのことを返すと、彼女は──その口元をゆがめて、どこか悲しげな笑みを浮かべる。

「……そう。あの子は、そう言ったんだ」

 どういう意味かと問うと、彼女は目を閉じて──少しだけ沈黙を挟んだ後、口を開く。

「いいわ。ここのが話したなら、私も教えてあげる。……あの子は私が誤射をしたって言ったのでしょうけど、それは……違う」

 そこで言葉を区切ると。彼女は口元をきゅっと結んで──決心したように、続けた。

「確かに、狙撃が難しい状況だった。あかりのない夜間で、雨も降っていて。でも、当てられる距離だった。……あの子に当ててしまったのは、ただミスしたからじゃない。私が──心のどこかでそれを、願っていたから」

 震える声でそう、吐き出して。

 何もかもを拒絶するように、彼女は抱きかかえた膝に顔をうずめる。

「強大なせきを持っていて、いつも全体を見ていて、冷静で、間違いがなくて。……そんなあの子に、私はいつも憧れてた。憧れて、努力して、だけど私のせきじゃ、あの子には全然かなわない。それが悔しかった。妬ましかった。……だから私はあの時、しくじった。私よりも優秀なあの子の足を引っ張ってやりたい、って。心のどこかでそう思っていたから、私は──」

 そこで言葉を途切れさせて、彼女は大きく息を吸う。呼吸が荒い。精神的なものだろう。

 少し考えて、私は彼女を置いてテントを出る。一人になりたいだろうと、そう考えたからだ。


 いつの間にか、降り注ぐ雨滴は大粒になっていた。

 ざあざあと降りしきる雨をしのごうと、近くの資材置き場のほろの下に走り込んだ──そんな時のことだった。


 通信用の端末に着信が入り、私は画面を確認する。発信者は「ランバージャック」だった。

 応答すると、彼はわずかにあせりをにじませた声で告げる。


「『ランバージャックよりウォッチャーへ。緊急事態だ』」

 何事かと問うと、彼は声を潜ませて──

「『プロトコル501が発生した。ターゲットはA‐009……ここのだ』」


 その言葉の意味するところに、端末を握る手がかすかにこわばる。

 ……プロトコル501。それは、聖女の所在が確認できなくなったことを表す符丁だった。

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