■2――もうひとりの傍観者。その1

■2――もうひとりの傍観者。


 今日も、あの人は私たちから隠れるみたいにして、そそくさとどこかへと出掛けていった。


 そんな姿を、私は――【事象視】によって見届けた後、目を閉じて小さく息を吐く。

 ……怪しい。

 すごく、怪しい。

 以前だって怪しくなかったかといえば、そんなことはないけれど。というよりは、怪しさという概念そのものが白衣と仮面をつけて歩いているような人ではあったけれど。

 それでも――最近はなんだか、「箱庭」にいた時よりもどこか、距離を感じるのだ。


 そもそも、元を辿ればあの日。「箱庭」から逃げ出した、あの雪の日にまで遡る。

 決死の陽動作戦に向かった三七守を救うため、九重と一緒に私たちと別れて飛び出していったあの人。

 その救助のために向かった私たちが見たのは、意識を喪っていた九重と三七守、そして息絶えたA-099と――血塗れで立っていた、あの人の姿だった。


 あの時、あの場所で何があったのかは分からない。情報部の女性も、そしてあの人も、何も教えてはくれなかった。

 だけど、あの日以来――あの人は明らかに、私たちから何かを隠すようになった、そんな気がする。

 もちろん表面上はそんな態度は見せてこないし、他の聖女たちだって別に、そんなふうには思っていないだろう。

 だけど、私には分かる。

 あの人が九重と話している時の、なんともいえないぎこちなさを。

 以前であれば決して存在しなかったような、日々の動作の中の、僅かな軋みを。

 あの人を、九重を、ずっと見ていた私だから。

 こんなのは単なる自惚れかもしれないけれど、けれど確かに――そう思うのだ。


 ――。

「どうしたんですか、八刀さん。今日はいつもより、顔が怖くなってますけれど……何かお悩みごとでも?」

 考え事をしていたせいだろうか。向かい側に座って読書をしていた九重から不意にそんな言葉を投げかけられて、私は思わず椅子から落ちそうになる。

 ただでさえおんぼろなこの温室庭園の椅子が、と肝の冷える音を立てるのを聞きながら、私は九重に向かって首を横に振った。

「別に、そんなことないわ。……学校が始まってようやく色々な手続きとかが一段落したから、疲れが出たのかも」

「『がっこう』の転入に必要な書類仕事とか、先生がお一人で片付けられない分を手伝ってましたもんね。八刀さんはデキる子です」

「褒めても何も出ないわよ。でも、ありがと」

 ふふ、とふわふわの花みたいな微笑を浮かべる九重。先生が来てから見せるようになったこの笑顔が、私はとても好きだった。

 「箱庭」――皆がそう呼ぶこの孤児院の、裏庭に佇む温室庭園。

 ところどころ補修もされずに割れっぱなしの窓から、暖かな春の日差しが差し込んで九重の桃色の髪を照らす。

 「さくら色で、綺麗でしょう?」なんて自慢にしていた不思議な色合いの髪は、以前よりも少し白髪の量が増えたかもしれない。

 それはなんだか残念だったけれど――それでも、そんなまだら色の髪こそが、彼女が「聖女」として在り続けた月日の証左でもある。

 一桁台〈ファーストコード〉の聖女たちが一人、また一人といなくなる中。それでも彼女だけはたった一人、私たちの知らない「戦場」という場所で戦い続けて。

 その心を、体を削り続けて、私たちをこの場所まで導いてくれたのだ。


「本当に、ありがとね。九重」

「……どうしたんですか、八刀さん。熱でもあるのでは?」

「お休みの日だから、気が抜けてるだけよ。気にしないで」

 そう返す私を不思議そうに見つめながら、九重は乗り出しかけていた体を椅子に戻して再び口を開いた。

「それにしても、『お休み』ですか……。なんだか不思議ですね、『がっこう』というのは。曜日によって行く日と行かない日があるなんて」

「確かにね。『箱庭』じゃ曜日で違うのなんて実技と座学の内容くらいで、基本的に毎日訓練だったもの」

 当時はそれが普通で、だから何の疑問もなくこなしていたが。今にして思えば、よくやっていたものだと思う。

「『がっこう』では、どんなことを普段やっているんですか?」

「やっていること自体は、あんまり『箱庭』の時と変わらないかな。勉強は『工廠』で叩き込まれた内容の復習みたいなものだし、体育も戦闘訓練と比べたら大したことじゃないし。……六花が居眠りしてよく教師に怒られてるのも、あっちにいた時と同じね」

 そう冗談めかして返す私に、九重はくすくすと笑う。

 珍しく目を好奇心に輝かせながら聴いている彼女。「箱庭」にいた時は、小さい子たちからよく外の話をせがまれていたが――このごろは立場がすっかり逆になっている。

 ……だがそれも、当然といえば当然だった。


 私たちと同じように、「学校」の制服を着て過ごしている九重。

 だけどそれは私たち用にと送られてきた制服の余りを着ているだけで、彼女自身は――「学校」に通ってはいない。

 戦争中、数多の戦場で怖れられた「舞踏する死神〈ダンス・マカブル〉」。薄桃色の髪をした、死の体現。

 もはや戦場伝説として話半分で語られることもある一方で、やはりそれは、帝政圏においては恐怖と憎悪の象徴である。

 九重と相対した敵に、生存者はいないというけれど。それでも万が一にも、彼女の姿を知る者がどこかにいないとは限らない。

 もし、彼女が帝政圏にいることが公になれば――それは大きな問題を生むだろう、と、あの情報部の女性は言っていた。

 だから、よほどの事情がない限り、九重はこの孤児院から外に出ることを許されていない。

 それが――私たちの亡命にあたっての、帝政圏側から提示された条件のうちの一つだった。

 「箱庭」を出て、自由になった私たち。

 だけど彼女だけは――今もずっと、「箱庭」の中にいる。


 ――。

「ねえ、八刀さん。『がっこう』は、楽しいですか?」

 そんな彼女の質問に、私はなんと答えようか、少しだけ迷って。

 数瞬の後に、結局正直に答えることにする。

「ええ、もちろん」

 私の答えに「そうですか」と、まるで自分のことみたいに喜ぶ九重。

 その穏やかな笑顔にちくりと心が痛むのを感じて――だから私は、そんな気持ちを誤魔化すように声を上げた。

「ねえ、九重」

「はい?」

「せっかくのお休みだから、今日は九重と、何かしたいなって思うんだけど」

 我ながら下手くそな話の持っていき方だな、と思ったが、九重はそれほど疑問に思った様子もなく「はて」と首を傾げた。

「こうして一緒にお茶しながらお話してくれてるだけで、私はいいのですけれど」

「私がよくないの。学校は楽しいけど、そのせいで九重と一緒にいられない時間も増えたから。……今日は九重と、もっと色々なことしたい」

 言いながら、照れくさくて顔が赤くなってきたのを自覚する。そんな私を不思議そうに見つめて、それから九重は苦笑をこぼして肩をすくめた。

「まったく、八刀さんは甘えん坊さんですね。私よりもお姉ちゃんですのに」

「う……」

 途端に恥ずかしさがこみ上げてきて、口をつぐむ私。そんな私に向かってにこにこしながら、九重は言葉を継いだ。

「でも、ありがとうございます。いい加減少しばかり暇を持て余してましたから、たまには何か楽しいことがしたいと思っていたんです」

「そ、そう。なら良かった」

「じゃあ、何をしましょうか。この『箱庭』の中ですから、そんなに派手なことはできないでしょうけど」

 そう言う九重に、私は腕組みして唸る。つい話を振ってはみたものの、なにかアイデアがあるわけではなかった。

 最近、街の小物屋で買ってきたボードゲームが部屋にあるけれど、それはこの前やったばかりだし。組み手? 流石に今の九重にそんなことをさせるのは……と言いつつ、むしろ痛い目を見るのは私の方になりそうだけど。

 いまいち思考がまとまらない中――不意に、そんな私たちの間に割って入る声があった。

「話は聞かせてもらったよ、やっちゃん!」

 ばーん、と。立て付けの悪い温室庭園のドアを開けて勢いよく入ってきたのは、六花だった。

「り、六花ちゃんダメだよ、ドア壊れちゃうよ!」

「だいじょーぶだいじょーぶ!」

 彼女の後ろで慌てているのは三七守。いきなりの凸凹コンビの登場にあっけにとられながらも、私は言葉を振り絞る。

「ちょっ、なっ、貴方たち、いつの間に。っていうかいつから聞いて」

「やっちゃんがく―先輩にデレデレしてたあたりかな」

「なっ!」

「おや六花さん。私と八刀さんは今といわずいつもらぶらぶですよ?」

「九重っ!?」

 まさかのサラウンドアタックである。顔を真っ赤にしながら言葉を失う私に、六花はそりゃもう能天気そうな顔で言葉を続けた。

「まあ、そんなことより……やっちゃん。くー先輩の暇つぶし、私たちも一役買うよ。なにせくー先輩には色々お世話になりっぱなしだもんね。こういう時こそ私たちの出番ってもんだよ。何より私が今ちょー暇」

 そんな歯に衣着せぬ六花の言葉に、その後ろで控えめながら三七守も頷いて。

「わたしたちも、最近九重先輩と一緒にいる時間が減って寂しかったですから……。たまには一緒に、遊びたいです」

 なんて、そんなことを言う。

 そんな二人の素直な言葉に、九重はしばし面食らったように目をぱちくりさせて。それから肩をすくめていたずらっぽく笑うと、

「やれやれ。人気者は困っちゃいますね。……いいでしょう。可愛い妹たちにそこまで言われたら、私もうんと言うしかありません」

 わざとらしくそう言う彼女に、六花と三七守は顔を見合わせて満面の笑顔を浮かべた。


 ――。

 そんなこんなで、六花の提案で私たちは、彼女と三七守の部屋を訪れていた。

 思えば「箱庭」では他の聖女の部屋を訪れるということはなかったし、そういう習慣もなかったから、実質こうして彼女たちの部屋を見るというのは初めてのことになる。

「ささ、入って入って」

 そう言って通されたその部屋は――

「……汚〈きたな〉ッ」

 そりゃあもう、散らかりに散らかっていた。

 日当たりのいい、南向きの一室。二段ベッドが置かれたこぢんまりとした室内には他の部屋と共通の勉強机が二台置かれている。

 勉強机の上は、片方は教科書やらなんだか分からない紙やらどこから拾ってきたのか分からないようなキレイな小石やらが散らかった凄惨な現場で、もう片方はきちんと整理整頓が行き届いたそれ。もはや言われずとも、どちらがどちらの机かは分かった。

 そしてそんな机の上を反映するかのような、室内全体の様子。

 片隅に置かれた道具箱からは何やら様々な雑貨、小道具がはみ出ていて、それらは収納限界をあっさりオーバーして木張りの床の上にまろび出ている。

 誰のせいかは、考えるまでもないだろう。

「六花。貴方、ちょっとは掃除しなさい」

「えー。そんなに散らかってないよ―? どこに何があるかは分かるし」

「わたしはよく分からない……」

「清々しいくらいに、散らかす人が皆言うセリフですねぇ」

 思い思いに感想を述べながら、部屋に分け入っていく私たち。大小様々なガラクタが所狭しと置かれているせいで、足の踏み場も考えなければいけないほどだ。

「ひょっとして貴方、このガラクタ部屋の片付けをさせようってんじゃないでしょうね」

「そんなんじゃないよっ!? っていうかガラクタじゃないしっ!」

 そんな彼女の言葉に、私は改めてそこらへんに散らかった物品の数々を見回す。

 動物のぬいぐるみだったり、あるいはブリキでできた戦車のおもちゃだったり。軍刀……かと思いきや手品用らしい、刃が引っ込む模造剣であるとか、バネじかけで中身が飛び出してくる古式ゆかしいびっくり箱なんかもある。

 これは――

「うん、やっぱりガラクタね」

「ガラクタ違う、私のこーれーくーしょーんー!」

「コレクション?」

 怪訝な顔で問うた私に、唇を尖らせる六花の代わりに三七守が答えた。

「六花ちゃん、こういうなんかヘンなものとか面白そうなものとかを集めるのにはまってるみたいで……。学校の近くの雑貨屋さんで、よく買ってくるんです。そのせいでせっかくのお小遣い、すぐなくなっちゃったんですけど」

 学校が始まるにあたって、「お小遣い」として先生は私たちにいくばくかのお金を支給していた。

 お金でものを買う、ということに慣れてほしい――というのが先生の意図であり、それには私も同意するところだった。「貨幣を物と交換する」という当たり前の常識を、知識としては知っていても私含めて誰も実践したことはなかったからだ。

 学校の始まる最初の月だから、ということもあって、恐らく同年代の子供と比べればだいぶ潤沢な金額を貰っていた私たち。

 使い道が思い浮かばずに貯めておく者、他の子と一緒に共用物を買う者――その使い方は思い思いであったが、なるほど。六花はというといつも通りと言うべきか、ひたすら本能だけで買い物をしているらしい。

「アホの買い物だわ」

「アホじゃないー! ほら見てよやっちゃん、これ! 面白くない?」

 言いながら彼女が道具箱から引っ張り出したのは、なにやら細長い筒の先に丸い部品のついた、よく分からない形の品物だった。

 学校の音楽の授業で「音符」というものを習ったけれど、形としてはどこかそれに似ている。

「なにそれ」

「見てて見てて」

 そう言いながら彼女は細長い部分を持ちながら、先端の丸い部品をぐいと押す。

 すると……「ぺへぇ~」とでも表現すればよいだろうか。なんとも言えない間抜けな音が、室内に大音量で鳴り響いた。

「……いや、なにこれ」

「なんか楽器なんだって。面白くない?」

「別に……」

 感想に困る代物にもほどがあった。

「くー先輩、やってみる?」

「遠慮しておきます」

 九重から返された謎楽器を道具箱にしまうと、六花は唸りながらまた道具箱を探り始める。

「むぅ。じゃあ、他のにしよう……この『どろどろスライム』とかどう? 手触りがなんか面白い」

「……なんか気持ち悪い感触ですね……」

「じゃ、こっちの『透視メガネ』! 服が透けるんだって! 掛けてもよくわかんないけど」

「ただの詐欺じゃない」

 次から次へと妙なものばかり出てくる。

 個人のお小遣いだからとやかく言うものでもないが、とはいえあまりにも野放図すぎる。他の聖女たちのお小遣い状況も少し監督した方がいいかも――と、私がまた頭を痛めていると、

「……おや、これは何でしょう」

 乱雑に室内に散らかったガラクタを眺めていた九重が、不意に何かを見つけて呟いた。

 彼女が拾い上げたものを見てみると、それは手持ちサイズの四角いプラスチックの箱だった。

 全面にはレンズのはめこまれた穴が空いていて、底には細長い口がある。

「あー! それ、そこにあったんだ」

 なにやら喜んでいる六花に、九重がきょとんと首を傾げる。

「これは……何なんでしょう?」

「えっとね、『かめら』って言うんだって」

 その物品の名前は、知識としては存在していた。「写真」というものを撮影するための道具。「工廠」にいた頃に一度、顔をそれで撮影されたことがあった。

「カメラ、ですか。……これが? 戦場で兵隊さんがたが使っていたのは見たことがありますが、ちょっと形が違うような……。どうやって使うんです?」

「ちょい貸して」

 そう言って六花は九重からその「カメラ」を受け取ると、その裏面を覗きながら何やら私や三七守に対して手で合図してみせた。

「やっちゃん、みーちゃん、もうちょいくー先輩に寄って寄って」

「なんで」

「いーから」

 首を傾げながら、九重に寄り添う。するとその外側から六花も体をぐいと寄せてくるものだから、私はほとんど九重と密着するような形に。

 私より少しだけ背の低い彼女の髪がふわりと香って、それでなんだか気恥ずかしさを感じていると――

「はい、ちーず!」

 いきなり六花がそう言うのと同時、かしゃりと大きな音がして、彼女が掲げていた「カメラ」が光る。

「「きゃっ!?」」

 揃って声を上げる私と九重。反面、三七守は慣れているのか驚いた様子はない。

 いきなり何をするのか。六花に苦情を申し入れようとした矢先、彼女の手元の「カメラ」の口から、光沢のある紙が出てくるのが見えた。

「じゃーん」

 得意げにその紙を見せてくる六花。それを覗き込んで、私も九重も、目を丸くする。

 そこに映っていたのは――今しがた身を寄せ合っていた、私たち四人の姿だったからだ。

「これは……」

「すごいでしょ。この『かめら』があると、どこでも『しゃしん』を撮れちゃうんだって!」

 得意げにその写真を見せてくる六花に、私も思わず感心して唸る。……いや、六花に対しては全く感心する部分はないのだが。

 六花の写真をじいっと見つめた後、九重がぽつりと、口を開いた。

「六花さん。それ、ちょっと私もやってみたいです」

「いいよー! はい、ここを覗き込んで、ここを押すと『しゃしん』が出てくるから」

 六花の説明に頷くと、彼女はぎこちない所作でカメラを構え、あちらこちらへと視線をさまよわせる。

「八刀さん、八刀さん」

「え?」

 呼ばれて彼女のほうを見ると、かしゃり、と再び大きな音。ややあって彼女のカメラから、若干ピントのあっていない私の顔が出てきた。

「……撮るのはこの際構わないけれど、もう少し撮りがいのあるものを撮ったらどうかしら」

「おや、ご謙遜を。私にとって八刀さんはとっても大事なお友達なんですよ? 一番に撮らないで、どうします」

「それは、どうも」

 何の気なしだろうそんな彼女の言葉に頬が赤くなるのを感じながら、私はそうぼやいてそっぽを向いた。九重は六花に向き直ると、どこか弾んだ声音で言葉を続ける。

「それにしてもすごいですねぇ。こんなに簡単に写真が撮れてしまうなんて」

「でっしょー!」

 得意げに胸を張る六花に、九重は少しばかり名残惜しそうにカメラを見つめた後、返そうとする。

 けれど、六花はというとそんな九重に、カメラを逆に押し返してみせた。

「いいよ、くー先輩が持ってて」

「いえ、そういうわけには……」

「でもでも、ちょっと楽しかったでしょ?」

「それは、まあ。でもこれは、六花さんが大切なお小遣いで買ったものでしょう?」

 申し訳無さそうにそう返す九重に、横から苦笑いを浮かべて三七守が口を挟む。

「大丈夫ですよ、九重先輩。六花ちゃん、このカメラもう一個持ってるので……」

「なくしたー! って思って買ったら、今日そっちが見つかったんだよね。だから気にすることはないよ、くー先輩!」

「貴方の無計画っぷりについては一度よくよく気にしたほうがいい気がしてきたけどね?」

「う、やっちゃんは細かいなぁ……」

 睨みをきかせる私に、唇を尖らせて縮こまる六花。そんな私たちに、九重がまた不慣れな手付きでカメラを向ける。

 かしゃり。そんな音の後、九重はカメラから顔を外して嬉しそうに微笑んでみせた。

「いい写真が撮れましたよ、お二人とも」

「……そのセンスは、いかがなものかと思うけれど」

 私と六花、そして双方を見て苦笑する三七守が映った写真をポケットにしまいながら、九重は六花に向き直る。

「それじゃあ、お言葉に甘えて――しばらくお借りしますね、六花さん」

「うん!」

 頬をかすかに紅潮させて、いつになく楽しげな表情。好奇心いっぱいに走り回る年少たちみたいな、彼女らしくない――けれど素敵なその笑顔を見て、私は小さくため息をつく。

 全く、こんな顔をされたら、しばらくは彼女の被写体として撮られてあげるしかなさそうだ。

 そんなことを考えていると――不意に窓辺から、ノイズ混じりの音声が聞こえてきた。

 見るとそこに置いてあったのは、臙脂色の四角い箱。「箱庭」でも何度か見たことがある、「ラジオ」という機械だ。

「こんなものまで買ったのね」

「う。いいじゃん、便利だし。ね、みーちゃん?」

「う、うん。その……ほら、ニュースとかも流れてくるから、いいかなって思って、わたしも」

 そんな三七守の言を支持するように、丁度国営ニュースの時間だったらしく、アナウンサーの読み上げ音声が流れてくる。

 戦争の話題。なんでも、今後の正式な休戦に向けて近日中に、連邦からの使節団が帝都に来て会談を行うらしい。

「停戦から、もう四ヶ月か。……けっこう経ったのね」

「そうですね。……こんなに経ったんですから、先生もそろそろお暇になってもいいでしょうに」

 手元のカメラを弄びながらそうこぼすと、九重は私に向き直ってこう続けた。

「ところで八刀さん。先生は今日は、どちらに?」

「いつもどおりよ。今朝もどこかに出掛けていったわ、あの人」

 私がそう返すと、九重はわずかに肩を落として「そうですか」と呟いた。

「せっかくですから一緒に写真を撮りたかったのですが――まあ、仕方ありませんね。四ヶ月も経ちましたけど、さりとてまだたったの四ヶ月ですもの、色々とお忙しいのでしょう。……また今度にしましょうか」

 いつもどおりの落ち着いた声音でそう頷くと、彼女は再び六花、三七守に誘われて輪に入る。

 そんな九重の笑顔もまた、いつもどおりで。

 だけれどそこに少しだけ、淋しげな色が混ざっているような気がした。

 ……だから、私は。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る