■2──識別コードA‐008(8)


    ■


 拠点近く、山の全容を一望できる高台。

 周囲に積まれた無数の通信機材の中央に、彼女は立っていた。

 その頭には無骨なヘッドセットが装着されており、そこにはさらに、周囲の機材から伸びた無数のコードがつながっている。

 そんな異様な光景の中央で、は目を閉じながら静かに、口を開く。


「それじゃあ、始めるわ」

 そう告げたかと思うとその瞬間、彼女の瞳の青色がその輝きを増して──同時に彼女の周囲の空間に、膨大な数の立体投影スクリーンが表示される。

 周囲に並ぶ物々しい機械は全て、彼女の脳波から彼女が感知した情報をデータ化し、共有するための演算・通信装置だ。

 投影スクリーンにはすさまじい勢いで地形情報が描画され、さらにその中に無数の情報が付記されていく。

 半径百メートル範囲の立体図がまたたに完成する。が、は小さく舌打ちして首を横に振る。

「……いない。この程度の範囲じゃ、まだ全然足りない。なら──」

 そう言うやいなや、の瞳の輝きが増して。と同時に、その表情が苦しげにゆがむ。

 瞬間──地表の数ミクロンの凹凸に温感データ、微小生物の動態、川の流速、木々のゆらぎ。無限大の情報が一斉にスクリーン上に広がって、情報となって膨れ上がっていく。

「事象視」によって賦活された彼女の五感は際限なき現実のしゆうしゆうを、演算を、再構成を完了し──その情報量はまたたにペタバイト級にも至る。

【画像】

 スクリーン上の立体図はもはや山地全域の五割程度、十万平方メートルほどの範囲を描画し終えるに至り、さらにその描画は速さを増していく。

 だが──

「っ、が──あっ、うっ、あぁぁぁ!」

 張り裂けそうなほどの悲鳴が、空気を震わせる。見ればの目から、鼻から──血が流れ落ちていた。

 普段の訓練ではまず行うことのない急激な、かつ膨大な情報の演算処理。これだけのデータ処理が彼女の脳に及ぼす負荷はほどのものか、予想しようがない。

 思わず駆け寄ろうとする私に、しかし彼女は、

「……こな、いで!」

 叫ぶようにそう告げて、荒い息をこぼしながら歯を食いしばる。

「……私は、あの子に追いつけない。だから私はあの子のことを羨んで、妬んで……だけどそれでも、あの子は私にとって、ずっと憧れだった。……だから、きっと。ここで頑張らなかったら私は、私自身を許せない。私は、私にとって一番大切なあの子を──今度はちゃんと私の力で、守りたい!」

 血を吐くようにそう告げる彼女を前に、私は足を止める。

 手を差し伸べることは、簡単だ。……けれど、今それをしても、何の解決にもなるまい。

 ここは、彼女のたんだ。ならば今は──私は、傍観者であるべきだ。

 傍観者として、彼女の戦いから目を背けることなく、見続けるべきなのだ。

「……まだ、まだ見つからない。もっと、もっともっともっと、情報を──」

 そうつぶやきながら、耐えきれなくなったのかうずくまる。けれどなおも、処理されるデータ量は際限なく増加の一途を辿たどつづける。……これではいつ、の脳が焼き切れても、おかしくはない。

 だが──私はただ、目の前の光景を見つめ続ける。

 ……それが、彼女との約束だった。


「──みつ、けた!」


 絞り出すようなの声。それと同時にスクリーン上の立体図にぽつりと点が表示される。

「……ターゲットの座標を保存、送信完了。……お前ら急いで確保しろ、もう時間ねえぞ!」

 通信機に向かってそう叫ぶランバージャックの怒鳴り声が聞こえる。と同時に私はそばへと駆け寄ると、倒れ込みそうになる彼女の体を間一髪で支える。

 瞬間、周囲を埋め尽くしていた投影スクリーンが一斉に消えて、の体からも、だらりと力が抜ける。

「……あとは、任せたわよ。……先、生」

 それだけ告げて、目を閉じる彼女。その体を抱きかかえると、私はランバージャックへと向き直る。

 親指を立てて、不敵な笑みを浮かべてみせる彼。

「座標さえ分かっちまえば、あとは俺らでどうとでもなる。迷子のお姫様は責任持って送り届けてやるさ──だからそっちの頑張り屋を、ちゃんと休ませてやってくれ」

 そう告げた彼に礼を言うと、私はを抱えてその場を後にする。

 ここのが救出されたとのしらせが入ったのは、それから二十分後のことだった。

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