■2──識別コードA‐008(9)


    ■


 ……結論から言えば、ここのは無事だった。

 てんまつも、蓋を開けてみればなんということはない。戦闘行動中、足を滑らせて沢に転落し──その時につえを落としてしまったせいで、動けなくなっていたのだという。

 発信機の反応が消えたというのもこれまた単純な理由で、彼女がその少し前に交戦していたA‐069の保有する「電撃操作」のせきによって故障していただけだった。


 とまあそんなこんなで。ここのの方は結構な高所から落ちたにもかかわらず、軽い擦り傷や打撲以外のはなし。

 そして──


「……だから。もう体は全然大丈夫だって言ってるでしょ」

 定期診察の日。医務室の椅子では、あきれたように腕を組んで私を見つめていた。

 血液検査の結果などを確認する。以前と比べて大きな変化はない。

 一応頭部の画像検査なども一通り行ったが、幸いこちらも異常はなかった。

 自覚症状は何かあるか、と問うと、

「別にないって。……心配性すぎるんじゃないの、先生」

 との答え。

 あの日、最大出力でせきを使い続けた彼女であったが──ひとまずのところは問題なく日常を過ごせているようだ。

 長期的な後遺症についてはまだ油断はできないが……それは今後、注意して診ていく他ないだろう。


「ねえ、先生」

 一通りの診察を終えた後。着衣を整えながら、がぽつりと、口を開いた。

 なんだ、と問うと彼女は少しだけ。しゆんじゆんするように視線を揺らして──

「……あり、がとう。それと、今までごめんなさい」

 なんて、そんなことを言う。

 思いがけないその言葉に私が固まっていると、彼女はいつも通りのむすっとした表情で、

「ちょっと。その態度、なんかおかしくない?」

 そう言ってくる彼女に私は少しばかり慌てて首を横に振った後──なぜそんなことを言うのかそれとなく尋ねる。すると彼女は、その白い頬を赤く染めて恥ずかしそうにそっぽを向いて、

「……そりゃあまあ。先生のお陰で、私は自信を取り戻せたから。一応、お礼くらいは言っておかないとと思っただけよ」

 そう返す彼女に、私は少しだけ沈黙した後、再び首を横に振る。

 彼女の背中を押したのは、私ではない。彼女が前に進むことができたのは、他ならぬ彼女自身の努力のたまもの

 私は──いつも通り「見ていた」だけ。強いて言うならば、状況を少しばかり整えた程度だ。


「……なんつーか、結構面倒くさいわね貴方あなた。礼くらい、素直に受け取りなさいよ」

 あきれたように半眼でつぶやきながら、小さくため息をつく彼女。その表情にはしかし、前ほどのとげとげしさはない。

 事件はあったものの、結果的には彼女とも少し交流を深められたのかもしれない。だとすれば万々歳だろう──そんなことを考えながら、私は胸をろす。

 するとそんな時、医務室の扉が開いて誰かが入ってきた。

「やっほー、せんせ……っておや、さん」

 能天気そうに声を上げて入ってきた彼女──ここのは、の姿に気付くと少し驚いた顔で目をまたたかせる。

「そう言えば、今日はさんの診察が先でしたか。これは失礼しました」

「あ、気にしないでここの。私はもう──」

「先生と愛を育むのはまた後にしましょう」

 そんな、いつも通りの軽口を彼女がたたいたその瞬間。

 の表情が──ぴしりと、凍りついたような気がした。

「……ここの。それって、どういう」

「え? イヤですねさん。私の口から言うのは恥ずかしいです。強いて言うなら、体と体を密着させてこう、押したり引いたり挿したり抜いたりとか」

 記録上誤解のないように注釈すると、徒手筋力検査と採血である。そう言いかけたところで、

「……先生?」

 ぞくりと。

 つぶやきに私は思わず、口をつぐむ。

 彼女の顔を、見返す。今までに見たことのないような、きれいな笑顔。だがしかし──それゆえに奇妙な圧がある。

 立ち上がって、ゆらりとこちらに向き直ると。一転してその顔から笑顔が消え、そこにあったのは仮面よりも仮面じみた冷たい無表情で。

「……ここのに何かしたら、絶対に許さない。どこに隠れても、見つけ出してやるから」

 かつてないほどの殺気にあふれたそんな言葉を残して、部屋を出ていく

 そんな彼女の態度を前に、私はようやく──全てを理解する。

 彼女が私を目の敵にしていたのも。戦場に出たくて一心不乱に努力を続けたのも、全部。

 全部、彼女が──ここのを好きすぎるがゆえ、なのだと。


 A‐008、「」。

 過去六ヶ月の訓練データでは白兵戦闘:クラスB。指揮能力:クラスA。

 品行方正で思想上の問題点もなく、規律違反及び命令違反の実績なし。

 保有せきである「事象視」は純粋な戦闘技能としては他に劣るものの補助性能は高く、最大出力時の索敵性能は実測二十万平方メートルもの超広域にも及ぶ。そういった点も踏まえれば、その総合能力は現在生存している聖女の中でも極めて優秀である……が。

 一点。一点だけ、彼女には問題があった。

 問題点というのは──そう。

 彼女のここのに対する愛情が、重すぎるということだ。


──。

 肩を怒らせて出ていったの後ろ姿を見送りながら、当事者のここのはというと──

「おやおや。仲良しへの道はまだ遠そうですねぇ。せっかく切っ掛けを作ってさしあげましたのに」

 なんて。いたずらっぽい笑みを浮かべてそんなことを言う。

 ……種明かしは、今更彼女に求める気にもならなかったが。要するに今回の件は──彼女が仕組んだ計画的な、たちの悪いだった。

「電撃操作」のせきを持つA‐069と交戦し、おそらくはわざと、その攻撃を軽く受けるなりしたのだろう。そうすることで発信機を壊して、その後適当なタイミングで姿をくらませた。

 大筋の流れとしては、そんなところか。

「さっすが先生。私の考えることなんて、お見通しというわけですね」

 ぺちぺちと拍手をしながらゆらゆらと笑う彼女に、私はため息を吐き出す。

 なぜそんなことをしたのか……などと、それを問うのはなおさらナンセンスだろう。

 彼女は、知っていた。が無理をしていることも、その理由も、恐らくは。

 だから──私からの依頼にかこつけて、この計画を実行に移した。

「私に誤射をしたあの日から、あの子がずっと悩み続けてるのは薄々感じていました。……あの子がどう思っているかはともかく、私はあの子の親友のつもりですからね。で、そこにうまいこと、先生からの相談事が転がってきたので──やるなら今回だと、そう思ったわけです」

 得意げに語る彼女に、私はあきじりの視線を送る。

 の悩みを知っていたのなら、ここの自身が一言声を掛けてやれば済んだのではないか。

 そんな私の言葉に、彼女は少しだけ、寂しそうな表情で笑う。

「……そうですね。そうできれば、それが一番でしたけれど──それじゃあ、駄目だったんです。私がいくら言葉を重ねたところで、誰よりもあの子自身が、自分のことを信じようとしていませんでしたから」

 だから、彼女は企てた。

 に自信をつけてもらう、たったそれだけのために──彼女は平然と、自分の命を懸けるという強行策に出たのだ。

 ……もしも、私が彼女の救助で粘ろうとしなかったらどうしていたつもりだろうか。

「そんなこと、考えもしませんでした。……なにせ私と先生とは、運命の赤い糸でがんじがらめになっていますからね」

 とぼけたようにそんなことを言う、彼女の微笑ほほえみに。

「……って、いた、痛いです先生。アイアンクローはちょっと流石さすがにいだだだだだ」

 疲労感がどっと噴き出すのを感じて、私は八つ当たり気味に教育的指導を開始した。

 全く、といい、彼女といい。

 ──人様に心配を掛けるのも、程々にしてほしいものだ。



 ──生存中の「聖女アーテイフアクト」個体数:三十五体


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る