■2──識別コードA‐008(1)


■2──識別コードA‐008


 識別コードA‐008、個体識別名「」。

 製造年一九三六年、A‐009と並んで現在生存中の「一桁台」。

 頭髪は極東種イーストリに特有の漆黒色で、瞳はケイバー分類Ⅰ度の青色。身長は一六三センチメートルとごく平均的な体格で、聖痕ステイグマ症候群に伴う著明な視力の低下の他、現段階において各種検査値にて特記すべき異常値は認められていない。

 訓練カリキュラムにおける成績を開示。白兵戦闘:クラスB。指揮能力:クラスA。

 品行方正で思想上の問題点もなく、規律違反及び命令違反の実績なし。

 保有せきである「事象視」は純粋な戦闘技能としては他に劣るものの補助性能は高く、総合能力は極めて優秀である……が。

 一点。一点だけ、彼女には問題があった。

 それは──


    ■


 ──記録番号1942‐07‐05。


「箱庭」敷地内、学舎棟にある医務室。

「さっさと、しなさいよ」

 少しだけ、震える声。その声の主はA‐008、「」だった。

 わずかに上気した頬。かすかに汗ばむ手のひらをきつく握りしめる彼女に、私はうなずいて。

 少し痛む、と。そう警告するやいなや間髪入れずに、彼女のちゆうのわずかに浮き出た静脈へと注射針を刺し込む。

「……っ」

 もぞもぞと握った拳を握り直す彼女。私は手先がぶれないように、ゆっくり、ゆっくりと押し子を引く手に力を込めていく。

 およそ三十秒ほどって、シリンジの中に血液が満ちたのを確認すると私は彼女の腕に巻かれたゴム製のけつたいほどいてすっと針を抜いた。

 とうつうの有無を問うと、彼女は見るからに不機嫌極まりない様子で私をにらみつけ、

「……ええそうね。だいぶ痛かったわ、この下手くそ」

 きつい調子でそう返すと、しゆせい綿めんで刺入部を押さえながら器用に制服の袖を整え直す。

 そんな彼女を横目に、私は検体ラベルの貼られたスピッツに血液を分注していく。

 刺入部を軽くさすりながら──はこちらへと向き直り、口を開いた。

「それで。検査の結果は」

 彼女の言葉に私は端末からカルテを開き、表示されたもろもろの結果をつぶさに確認する。

 画像検査及び各種生理検査では目立った変化はなし。その他、神経学的にもおおむね異常なし。

 ただし──

「……ああ、そう」

 表示された視力検査の結果を提示する。

 視力は、測定不可。ほとんど何も見えていない──あるいは、おぼろに人影がうごめくのが分かるといった程度だろう。

 一応眼鏡で矯正はしているものの、それも焼け石に水と言うほかない。

 そんな報告に、彼女はむすっとした表情のまま、小さく肩をすくめる。

「当たり前よ。どうせいまさら、良くも悪くもならないわ。こんなの、やるだけ無駄よ」

 否定的な態度を見せるに、私はこれが必要なメンテナンスであることを伝える。

「分かっているわよ、そんなことは」

 いらたしげに声を荒げると、彼女は身を乗り出して、胸ぐらでもつかんできそうな剣幕でもって私をにらむ。

「……ねえ先生。私がきたいのは、そんなことじゃないの。分かるでしょう。私が知りたいのはね──私がいつ、実戦に出られるのかっていうこと」

 静かな。けれどどこかあせりにも似たものをにじませる口調でそう告げる彼女に、私は座ったまま、首を横に振る。

 それは調律官ウオツチヤーが決定する項目ではない。「管理官コントロール」クラスでなければその決定権は与えられないのだと、そのむねを伝達すると、

「じゃあ、精々貴方あなたは気をかせなさい。私が少しでも早く、戦場に出られるように」

 そう吐き捨てて彼女が席を立とうとした、ちょうどその時のことだった。

「失礼しまーす。さん、終わりました?」

 気の抜けたようなのんきな声と共に医務室に入ってきたのは、ここの

 彼女の姿を認めるやいなや──けんのん極まりなかったの表情に動揺が走る。

 先程までのかたくなな様子から一転して、その雰囲気はどうにも、奇妙なものに感じられた。

「こ、ここの……」

「あらら、どうしたんですかさん。なんだか落ち着かなげな様子ですが──はっ、もしや先生に何かされたんですか、性的な意味で!」

 ぱっと顔を青ざめさせると、ここのは私へと向き直りつかつかとにじり寄ってくる。

「それはいけません、いけませんよ先生! そういったことをご要望でしたらまず私に言って下さればよいですのに!」

 何やら盛大な勘違いを垂れ流し続けるここのの頭を押しのけつつ、 採血をした箇所が痛むらしい──というありあわせのうそと共に私は首を横に振る。

 するとここのは納得したのかしていないのか、そもそも初めから私に言い寄る口実だったのかあっさりと引き下がると、バツの悪そうな表情で立ちすくむのもとへと歩み寄って──おもむろに彼女をぎゅっと抱き寄せた。

「ちょっとここの、何を……!?」

「大丈夫ですか、さん。痛かったんですね、おーよしよし」

「ふみゅう……」

 の頭を抱きながら、ゆるゆるとでるここの。そんな彼女に何か抗弁を返そうとするだったが、顔を真っ赤にしてそのまま黙り込んでしまう。……ここのより少し背の高いが彼女に抱かれているその様は、なんとも不思議な光景だった。

 借りてきた猫みたいに大人しくなった彼女を抱いたまま、ここのは私にわざとらしく批難めいた視線を向けて、

「ダメですよ、先生。あんまりさんをいじめちゃ」

 気をつけよう、と私が返すと彼女はにやりと笑みを浮かべ、「分かればよろしい」とうなずいてそのままを引き連れ医務室を後にする。

 そんな彼女たちの背中を見送りながら、私は小さなため息をついた。


 A‐008、「」。

 過去六ヶ月の訓練データでは白兵戦闘:クラスB。指揮能力:クラスA。

 品行方正で思想上の問題点もなく、規律違反及び命令違反の実績なし。

 保有せきである「事象視」は純粋な戦闘技能としては他に劣るものの補助性能は高く、総合能力は極めて優秀である……が。

 一点。一点だけ、彼女には問題があった。

 問題点というのは──そう。


 彼女が私を、ひどく嫌っているらしいということだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る