■1943/XX/XX――死にたがりの聖女に、幸せな終末を。
■1943/XX/XX――死にたがりの聖女に、幸せな終末を。
「もう……先生ってば遅いなぁ」
夕光の差し込む温室庭園で、私は誰にともなくそう呟いて、テーブルに突っ伏していた。
10月のひんやりとした風が、うっすらと髪を撫でる。肌寒いな、とぼんやり思いながら――ゆっくりと目を閉じ、物思いに耽る。
八刀も、他の子たちも。皆私に、隠し事をし続けている。
先生が亡くなったらしい、という事実。そういう隠し事が下手くそな六花ですら、私の前ではそのことに触れないようにと気を遣ってくれている。
だけど――私はとっくに、知っている。
皆が話しているのを隠れて聞いてしまったし、そもそも……きっとあの人は二度と帰って来ないだろうって、別れたあの日から、ずっとそう理解していた。
必ず約束を果たすって、あの人はそう言っていたけど。
あの人のつく嘘は分かりやすいから――すぐに分かってしまうのだ。
二度と帰って来れないと、知りながら。
それでも私に生きていて欲しいと願ったから、あの人は最後まで仮面を被り続けて、そんな優しくて残酷な嘘をついた。
「――早く帰ってきてくれないと私、死んじゃいますよ?」
なんとなく、そう口にしてみて。そうすると少し楽しくて、私は思わず笑みを零す。
あの子たちからは、おかしくなったと思われているだろうか?
それでも別によかった。その方がいっそ、あの子たちも気に病まずに済むだろうから。
あの子たちは私に、夢を見せてくれている。
いつか帰ってくるあの人を待ち続ける――少し悲しいけれど、幸せな終末期の夢。
きっともう、そう長くはないだろうけれど。
それでもせっかく、あの子たちが見せてくれているのだから。私ももう少しだけ、この夢に浸っていよう。
薄桃色の石の指輪を、空にかざしてみる。
夕焼けの赤を反射して煌めくその宝石はただ綺麗で、何度見ても飽きない。
ああ、綺麗だなぁ。
ぼんやりとした頭で、ただそんなことを思っていると――ほんの少しだけ、胸の奥が苦しくなってくる。
こんこん、ぜいぜいと。喉の奥が上手く動かなくて、私は何度か咳き込む。
寒くなってきたからだろうか? 以前にも増して、こういうことが増えてきた。
いつもはだいたい数十秒程度で収まるのだけれど……今日は少し、それより長い。
こんこん、ぜいぜい。
息苦しさはとれないままで、だんだん気分も悪くなってきて、私はテーブルの上に突っ伏してしまう。
普段は当たり前にやっていたはずの呼吸が、上手にできない。
そんなことは初めてだったから、頭の中が真っ白になって、叫び出したくなってくる。
どうしよう? 八刀さんを、呼ぼうか?
彼女が置いていった携帯端末に触れようとして……だけどそこで、手を止める。
もしかしたらこれは、いい頃合いなのかもしれない。
長く、長く生き過ぎてしまったけれど。ようやくここで、終わりにできるのかもしれない。
酸素を上手く取り入れられていないからだろう。体が、どんどん動かなくなっていく。
全身が寒くて、凍えそうで。だけれど反面、頭からは恐怖心が薄らいでゆく。
ぼんやりとした視界の中で、薄桃色の光だけがきらきらと瞬いて。
最期に見る光景としては、悪くない――そんな気がして私はゆっくりと目を、閉じようとして。
だけどその時、聞こえてきたのは扉が開く音。
一体誰だろう? そう思って、私は視線だけをそちらに向ける。
少しよれた白衣を羽織った、背の高い、黒髪の人。
きれいな顔立ちをした、知らない人。
だけどその双眸にはまった蒼銀色の輝きを――私は確かに、知っていた。
一度も見たことはなかったけれど、それでも。
仮面の上からずっと、その目はいつも、私たちのことを見守り続けていたから。
気付いた時には、私は体を、起こしていた。
息苦しさなど、知ったことか。でたらめに、無理矢理にでも息を吸って、吐いて、私は震える手でテーブルを押すと、そのまま勢いに任せて立ち上がる。
もう何ヶ月も使っていなかった足だ、力など入るわけもない。
だけど、それでもよかった。
ほんの数歩でも進めれば――それでいい。
そんな衝動のままに私は車椅子を押しのけて、半ば転びそうになりながら手を伸ばして。
ずっとずっと言いたかった言葉を、肺の中の空気全部で声に出す。
「……っ、おかえりなさい、先生……!」
伸ばしたその手を――その人は受け止めて。
倒れそうな私の体を抱きしめながら、その人は私に、こう返した。
「……ああ。ただいま、九重」
『死にたがりの聖女に幸せな終末を。』/特別1巻まるごと連載 西塔 鼎/電撃文庫・電撃の新文芸 @dengekibunko
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