■3──識別コードA‐037・060(6)


    ■


 十一月二十五日。

 もりが、熱を出した。


 ──。

「……すみません、さん……」

 医務室のベッドに横たわりながらどこかふわふわとした調子でつぶやもりに、は軽く肩をすくめて首を横に振る。

「いいわよ礼なんて。あのまま模擬戦続けてぶっ倒れられたりでもしたら困るもの」

「うぅ……すみません……」

 心配半分、あきれ半分のそんな返しに、もりはというとしゅんとして小さくうなずく。

 本日の訓練でのこと。朝から体調が悪かったという彼女は、模擬戦の最中に座り込んでしまったのだという。

 診察してみると微熱もあり、恐らくは日頃の疲労による風邪──もっと限定的に言うなら、編み物に根を詰めすぎたせいだろう。そんなわけでこうして、によって医務室まで運ばれて寝かされるに相成ったというわけだ。

「全く。具合が悪いならちゃんと事前にそう言いなさいな。無理したってろくなことにはならないんだから」

「はい……」

 険しい表情で説教するを見つめて、私は思わず小さく苦笑する。……身につまされている彼女だからこそ、そう言いたくもなるのだろう。

 そんな私の様子に勘付いたのか、がこちらを横目で見つめて舌打ちをする。

「何か今、ムカつくことを考えたでしょ」

 何のことかとはぐらかすと、彼女は少し照れの混じった表情でこちらをにらみ──けれど特に追及することもなく、小さなため息をついた後に再度口を開く。

「先生。この子、大丈夫そう?」

 彼女の問いに、私は改めてもりへと向き直る。

 微熱とけんたいかんはある様子だが、他の症状はない。……彼女の場合は体調不良で不整脈が増悪するリスクはあるが、ひとまずは経過観察でよいだろう。

 いつぞやのではないが、とにかく休息が何よりの薬だ。

 そう告げると、しかしもりは浮かない表情を見せる。

「……でも、その。りつちゃんへのプレゼント、まだできてなくて。……あの、せめてここで少しずつ進めても──」

「ダメよ」

 言いかけたもりに、私が口を開くよりも早くぴしゃりとが告げる。

「知ってるのよ。貴方あなた最近、寝る時間削ってまでやってたでしょ」

「……う。でも、もうあんまり日がなくて」

「『でも』じゃない。自分の体調管理だって兵士の仕事なんだから」

 厳しい口調でそう言うと、は席を立ってきびすを返す。

「それじゃあ私は戻るけど、貴方あなたはちゃんと休むのよ。……ああ、あと」

 思い出したとばかりにつぶやくと、もりにびしりと人差し指を突きつけて、

「今日のところは、編み物禁止」

「うぅ……はい……」

 そう言い残して足早に去っていくを見送った後、私はもりへと視線を戻す。

 見るからにしょんぼりとした表情でうなれる彼女はびんに感じられたが、とはいえ──また無理をされては困る。

 の言い方は厳しいものでこそあったが、言うまでもなく、もりを思ってのことなのだ。

 そう言い添えると、もりは控えめな笑顔を浮かべてうなずく。

「だいじょうぶです、分かってます、さんが……すごく心配してくれてたこと。分かるん、ですけど……りつちゃんの誕生日、間に合わなかったらどうしよう」

 そうつぶやいて、唇をんでうつむく彼女。以前のと同じような──焦燥感のにじむ様子。

 ……りつならばきっと、間に合わなくても気にしないだろう。

 そう告げると、彼女は少し面食らった顔で──それからその表情を少しだけ柔らかくして、小さくうなずく。

「……そうですね。多分、そうだと思います。りつちゃん、優しいですから」

 はにかんだようにそうつぶやいて笑った後。でも、と言い添えて、彼女は続ける。

りつちゃんはいつも優しくて、明るくて、元気で。いつも、わたしの手を引いてくれて。……りつちゃんにはいっつも、何もかもをもらってばっかりだから。今度こそ、わたしの方からなにかあげられたらいいなって……そう、思うんです」

 同じようなことを、りつも言っていた。

 思わずそう口に出すと、もりは意外そうに目を丸くする。

りつちゃんが、ですか?」

 言ってしまった手前、はぐらかすのもかえって不自然になる。どうしたものかと返答に詰まっていた、丁度その時のことだった。

 どたどたと慌ただしい足音の後、壊れそうな勢いで医務室の扉が開いて。

「みーちゃん、みーちゃん、大丈夫!?」

 大きな声でそう呼びながら入ってきたのは、りつだった。

 恐らく全速力で駆けつけたのだろう。冬だというのに訓練着を汗でらしながら、ベッドの上のもりへと駆け寄ると、その手を取ってりつは続ける。

「やっちゃんから、みーちゃんが倒れたって今さっき聞いて! 私びっくりして、慌てて抜けてきて──ああでもそうだ、今ケンカしてたんだ……じゃなくて、えっと、あうあうあう」

 混乱しきった様子でぐわんぐわんと目を回しながらうめいて。それからはっと何かを思いついた様子で、「三秒待ってて!」と言うや休憩室に飛び込んで、きっちり三秒後に飛び出してきた。

 その手には──編みかけの、ワインレッドのマフラーが握られていた。

「……りつちゃん、それは……?」

「えっとね、みーちゃんと仲直りしようと思って、仲直りついでになにかプレゼントできないかなって思って作ってたんだけど……その、まだできてなくて」

 しどろもどろにそうつぶやいて、しゅんと縮こまりながら──りつは泣きそうな顔で続ける。

「……私が、みーちゃんにひどいこと言ったのが悪いのに。なのに、変な意地張っちゃって謝れずにいて……。本当に、本当にごめんね、みーちゃん。私──」

 そう言ってりつが頭を下げようとした、その時。

 もりが彼女の体をぎゅっと抱きしめて、口を開いた。

「ごめんね、りつちゃん。……わたしの方こそ、謝らなきゃだよ。りつちゃんはもう、あの頃より全然成長してるのに。なのにわたし、ついりつちゃんにきつく注意しちゃって。……本当に、本当に、ごめんなさい」

 ほとんど泣きそうになりながらそう言って、小さな手でりつの頭をでるもり

 そんな彼女に、りつの方もいよいよ頬を赤くして、瞳を潤ませて──

「ふぇっくし!」

 もりから顔を離して、大きなくしゃみをひとつ。

 はなをずるずると鳴らして「ごめん……」とつぶやいたりつに、もりあつにとられた様子で二、三度まばたきした後。やがてくすりと笑みをこぼして、ゆっくりと立ち上がる。

「ちょっと待っててね、りつちゃん」

 そう言って隣の休憩室へと入っていき、一分ほどして戻ってきた彼女の手には、ぐんじよういろの──編みかけのマフラーがあった。

 少し短いそれをりつの首に掛けながら、彼女は涙をにじませて笑う。

りつちゃんに先、越されちゃった。……誕生日までには間に合わせようと思ってたんだけど……わたしあんまり、こういうのうまくなくて」

 申し訳なさそうにそうつぶやいたもりに、りつは首元のマフラーをでながら──泣き笑いを浮かべてみせる。

「ふふ、おそろいだ」

「……あはは、そうだね」

「一緒に、作ろうか」

「うん。一緒に、作ろう」

 そう言って、笑い合う二人。

 編みかけのマフラーを首に巻いて笑う彼女たちの表情は、雨上がりの空みたいに晴れやかで。

 ──もう、心配することはなさそうだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る