29話 緑黄色野菜はちゃんと食え



「それで? 話ってのは?」


煙草に火を点ける俺の手元を冥は鋭い目で睨んだ。


「新品のオイルライター……誰からもらったのかしら?」


いい加減、本題に入って欲しいんだが……この有無を言わさない眼光。瞳の綺麗な女だけに一層迫力があるな。


「澪からもらった。兄さんに贈るつもりのライターだったんだが、澪の兄さんは受け取る前にああなっちまったんでな。」


「そんないわれのあるライターじゃ取り上げる訳にはいかないわね。でも、私の前ではウチの店のマッチで火を点ける事!いいわね!」


冥は万年炬燵の上に置いてあるマッチで火を点けてくれた。


「オイルライターで点けるのとはまた一味違うな。もう100円ライターには戻れそうにない。」


「前から言ってるでしょ。煙草はマッチで火を点けるのが美味しいんだって。オイルライターも悪くはないけど、マッチには及ばないわ。」


そう言って冥も煙草に火を点けた。珈琲を炬燵の上に置いたアルが空気清浄機のスイッチを入れてくれる。喫煙者ではない晶と翠が部屋に来る事もあるので、家電屋で買ってきた新品だ。


「オイルライターかマッチかの議論はさておいてだ。お肌ツヤツヤの冥さん、今日は何をやってたんだ?」


「色々よ。最初にやったのは墓場田からの頼まれ事。」


以前は俺に用があった時についでに立ち寄るぐらいだったが、最近の澪はちょくちょく冥の店に顔を出すようになった。翠の話によると、澪と冥は顔を合わせれば口喧嘩ばかりしているが、義元とアルは気が合ったらしく仲がいいようだ。"宿主の喧嘩をソンブラが仲裁するなんてヘンですよね"と言って翠は呆れていたが……


「澪に何を頼まれたんだ?」


「翠ママの行動観察よ。翠ちゃんの母親は水商売から足を洗って、アルコール依存症の治療をしながら墓場田の紹介したお弁当屋さんでパートをしてるの。」


そんな事になってたのか、澪も面倒見がいいな。


「母親の様子はどうだった?」


「頑張ってたわ。今のところは、だけどね。以前は組にいたからアル中は見慣れてるんだけど、難しいのは治療を受ける事じゃなくて、治療を事なの。」


「ヤクザの組員がアルコール依存症の治療なんてするのか?」


「幹部はね。アル中が使い物にならないのはヤクザだって同じよ。」


「なるほどな。確かにアル中はどんな組織でも使い物にはならないか。」


「墓場田は翠ママがアル中を克服したら翠ちゃんを親元に帰すつもりでいるみたい。母親の方も離れて暮らしてみて初めて娘の事を真剣に考えてみたんでしょう。翠ちゃんの写真が四畳半の安アパートの机に置いてあったわ。酒と男に溺れる生活をしてて、今までは翠ちゃんを便利な家事ロボットとしてしか扱ってこなかったみたいだけど……やっと人間に戻ったみたいね。」


「冥、言葉は正確に。さっき冥自身が言った通りだ。母親は人間に戻ったんじゃない、戻ろうとしてる最中なんだ。」


「……そうね。いい傾向ではあるけれど、依存症を克服出来るとは限らない。あ、この話は…」


「翠には黙っておく。この事を知れば母親に会いに行くかもしれん。それは良くない事だ。」


「ええ。翠ちゃんは優しいコだから。でも優しさが人をダメにする事だってある。」


「そのあたりは子供にはわからんからな。もっとも子供の気持ちが大人にはわからなかったりするからお互い様ではあるが。……不思議なもんだな、どんな大人だってかつては子供だったのに、いつの間にか子供の気持ちがわからなくなるなんて……」


「……そうね。でも私や灰児にわからないだけで、世の中にはきっと子供に寄り添える大人だっているはずよ。私も灰児も親の顔を知らない孤児だからかしら?」


「そうでもない。蔓木園の卒業生には保育士になった奴もいるし、いい家庭を築いてる奴も一杯いる。俺と冥は裏社会に染まり過ぎたって事なのかもな。」


「二人とも、影のある寂しい顔で笑うなよ。影そのものの俺まで寂しくなってくるだろ!」


アルは俺達よりよっぽど人間らしいな。……やれやれ。影の中に棲まうソンブラよりも、人間の抱える闇の方が濃く、深いのかもしれん。


「翠ママについての報告はここまでよ。その後は捜査官の真似事をしてみたの。山王会の殺し屋だった私が捜査官の真似事なんて笑い話にもならないとは思ったんだけど…」


「現実は往々にしてタチの悪いジョークよりも始末に悪いものさ。何かわかったか?」


「私のご同業、つまり殺し屋稼業をやってた顔なじみが何人か消えてた。稼業が稼業だけに強敵相手に返り討ちになったか、深入りしすぎて消された可能性もあるんだけど、腑に落ちない点もある。行方不明になってた奴にはいずれ誰かに殺されるだろうと思ってた奴もいたんだけど、別格の二人が混じってた。一人は凄いのは特能だけって奴だから負ける気はしなかったけど、もう一人は思考、行動にも隙がない男で"こいつと殺り合ったら死ぬかも"って思った奴だったわ。……灰児も知っての通り、殺し屋だった私は"私を殺せる宿主"を探していたんだけど、その男が教えてくれたのよ、"夜見川霊を確実に殺せる男が一人だけいる。名は太刀村灰児、奴以上の宿主はいない"ってね。」


「その男ってのは二十八隆二つづやりゅうじじゃないのか? "苗字は二十八だが、歳は三十八だ"が口癖の……」


「やっぱり知ってたのね。そう、その二十八よ。」


あの二十八まで行方不明だと? アイツは確かに思考、行動に隙はない。殺し屋稼業以外にも裏稼業をやっていたから警察にしょっ引かれた事はあるが、証拠不十分で立件された回数はゼロだ。取り調べを一度も受けた事のない冥は別格だとしても、あの男の戦闘能力は冥に匹敵する。


「あの二十八までが行方不明か。最近は澪から受けた仕事がほとんどで、裏社会の住人達とは疎遠になっていたからな。事情に疎くなっていたらしい。」


「そうね。最近の灰児は特対課のお手伝いばっかりだわ。でもその方がいい。殺し屋やってた私が言うのもなんだけど、灰児にはダーティであってもヒーローでいて欲しいから。」


「俺はダーティヒーローじゃないし、正義なんてものは信じてもいない。ありきたりの平凡な生活を奪った奴らに帳尻を合わさせようとしてるだけだ。冥、行方不明になってる裏社会の宿主リストを…」


「墓場田にはもう送ったわ。調べてみるって言ってた。ただ墓場田は"別な手掛かりが見つかるかも"とも言ってたわね。」


「別な手掛かり?」


「詳細までは聞いてないわ。気になるなら灰児が直接墓場田に聞いてみたら? 相棒なんでしょ?」


なんだか言葉にトゲを感じるが……今夜にでも電話してみるか。運転免許の再取得に澪の力を借りたいしな。


─────────────────────


「あら灰児。ここんとこ忙しかったから、電話もしないで悪かったわね。寂しかったでしょ?」


電話の向こうからキーボードを叩く音が聞こえる。23時だってのに絶賛お仕事中か、行方不明の鬼島に負けない仕事中毒振りだな。


「別に寂しくはない。最近は冥の店によく顔を出してるようだな。」


「翠ちゃんが学校に行く前に私の分の朝食も作ってくれてるのよ。なんでも私には緑黄色野菜が足りてないんだって。」


「……翠の話じゃ、袴田家での最初の朝食は皿に載ったペロリーメイトとビタミン錠剤だったらしいじゃないか。」


「そうだけど、ちゃんとバリエーションはつけてるわよ。プレーンとチーズ、フルーツにチョコレート…」


なにがバリエーションだ。ペロリーメイトの種類を変えただけじゃないか。


「世間じゃそういうのをバリエーションとは言わない。翠が袴田家の栄養バランスを心配するのは当然だな。ところで澪、ちょっと頼みがあってな。」


「なに?」


「女子高生コンビに脅迫されて、運転免許を再取得する羽目になった。失効してから三年は経ってないから「やむを得ない理由」を証明出来れば再取得出来るんだが……」


「はいはい、わかった。特対課から依頼された仕事で書き換え出来なかった事にすればいいんでしょ? 町田にでもやらせとくわ。でも公文書偽造のツケは高くつくわよ?」


本当に高くつきそうだが、この際やむを得ない。



さて、これで免許の件は片付いた。……些事は片付いたし、本題に入るか。


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