19話 ネズミーランドに行こう!



惰眠を貪るだけ貪れるのが無職のいいところである。だが、この日の朝は数少ない例外だったらしい。


「灰児さん、起きて!みんな待ってるよ!」


女子高生に起こされる、世間のオッサンどもには夢かもしれんが、別に嬉しくはない。と、言うより迷惑。俺は大抵の事柄において少数派なのだ。昨夜から過重労働に勤しんだ身としてはもう少し惰眠を貪り、夢見心地でいたい。


だが朝っぱらからハイテンションな元気少女には、仕事に疲れたオッサンの言い分など通らないらしい。体を丸めて毛布にくるまり、拒否する姿勢を態度で示したというのに、おかまいナシで夢の世界から連れ出そうとしてくる。


「起きて起きて!日曜日にネズミーランドに連れてってくれるって言ったでしょ!ネズミーランドは夢の国なんだよ!」


言葉は正確に。確かに約束はしたが、今日とは言ってない。日曜日は来週も再来週もやってくる。


「独身中年なのに家族サービスなんかしてたまるか!俺は惰眠という名の夢の国から出ないぞ!」


「晶ちゃん、5分待ってて。すぐに着替えさせて出掛ける準備をさせるから。」


中年男の空しい抵抗は裏切りによって終了した。人間臭い俺の影はネズミーランドで遊ぶ気満々だったのだ。


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ネズミーランドが好きなのは晶とノーラだけではなかったらしい。


雑居ビルの外に止まっていたのは黒塗りのSUV、これは特対課の車じゃないのか?


「灰児、サッサと乗りなさいよ。夢の国に連れてってあげるから。」


SUVの後部座席には権藤と、棒付きキャンディを舐めるアイリ、それに翠まで乗っていた。


「ご無沙汰してます、灰児さん。その節は色々とご迷惑を掛けました。」


神妙な顔で頭を下げる翠の隣で権藤がポケットから煙草を取り出す。


「気にするな、もう終わった事だ。権藤、この車は禁煙らしいぞ。」


「やれやれ、どんどん喫煙者には肩身の狭い世の中になっていきやがる。」


仏頂面で煙草をしまい込んだ権藤の隣でアイリはアトラクションの地図を広げる。


「ゴンドー、これとこれは絶対乗ろうね♪」


「わかったわかった、だけどアイリは胸ポケットから顔を出すだけだぞ?」


「何度も言わなくても、わかってるもん!もう耳にタコさんが出来ちゃうよ!」


アイリはタコさんウィンナーみたいなイヤリングを形成して耳から提げてみせた。


「まったく、何が悲しくて独身男が家族サービスなんかせにゃならんのだ……」


権藤の嘆きはもっともだ。まったく世の中どうかしてるよ。


「お嬢様、紅茶をどうぞ。」


セバスチャンが水筒から紙コップに紅茶を注ぎ、晶に差し出す。


「ありがと、セバスチャン。みんなにも淹れてあげて。」


「承知しました。マシュマロ殿もいかがですか?」


マシュマロ殿? 翠が膝に乗っけていた真っ白くて丸いぬいぐるみみたいなのがパチクリと目を開け、ピョンピョンと軽くバウンドしてみせた。


「翠も宿主だったのか!?」


「は、はい。このコはマシュマロ、見ての通り言葉は話せないんですけど……」


確かに、見るからに下級ソンブラだな。人型にもなれない、言葉も話せない、たぶん最下級のソンブラだろう。


「紅茶を飲んだら出発しましょう。」


「……なんで冥までいる。店はどうした?」


助手席に座っていたのはソンブラ喫茶のマスター、冥だった。


「今日はお休み。晶ちゃんから電話をもらったの。」


晶め、ソンブラ絡みの知り合い全員に声を掛けたのか……


「せっかくネズミーランドに行くんだから、みんなで行く方が楽しいでしょ♪」


中年×2、美女×2、女子高生×2、ソンブラ×6、大所帯だな。まあ、二人で行くよりはマシか。中年と女子高生がネズミーランドで遊んでる図なんか、援交にしか見えん。


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ネズミーランドのマスコット、ネズミッキーと並んだ女子高生二人の写真を撮る権藤。本職がジャーナリストだけあっていいカメラを持っている。被写体二人も容姿的にはいいセンいってるし、権藤も今日はカメラマンになるつもりのようだな。


「ねえ灰児、二人で観覧車に乗りましょ。」


冥のお誘いに乗るか否か迷っている時間はなかった。澪が割り込んできたからだ。


「あら残念、灰児は私と乗るの。昨夜から相棒になったから、ね?」


「どういう事かしら?……私は聞いてないわよ、灰児!」


怖い目で睨むなよ。澪の意味ありげな目は、昨晩襲撃してきた刺客の情報が掴めたって事なんだ。


「冥、すまんが女子高生二人を頼む。」


「権藤さんがついてるでしょ!話を逸らさないで!」


憤慨する冥にそっと耳打ちする。


「昨晩、正体不明の刺客に襲撃された。伯爵級のその刺客が俺を狙ったのは間違いないが、それ以外なにもわからん。晶や翠にとばっちりを食わせたくない。」


「伯爵級の刺客!?……わかった、事情は後で聞かせて。」


あのレベルの刺客でも単体なら権藤はなんとか出来る。だが複数となれば冥にもいてもらわねば二人が危険だ。


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「刺客の身元は判明したわ。これを見て。」


澪からタブレットを受け取り、データに目を通す。


「白河裕也、37歳。氏族クランに所属する伯爵級か。こんな短時間で、ここまで詳細なデータを入手出来たって事は特対課のデータベースに載ってる奴だったんだな。」


氏族が判明してるなら背後を洗うのは簡単だ。氏族を率いる王の命令である線が濃厚なんだからな。……なんだと!?


「白河の所属氏族はクリムゾンアイズだと!? だがクリムゾンアイズを率いた「炯眼けいがんの王」は4年も前に死んだはずだ。」


「そうね。4年前、クリムゾンアイズは炯眼の王ごと灰児が潰した。」


ああ、炯眼の王とその氏族は俺が潰した。剣崎の婆さんの依頼でな。……白河はクリムゾンアイズの残党だったのか。だったら……


「クリムゾンアイズの残党なら俺を恨んでいて当然だな。眷族だった白河に復讐の動機は充分、だが説明のつかない事がある。奴が洗脳状態だったって事だ。」


「説明のつかない事はまだあるわ。白河は早い段階でクリムゾンアイズを抜けていたと考えられるの。氏族の方でも白河の行方を捜していた、これは奴らのアジトを調べて入手した確かな情報よ。」


稀にだが、王に逆縁を突き付けて野良ソンブラになる奴はいる。デメリットは二つ、個人差はあるがパワーダウンする事と、氏族からの刺客に狙われる事だ。デメリットを避ける方法は一つしかない。自らの手で王を斃して力を吸収し、新たな王になる事。だがほとんど成功する見込みはない。力に差があるからこそ、王と眷族という上下関係が成立しているのだ。


白河は下克上狙いの野心家だったのだろうか?……いや、それだと洗脳状態だった理由の説明がつかない。むしろ白河は意に反して氏族から引き剥がされたと考えるべきだろう。


「澪、氏族を抜けた後の白河の足取りは掴めてるのか?」


「それがサッパリなのよ。町田に調査は継続させてるけど、なにも出てこないと思うわ。白河ほどの宿主が国内に潜伏していたなら、なにか痕跡ぐらいは残っていてもおかしくないんだけど……」


「国内に痕跡がないなら、海外に逃亡していたと考えるべきか……」


「入管にもあたってみたんだけど、手がかりなし。少なくとも真っ当な手段で出入国したんじゃない事は確実ね。ねえ、灰児。私、考えたんだけど、白河は氏族を抜けたんじゃなくて、拉致されてたんじゃない?」


深夜に入管職員を叩き起こして調べさせたのか。さすが4課だよ。そして澪も俺と同じ考えのようだな。


「拉致、か。確かにな。伯爵級なら氏族では大幹部、好き好んで抜ける理由はない。何者かが白河を洗脳状態にして拉致し、手駒として幽閉しておいた。それなら痕跡がない事の説明はつく。」


「でしょ。力のある敵対的宿主が4年もの間、なにも痕跡を残さないなんてまず無理。ひっそりと堅気の生活なんて出来ないでしょうし、そもそも白河は筋金入りの犯罪者だった。でも自由意志を持たない傀儡がどこかに幽閉されていたのなら話は別よ。」


「あり得るな。傀儡状態なら退屈しのぎに外へ出掛けるという事もない。宿主を傀儡化させる特能を持った王か、……「傀儡の王」とでも呼んでやるべきかな。」


「黒幕が王級の宿主かどうかは定かじゃないけど、伯爵級の白河を傀儡化させてる以上、王級と見做した方がいいわね。」


厄介な奴に狙われたもんだ。しかし俺を狙う理由はなんだ? 怨恨か、それとも……


「俺を狙った理由はわからんが、厄介な相手である事だけは確実だな。」


「怨恨か、それとも灰児を傀儡化して手駒にしたいのか、とにかく何かわかったらすぐ連絡する。いくら灰児が最強の宿主だといっても油断はしないでね。」


「ああ。しかし平和な遊園地でこんな物騒な話をしてるのは俺達ぐらいだろうな。」


「どうかしら? スパイ映画じゃ結構遊園地で密談してるわよ。」


話し終えた時に丁度観覧車は地上に降りた。俺と澪は並んで歩きながら、まだ見ぬ敵に思いを馳せる。




やれやれ、腐肉の王の次は傀儡の王か。だが王級のソンブラを始末していけば、いずれは無影の王に行き当たる。その日が待ち遠しいものだ。


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