21話 好物は最後に食べる主義



刺客に襲われてから3週間、新たな襲撃もなければ事件に動きもない。身の回りで動きがあったとすれば、この店だ。冥の喫茶店「パープルシャドウ」はお世辞にも流行ってはいない店だが、週末だけは流行るようになった。土日限定で料理上手なバイトを雇ったからだ。混雑した店は嫌いなので、ランチタイムを大きく外した午後3時に食事に行く。ま、いつものように惰眠を貪り、起きた時間が3時だったというだけなのだが。


ドアベルを鳴らしながら店内に入り、カウンター席の隅っこに座る。俺の指定席だ。今日は運がよかったのだろう、店内には俺の他に客の姿はない。花柄のエプロンで武装し、臨戦態勢でカウンターを磨いている少女、彼女がこの店の客足を奪還した勇者だ。


「ピラフとクラブハウスサンド、食事にはコーラ、食後にはブレンドを。」


「はい。灰児さんはいつも同じメニューなんですね。」


流行らない喫茶店の救世主は調理場に向かい、足元では彼女の影であるマシュマロがコロコロと床を転がっている。ひとしきり転がった後は店の隅っこに置かれたバケツに浸かって行水、そしてまた店内を転がり始めた。


「転がるのが好きなのかと思っていたが、床を掃除していたのか。」


「いや、転がるのが好きなんだ。どうせだから床掃除もやらせてるだけ。」


コーラをカウンターの上に置いた冥の影は、楽しそうに床を転がるマシュマロを見ながら呟いた。


「元気そうだな、アル。」


「アルジャーノンだ!冥、晶、アルプスの少女が来てるぞ。」


それはハイジだ。愛らしく素直な少女と、愛想もないヒネた中年を一緒にするな。年齢も性別も性格も違う、一緒なのは名前の発音だけだ。


検討違いのソンブラの発言に呼応して、住居を兼ねた2階から冥と晶が降りてきた。現在、晶はこの喫茶店で冥と同居してもらっている。傀儡の王の件が片付くまではそうしておいた方がいい。安全第一だからな。


「あら、いらっしゃい、灰児。今日はペーターは一緒じゃないの?」


冥まで悪ノリするな。まったく、殺し屋をやめてから軽い性格になったもんだ。


「山師の彼は株式操作で忙しいらしい。たぶん、兜町にでもいるんじゃないか?」


「灰児さん、ペーターは山育ちなだけで山師じゃないから!ペーターはいいコでしょ!」


「山師=悪人は極論過ぎないか?……そうでもないか、山師はだいたい悪人ではあるな。」


「でしょ。お婆ちゃんから"山師にだけは近付くモンじゃない"って言われてるの!」


さすが資産家の婆さんだ。方々の株を持ってるだけに山師のヤバさはよくご存知らしい。女二人と雑談をする事しばし、厨房からトレイを持って翠が戻ってきた。


「お待たせしました。ピラフとクラブハウスサンドです。灰児さん、ピラフなんだけど、試作中のエビフライピラフにしてみたの。食べてみて感想を聞かせてね。」


翠がカウンターに置いてくれた二品の料理から食欲をそそる匂いが漂ってくる。さっそくエビフライに手を出したのはノーラだった。


「うん、美味しい!翠ちゃんは料理方面をお仕事にするべきね!」


「ありがとう、ノーラさん。タルタルソースにまだ工夫の余地があるかなぁって思ってるんだけど……灰児さんは食べないんですか? エビフライはお嫌いとか……」


「いや、大好きだが、好物は最後に食べる主義でね。」


エビフライは特に好物だ。俺が幸せだった頃の唯一の不幸な点、それはミックスフライ定食に一尾ついてくるエビフライを食べられた試しがない事だった。なぜなら好物は最初に食べる主義だった良子に、いつも横取りされてしまったから。でも俺は、目の前で嬉しそうに横取りしたエビフライを食べる良子の顔を見るのが好きだった。


そして良子は横取りのお詫びに、エビフライパーティーを開いて俺をもてなしてくれた。良子の作ってくれるエビフライをツマミに飲むビールは俺にとって至高の癒しだった。もう二度と味わえないと思っていた良子のエビフライ、だが良子は俺を捨てた訳じゃない。行方不明の彼女と再会出来れば、もう一度……


回想に浸りながらピラフとサンドを食べ終えた俺は、己がポリシーに忠実に最後まで取っておいたエビフライを食べてみる。……良子のエビフライと系統は違うが、メチャクチャ旨くないか、これ……


「翠、ノーラの言う通りだ。将来の仕事は料理関係にしとけ。さもなきゃ人類の損失だぞ?」


「人類の損失って……そこまで褒められると照れちゃいます……」


エプロン姿ではにかむ翠。アル中の母親の下を離れてから、いい顔で笑うようになったな。


「食事は済んだ。晶、翠、トレーニングの時間だ。着替えたらダンススタジオまで来てくれ。」


昨日の夜、電話で事件の捜査報告をしてきた澪から翠のトレーニングも頼まれた。どうせ晶には戦い方を教えているのだから、翠もついでだ。翠は自分は非力で、ソンブラのマシュマロも大した能力はないと卑下しているようだが、そんな事はないと教えてやらないとな。俺は中年、一応は人生の先輩なのだから。


────────────────────────


雑居ビルのダンススタジオ跡で、パイプ椅子に腰掛けた中年は並び立つ女子高生二人とその影に説諭を開始する。最初のレクチャーは、初レッスンの翠からだな。


「翠、マシュマロは最下級のソンブラだ。」


「……はい。私もマシュマロも非力でどうしようもない…」


「話は最後まで聞け。最下級のソンブラは最弱の存在だ、その考えは拙速が過ぎる。確かにソンブラの階位は強さに直結している、だが下克上はソンブラの世界にだってあり得る。要は使い方だ。」


俺は背後に隠した左手だけを武装化し、様子を窺った。……やはりな。


俺は武装化した左手を見せ、翠の腕の中でピョンピョン跳ね出したマシュマロを指差す。


「見ろ。俺の武装化にマシュマロだけが反応した。マシュマロは最下級のソンブラだけに襲撃を感知する能力に長けている。経験則で言えば、生態が動物に近いソンブラは人型のソンブラより感覚に秀でる。弱いんだったら戦うな、サバンナで生きるシマウマもインパラもそうしてるだろう?」


「マシュマロにそんな力が……可愛いだけだと思ってたのに……」


「翠、人間とソンブラを切り離す事が出来ない以上、共に生きるしかない。だったら自分のソンブラを信じろ。宿主としての翠にはその心構えがなかったんだ。そんな宿主を持ったマシュマロが力を発揮出来ないのは当然だろう。影と心を同調させる、これが宿主のイロハのイだ。」


「はいっ!」


翠に抱き締められたマシュマロは嬉しそうだ。よし、これで訓練に入る準備は出来た。後は構築する戦術について指南すればいい。


「さて、マシュマロは全身を覆う武装化は出来ない。そうだな?」


「はい。全身を覆わせるとレオタードのように薄くて、とても鎧としては使えません。……たぶん、厚手のコートを着てるのと大差ないと思います……」


どんなに薄かろうが影鎧は影鎧、厚手のコートよりは遥かに頑丈なはずだが、魔剣相手では意味を為さないというのは正しい認識ではある。問題は装甲の薄さではなく、翠の自信の薄っぺらさだが。


「最下級の宿主が貴族級の宿主に勝った例がある。その宿主はボクサー上がりで、腕だけに集中して武装化させる術に長けていた。ボクシングの技術と限界まで引き出したソンブラの力で下克上を果たしたんだ。翠、まずは両脚だけの武装化を覚えろ。その脚力でまず逃げる、逃げられない相手だったらキックで応戦だ。そして蹴りしか武器がないと相手が見下した時、瞬時に右腕に武装化を切り替え、渾身の拳で勝負する。引っ掛けに近い戦法だが、実戦では審判も観客もいない。」


「やってみます!マシュマロ、私に力を貸してね。」


主の声に体を膨らませて応えるソンブラ。よしよし、やる気はあるようだな。


「言っておくが武装部位を瞬時に切り替えるのは高等技術だ。生半なまなかに身につく技じゃないぞ?」


「はいっ!」


「晶、この技術は全身を武装化出来る貴族級にも有用だ。力点の集中、と俺は呼んでいるが、熊田もこの技術は心得ていた。パワー偏重タイプの熊田が両腕に力点を集中すればこそ、階位が上のセバスチャンをパワーだけで圧倒出来たんだ。」


「そうだったんだ。よぉし、翠。一緒に頑張ろう!」 「うんっ!」


もっとも熊田は腕にしか力点をかけられなかったがな。自由自在に、全身のどこにでも力点をかけられる技が奴にあれば、少しは俺と勝負が出来ていただろう。


「晶は力点の集中を意識しながら俺と組み手。翠は両脚を武装化して、脚力に力を集める訓練だ。助走なしでこの部屋の天井に蹴りを当てられるようになったら、次の段階に移行する。」


ダンススタジオの隅で脚甲化したマシュマロと一緒に屈伸ジャンプを繰り返す翠の様子を窺いながら、細身の魔剣を構えた晶と組み手を開始する。


ほう? まだ未熟だが力点の集中らしきカタチにはなってる。晶はやはりセンスがあるようだ。


矢継ぎ早に繰り出される魔剣セバスチャンを魔剣ノーラで弾きながら、貴婦人のレリーフに話しかけてみる。


「ノーラ、俺は案外お節介な男だったらしい。」


「今頃気付いたの? 私はとっくに知ってたわ、長い付き合いだから。」


宿主の事ならお見通し、か。岡目八目とはよく言ったものだ。それに引き換え俺ときたら……




……やれやれだ。生まれた時から自分と付き合ってる癖に、俺は自分自身が見えていなかったらしい。



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