無職中年血風録 ~魔剣物語~
仮名絵 螢蝶
プロローグ 最強の影を持つ男
廃虚となったビルの一室を淡い月明かりが照らし出す。その一室には剣を携えた男が一人。正確には中年男と周囲に横たわる死体の山。屍山血河の中に、男は佇んでいた。
男の名は
血濡れた大剣を一振りする元サラリーマン。血を払う意味はないのを知りながら、それでもそうしたのは立ち込める死臭を払いたかったからかもしれない。
───────────────────────────────
「終わったわね、灰児。」
俺の全身を鎧のように纏っていた影が足元に戻り、影の中から漆黒ドレスの女が立ち上がる。
「みたいだな。手応えのない奴らだった。」
「あら、言ったはずよ。私は最強の
ソンブラ、か。最初に現れたのがスペインだったから、コイツらは
シャドウと呼ぶ連中もいるが、呼び方なんてどうでもいい。間違いなく言えるのは、コイツらがはた迷惑な存在だって事だ。
「帰りにコンビニに寄って行く。」
「灰児はコンビニが好きね。」
「好きとか嫌いとかいう問題じゃない。こんな時間に開いてるのはコンビニだけだろう。」
「…………」
「どうした、ノーラ?」
ノーラ、それが俺の影の名だ。野良だからノーラ。でも俺は新一になりたかった訳ではない。彼と同じで勝手に寄生されたのだ。
「コンビニに寄るのは少し後になるわね。もう一匹、いるわ。すぐそこに。」
ドアのない入口から入ってきたのは背の高いスーツ姿の男だった。ノックもせずに入室してきた新たな客は、前置きなしで質問してきた。
「おまえ一人で殺ったのか?」
元サラリーマンとして社会の常識を教えてやる必要があるみたいだな。
「部屋に入る時はまずノックだ。」
「ドアがないのが見えないのか?……質問に答えろ。」
ドアがないのは知っている。暇潰しにからかっているんだよ。俺は影から生まれた影より黒い大剣をコンコンとノックし、レクチャーを始める。
「意外に知られていない事だが、正式なノックは4度叩く。2度叩くのはトイレノック、尿意がある時には悠長に何度もノックをしてられない、という事なのかもな。日本では間をとって3度のノックを採用している場合もある。基本的なビジネスマナーだ、覚えておけ。」
「質問に答えろと言っている!」
「ノックが終われば次は挨拶、質問はそれからだ。理解したかな、若僧?」
「理解した。貴様が死にたがってるって事をな!」
新たな客の足元から伸びた影がその身を覆い、鎧を纏ったように見える。そして手先へ伸びた影が剣を形取り、男はスーツマンから鎧武者へと変貌した。
「ノーラ、武装化だ。」
「オッケー、灰児。」
影で出来てるノーラの体が俺に重なり、一瞬で武装化を終える。影を纏った武者、影武者同士の殺し合いを始めるか。
「死ねぃ、しょぼくれた中年親父が!」
振り下ろされた影の剣を、同じく手にした影の剣で受ける。
「言葉は正確に。俺は中年ではあるが親父ではない。まだ独身なんでね。」
大剣の鍔部分に浮き上がった美しい女性の顔のレリーフが口を開く。
「灰児、結婚相談所に行く事をお勧めするわ。」
「おまえらのお陰でめでたく無職だ。結婚相談所に行ったところで門前払いされるのがオチだな。」
しかも自分の影の中に同居してる女までいる。不動産に例えれば俺は事故物件って奴だ。
こんな俺に配偶者を紹介してくれる結婚相談所があるなら、場所がイスカンダルだって行ってやるさ。
「武装化しても自我を保つソンブラだと!……ま、まさか貴様は高位ソンブラ!」
「世間知らずのお兄さんに教えてあげる。私は高位じゃなくて、超高位ソンブラよ?」
「高位ソンブラなのに、なぜ眷族を連れていない!」
いい質問だ。王や貴族に取り巻きは必需品。だが世の中には変わり者だっている。
「俺の相棒は変人、いや、変影なのさ。自称「寂寥を愛する孤高の女王」らしい。」
「嘘だ!高位ソンブラが眷族を連れていない訳がない!」
あのなぁ、足元の雑魚どもを倒したのが俺だってのは馬鹿でも分かる事だろ? サラリーマン時代にもいたな、根拠のない自信に満ちた自称エリートさんが……
圧倒的な能力差で俺は来客をもてなした。俺じゃなくて影の能力差で、だが。
「こ、こんな馬鹿な!我が
コイツはやっぱり氏族の一員か。力のあるソンブラが形成するピラミッドである氏族。若僧の上にいるのが俺が追ってる王だといいが……
格違いの相手をさせられた不幸な魔剣はへし折られ、若僧の武装化は解除された。
炙られた蝋細工のように溶け落ちた鎧が瀕死の老人の姿になり、宿主に忠告する。
「省吾、逃げるんじゃ!この事を王に報告せねば……」
人型に形態変化可能で自我がある。中級ソンブラのようだな。
壁際に追い詰められた省吾青年は、震える声で問うてきた。
「ど、どうしてこれ程の力を持ちながら眷族を作らない!どうしてなんだ!」
「おまえはとにかく管理職に就きたいハリキリ社員か。元いた会社にもおまえみたいなのがいたよ。……首尾よく東京本社に栄転したが、念願の管理職になれたのかな?」
ま、アイツが部下を持ったら、達成不可能なノルマを押し付けそうではあるが。目的意識の高い奴は、部下にも同じレベルを要求しがちだ。気楽にサラリーマンがしたい人間だっているってのに。
……サラリーマンか。俺が務めていたスマイルヘルスケア元町支店はもうない。入居していた雑居ビルごと……無くなった。コイツらのせいで。
「力を持ったんだぞ!さらに上を目指すのが当然だろうが!俺は王に認められ、多くの眷族を従える…」
「省吾!とにかく逃げるんじゃ!死ねば眷族もなにもないぞ!」
ソンブラの爺さん、無駄だ。俺はおまえらを逃がすつもりはない。
「眷族眷族って五月蝿いわね。……貴方達は王の真実が分かってない。いい? 至高の座に座った時に、傍には誰もいないのよ? 並ぶ者なき至高の座は、永遠の孤独。見渡す限り、寂寥の大地が広がるだけ……」
「ノーラ、コイツらにはそれこそ永遠に分からない。傍には誰もいなくとも、踏み付ける誰かがいればいい。そういう類の人間と……影だ。」
「くくく、来るなぁ!」
俺は剣を平にして、逃げようとした省吾青年を殴って気絶させた。宿主が意識を失えば中級ソンブラは行動を停止する。……やっと静かになった。
戦いを終えたノーラは俺の影へと帰り、すぐに影から湧き出て傍に立った。どんな美女でも黒一色のシルエットでは味気ない。ノーラは不機嫌な時、着色する手間を省くのだ。倒した宿主と影の価値観に気を悪くしたに違いないな。
俺の足元から伸びる影はノーラの足元と繋がっている。だが心まで繋がっているかどうかは分からない。
……影の薄い中年男の影の中に棲む絶世の美女、か。フッ、ノーラが人型を取っている時、俺は影が薄いどころか、
「良かったわね、灰児。手ブラで帰らずに済んだじゃない。」
「ああ、収穫なしで帰らずに済んだな。」
俺は拘束袋を取り出して省吾青年を放り込んだ。ソンブラを宿した犯罪者の捕獲と駆除、それが定収なき無職の俺が始めたアルバイトだ。
「身体強化を入れるわね?」
影は宿主の身体能力を強化もしてくれる。正確には宿主を介さず世界に干渉できない、というべきだが。
「いらん。この程度の重さなら自分で持てる。」
「灰児は怠惰な癖に体だけは鍛えてるのよね。」
「俺は健康器具販売会社の元社員だぞ。入社した時に細山田部長に言われたんだ。"健康器具や食品を売る会社の人間が肥満体じゃ商売にならないよ"ってね。」
そう言った細山田部長は結婚してから幸せ太りで、すっかり太山田になっちまったんだけどな。
「そう、あの太っちょの部長さん、昔はスマートだったのね。」
「……いい人だったんだ。初めての上司で、俺の売り上げが悪い月には自分の営業実績をこっそり回して助けてくれた。料理上手なカミさんと一人娘を大切にしてて、残業する日は必ず電話して、娘の誕生日にはおもちゃ屋に付き合って……」
「………ええ、知ってる。知ってるから……」
「……帰るか。コンビニに寄ってからな。」
俺が今住んでる地下室には誰もいない。サラリーマン時代に住んでいた安アパートにも誰もいなかった。
孤児だった俺は家族を持った事がない。焼け落ちたアパートから引っ張り出された妊婦の焼死体から取り上げられた灰まみれの赤子、だから灰児。俺が育った孤児院の園長が聞かせてくれた昔話が本当か嘘かは知らんが、本当だったらよく生きていたな。
拘束袋を肩に担いで廃ビルの階段を降りる俺の隣でノーラが呟いた。
「灰児、あの地下室には誰もいないけど、貴方には私がいる。……ずっと、貴方の影の中にいる私が……」
お、着色したか。どうやら機嫌が直ったらしいな。
……しかしなんだ。いい歳した中年が、自分の影に慰められてちゃ世話はない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます