13話 特対4課課長、霧島蘭子



closedの看板が掲げられた喫茶店のドアを開け、俺は店内に入った。


カーテンの閉められた窓際の席に座っていた女が俺を見て微笑み、実体化した彼女の影が席を引いて一礼する。


この女が特対4課課長、霧島蘭子か。年は四十絡みで美女と熟女の端境期、妖艶さと狡猾さを風貌から感じさせる。澪のボスだけあって一筋縄ではいきそうにないな。


引かれた椅子に腰掛けるとアルが珈琲をテーブルに置きながら文句を言った。


「灰児、面倒な客を呼んでくれたな。」


「俺が呼んだ訳じゃない。アル、おかしな真似はするなよ?」


「アルジャーノンだ。冥に危害が及ぶと判断すれば俺は動く。灰児に女、それが嫌なら話だけで済ませろ。」


「大丈夫よ、私はお話に来ただけだから。」


アルは霧島を睨んだが、特対4課課長は取り合う風もない。強者の余裕、というヤツかな? この香りはカペ・アラミド、珈琲の好みは澪と同じか。


「澪もそうだが、特対課の捜査官は猫のフンがお好きらしいな。」


「大都会の糞どもを始末して回ってる私達にはお似合いでしょう? はじめまして、貴方が太刀村灰児さんね? 写真よりもいい男だわ。」


「だろうな、俺は影武者だ。」


「あらそうなの? ふふっ、確かに魔剣士は影を纏う武者ではあるわね。」


「本題に入ってくれ。」


「灰児さん、「腐肉の王」は知ってるかしら?」


「知らんね。だが生ゴミを捨てるなら月、木だ。」


「公僕として決まりは守りたいところだけど、そうもいかないのよ。回収日ではないけれど、今週の土曜にその生ゴミを始末する。作戦決行は夜、土曜夜サタデーナイトの饗宴フィーバーと言ったところかしら。その作戦に灰児さんに参加して欲しい、という話よ。」


「断る。俺はジョン・トラボルタじゃない。」


「古い映画をご存じなのね。でもこのオファーは受けてもらうわ。私は児童養護施設を管轄する厚生労働省に顔が利くの。断れば、貴方の育った蔓木園が…」


「黙れ!」


この女、余計な事を!


「灰児!貴方も蔓木園で…」


「冥もだ!この女に余計な事を言うべきじゃない。」


「あら、ごめんなさい。灰児さんは冥さんに蔓木園で育った事を隠してたのね。……知らなかったわ。」


「……俺は今でこそ無職だが、以前は営業職のサラリーマンだった。」


「らしいわね。務めていたのはスマイルヘルスケア、元町支店だったかしら?」


「器具も食品も自分で使い、良いと思った物を自信を持ってセールスしていた。メリットもデメリットも顧客にキチンと説明してな。」


「なにが言いたいのかしら?」


「アンタもそうしろって話だ。他社の営業マンにはメリットばかりを強調し、商品を売り捌いている奴がいた。もっと酷いのになると虚偽の説明で商品を売っていた。そういう輩と競合してきたんでな、の顔は見慣れてる。」


「……了解よ。貴方が蔓木園で育った過去を冥さんには隠していたのを私は知っていた。認めるわ。」


「もう一度、嘘つきの顔になったら話は終わりだ。」


霧島は鋭い目付きで俺を一瞥し、緊迫した空気が流れた。数瞬が経ち、ため息をついた霧島は諦め顔になる。


「駆け引きは通じない事も認めざるを得ないわね。正直に事情を説明するわ。私の影は王級のソンブラ、だけど「腐肉の王」に勝てるかどうかが分からないの。私の死は特対4課の終わりと同義、間違っても死ぬ訳にはいかない。」


「4課の主立った捜査官はアンタの眷族という訳か。だが特対課の設立者、嘉神宗武が出張ってきてるんだろう? 無理に火中の栗を拾いにいかずとも、任せちまったらどうなんだ?」


「腐肉の王の首は4課が取る。奴にはウチの捜査官を何人か斃されてるの。その中には……澪の兄もいるわ。」


なんだと!?


「……澪の兄さんも捜査官だったのか。」


「……ええ。強力な宿主で、優秀な捜査官だった。新米捜査官だった澪を庇って殉職したの……」


「なんで澪はその事を言わない!言えば協力してやったのに!」


「澪は貴方の前では格好いい女でいたいみたいね。」


「あくまでビジネスとして協力してもらう。情に訴えるような真似はしたくない、か。肉親の仇の影を掴んだんだ。四の五の言ってる場合じゃないってのに、澪も馬鹿だな。」


「本当に不器用で馬鹿な子ね。私が"女性に優しい方だというなら、事情を説明して協力を仰ぎなさい"と言っても"確かに女に甘い男ですが、情につけ込むような事はしたくありません"の一点張り。でも宿主としては賢明な子なの。私の力を知っている澪が、それでも私にこう言ったわ。"灰児に勝てる宿主なんていない"と。澪が断言する以上、貴方は最強の宿主なのでしょう。その力、貸してくださらない?」


澪は俺の特能を霧島にも話していないようだ。それなりに付き合いがあるはずなのに、少し誤解していたな。詫び料代わりに協力してやるか。


「わかった。週末のパーティーには俺も参加しよう。あいにくタキシードは持ってないがね。」


「ただの血祭りだから、安物のスーツで構わないわ。招待状は澪に送らせるから。」


腐肉の王の最後の週末、いや、終末を飾るパーティーの招待状。その発送人は主催者の澪であるべきだ。


話を終えた霧島は席を立ち、ドアベルを鳴らしながら店を出ていった。


─────────────────────────


霧島の出ていった店内には俺と冥が残された。気まずい雰囲気を察してか、ノーラもアルも影に引っ込んで出てこない。


「……灰児、カウンター席に座って。」


「珈琲ならもう飲んだ。冥の珈琲は二日酔いの時以外は遠慮したい。」


「座って!」


逃げ帰りたい中年の襟首をひっ掴んで冥はカウンターに座らせる。


そして荒っぽい手付きで木棚からグラスを二つ取り出し、グラスの置かれたカウンターの内側からバーボンの瓶も取り出した。


「ここは純喫茶、アルコール類の提供はしないんじゃなかったか?」


「商売じゃないから問題ないわ。付き合いなさいよ。」


中年と美女はカウンターに並んで座り、バーボンを飲んでみる。


「……やっぱりバーボンはミントジュレップで飲みたいわね。」


「ミントジュレップ?」


「知らないの?」


冥は冷蔵庫から取り出したミントを潰し、砂糖とソーダを加えて混ぜたグラスを出してくれた。


口に含んでから喉に流すと、ミントの清涼感がなんとも心地いい。


「いいね。爽やかな味わいに化けた。」


ミントジュレップか。難しくはないし、家でもやってみるか。


「バーボンの楽しみ方を教えてあげたお礼として、質問に答えて頂戴。私が蔓木園で育った女だって知ってたのね?」


「裏がありそうな依頼だと思ったんでね、知り合いの記者に調べてもらったのさ。」


「それで私が同じ児童養護施設で育った女だと知り、助ける事にしたのね?」


「半分はな。」


俺は煙草を取り出し、100円ライターで火を点けようとしたが、オイル切れで火が点かない。


冥が微笑みながら店の名前がプリントされたマッチを使って火を点けてくれた。


「それで……残りの半分は?」


「……冥が俺と同じ目をしていたから、かな? とにかく殺せば後悔すると思ってね。要するに俺の個人的な思い込みだ、冥が気にする必要はない。」


「そう。……ねえ灰児?」


「なんだ?」


紫のアイシャドウの下に輝く瞳。冥は特に瞳の綺麗な女だ。


「私、本気になりそうよ?」


「茶目っ気でいい。せっかく堅気になれたんだ。過去が過去だけに日の当たる場所に出るのは無理でも、闇にどっぷりの俺に深入りするな。」


黄昏時を平穏に生きる。冥にはそんな生き方が似合う女になって欲しい。


「いずれはサラリーマンに戻る、そんな事を言ってなかったかしら? どっちにしても深入りするのは得意なの。私、喫茶店の店主なんだから。」


「それは深煎りだ。だいたい冥は自分で珈琲を淹れてな…」


頬にあてられた唇の感触で、俺は台詞を飲み込んでしまった。


「お楽しみのところ悪いんだけど、そろそろ帰るわよ!私、見たいテレビがあるんだから!」


実体化したノーラが俺の腕を引っ張り、店の出口へと引き摺っていく。


「あら、残念。……灰児、次にキスする時は口に、ついでに舌も入れるから、ね?」


どこまで本気なのかわからない冥の台詞を聞きながら、ドアをくぐって夕映えの綺麗な街へ出る。


「灰児、私の前でそんな事したら、どうなるかわかってるんでしょうね?」


綺麗な夕焼けが一気に血に染まって見える。冥が本気かどうかはわからないが、ノーラは本気だ。




……自分の影に殺されて終わりとかは勘弁願いたい。間抜けな死に様にも程がある。



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