12話 偽物の似合う男



労働には対価が生じる、逆もまた然り。それは定職を持たない俺でも例外ではない。婆さんから十分な対価を先払いで貰った以上、俺には責任があるのだ。


晶は学校が終わるとこの雑居ビルにやってきて、戦闘訓練を行う。その光景は全て録画してあり、俺はパソコンで映像を確認しながら晶の指導方針を考える。


「晶ちゃんはセンスがあるわね。活発系女子高生の面目躍如といったところかしら?」


俺はノーラが淹れてくれた珈琲を啜り、煙草に火を点けた。


「中学までは竹刀剣道をやっていたらしいからな、基礎は出来てる。だがそろそろ竹刀剣道の欠点を矯正しないといけない。」


「竹刀剣道の欠点? なにが問題なの?」


「竹刀剣道はだって事だ。殺人剣から活人剣へ昇華された剣道、だが晶は殺人剣へ退行させねばならない。生き残る為にな。」


「生き残る為に退行させる、ね。殺し合いに綺麗な技は要らないって事かしら?」


「そうだ。竹刀の戦いは綺麗な技を決める必要があるが、魔剣の戦いに綺麗も汚いもない。不格好でも当たればいいんだからな。そして一本取れば決着する竹刀剣道と違って、殺し合いは相手を殺すまで続く。晶には嵩にかかって滅多打ちにする容赦のなさが欠けている。スポーツ武道の弊害だ。」


とはいえ竹刀剣道をやっていた事は大きな財産だ。武道の心得があるのとないのでは雲泥の差だからな。運動能力も高い晶には強者の素養は備わっているのだ。


「灰児、少しパソコンを使っていい?」


「ああ、俺は少し指導方針を考える。」


珈琲を飲み干し、煙草を咥えたままパイプベッドに仰向けに寝転がる。煙草の煙を輪っか状に吐き出しながら、大家の孫娘の指導方針に考えを巡らせた。


……技術云々より深刻な、最大の難点。それは晶が、だろうな。あの娘は優しすぎる。


「ねえ、灰児。この絵、なんて絵なのか知ってる?」


俺は上体を起こしてディスプレイに映った油絵を見てみた。その絵は!!


「……ミレー作の「落穂拾い」だ。旧約聖書のルツ記に基づいて描かれた傑作とされている。」


「へえ、灰児って絵画に造形が深かったのね。この絵が今開催されてるミレー展の目玉みたいだけど。」


別に深くはない。その絵にだけは詳しいのさ。……ミレー展、か。


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俺はミレー展に出掛ける事にした。無職のいいところは思い立ったら吉日、を地でやれるところだ。


(そう言えば灰児が部屋に飾ってる絵はフランスの画家、アルフォンス・ミュシャの作品でしょ? 意外と芸術が好きなのね。)


地下鉄の車内では脳内で会話するしかないが、やはり会話は音を介した言葉で交わしたいものだ。


(ノーラ、言葉は正確に。ミュシャはフランスで活躍したが生まれはチェコだ。俺が部屋に飾っているのは「黄道十二宮」、彼の代表作のだよ。)


(お金はあるんだから一枚ぐらい本物を買えば?)


(バブル時代には投機目的で絵画を買い漁る馬鹿がいたらしいが、絵画は商品でもアクセサリーでもない。文化、芸術とは富める者にも貧しき者にも等分に分かち合われるべき人類の遺産だ。所有する者には資格が求められる。俺には本物を所有する資格がない、レプリカがお似合いなんだよ。)


魂に貴賎はない、などと綺麗事を言う輩もいるが俺はそうは思わない。憤怒と怠惰の禁忌を肯定する俺は心卑しき者だ。キリスト教徒ではないにしても、な。


────────────────────────


落穂拾いは決して明るい画調の絵画ではない。それでも10年以上前にこの絵を見た時、俺の心は輝いていた。……傍に良子がいてくれたから。


"人生の無常さ、それでも生きる強さと逞しさをこの絵から感じるの"良子は俺にそう言って微笑んだ。麦の脱穀の際にこぼれた落穂を拾う貧しき農婦の姿を描いた絵を見ても、今の俺には寂寥感が湧くだけだな。俺が拾おうとしている落穂に実りの種は入っていないのだから。奪われたモノの帳尻を合わせようともがく馬鹿な中年の姿は絵にならない。落ちこぼれの三流美大生だって跨いで通るモチーフだろう。……だがそれでもやめる気はない。


(ノーラ、帰ろうか。)


(他の絵は見ないの?)


(ああ。過ぎ去りし日々に想いを馳せる有意義な時間を過ごせるかと思ったが、残念ながら勘違いだったようだ。)


有意義な時間を過ごせる人間とは前向きに生きる者だ。裏街道を後ろ向きに歩く男には無理な話、澪は俺を"なにも生み出さない人種"と評したが、どうやら当たっていたらしい。


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あと一時間ほどで学校から帰った晶が訓練にやってくるだろう。あの屈託のない笑顔を見るのは正直嬉しい。両親を失った悲しい過去を背負ってるってのに強い娘だ。やっぱり晶が剣崎の婆さんの血を引いてるからかな?


良子が去り、職場まで失ったあの日を境に冷笑や嘲笑、苦笑いしか浮かべた事がない俺とは大違いだよ。


「灰児、辛気臭い顔はそろそろやめなさいよ。私とゲームでもしましょ?」


「またえげつない即死コンボを披露しようってのか?」


パソコンデスクの上に置いたスマホがブルブルと震えた。美術館に入る時にマナーモードにしたままだったな。


……冥からか。かなりの頻度で冥の店に顔を出す俺にわざわざ電話してくる以上、急用なんだろう。


「なにかあったのか、冥?」


「ええ。ちょっと店に来て欲しいのよ。」


「しばらくすれば晶を連れてお茶をしに行くが?」


「悪いんだけど今すぐ、よ。面倒事がやって来てね。厄介事と言った方が正確かしら。特対4課の課長さんが灰児に会いたいんだって。」


特対4課課長、霧島蘭子が? 確かに厄介事っぽいな。


「灰児、どうするの?」


俺の影の気鬱げな問いかけに、ハンガーに引っ掛けたサスペンダーを手にしながら答える。


「会ってみるさ。冥の店の客筋がいくら悪いと言っても、特対4課のボスは度が過ぎる。」


招かれざる客の来訪は、間違いなく俺のとばっちりだろうからな。彼女は知らない事だが、冥は俺の育った蔓木園つるぎえんの後輩孤児だ。せっかく足を洗ったってのに、巻き添えを食らわす訳にはいかない。


安物のスーツを纏った俺は壁に掛けられたレプリカの絵を横目で見ながら部屋を出る。




偽物レプリカがお似合いの中年男にも、本物の厄介事はやってくる、か。人生は無常だな。


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