3話 中年男はどツボを踏む



カルビカレーを食べてから床に着き、惰眠を貪る。目覚まし時計の代わりをしてくれたのは女の悲鳴だった。事件という訳ではない。お昼にやってる再放送のサスペンスドラマの死体発見シーン、ノーラがテレビを点けたのだ。


「あら、起きちゃった? 灰児、事件発生よ。」


ノーラはピアニストのような細い指先でテレビを指差した。


「あと1時間半後に解決する。1時間の時点で犯人っぽい奴は実は犯人じゃない。」


「ロケ費用を浮かす為に旅館とタイアップするのはいいとして、どうして崖っぷちで事件を解決するのかしらね?」


様式美という言葉が異界にはないのか?


「犯人の人生が崖っぷちだからだろ。いかにも追い詰められた感がある。」


一応真面目に解析してみた。やはり心理状態の暗喩というより、二時間サスペンスとはそういうものだから、だとは思うが。


「あ!また死体発見。よく殺す犯人さんね。悪い奴だわ。」


「俺達は昨晩、10人ばかり殺してきたんだが?」


「省吾は生きてるでしょ? どうなってるかしらね?」


「さあな。暗室送りは確実だろうが。」


ソンブラにも弱点がある。スーパーマンにとってのクリプトナイトにあたる弱点が。それは宿主の影が必要という点だ。日常においても宿主の生存能力を強化し、危険が迫れば魔剣士に変える能力を持つソンブラだが、影がないとあらゆる活動を停止する。つまり一切光のない暗室に入れれば、宿主はただの人間に戻る。省吾を放り込んだ拘束袋は一切光を通さない造りだ。奴はそのまま暗室に送られただろう。


"たとえ犯罪者であろうと、真っ暗な部屋に人間を拘束し続けるのは基本的人権の侵害だ!"という自称良識派の意見は、現実を直視する多数派の前に黙殺された。他に無力化させる方法がない以上、どうしようもない。影さえあれば宿主は完全武装の兵士よりも危険な存在なのだ。スピード可決された異次元生命体特別法という新法は改正を重ね、今では犯罪者と認定された宿主に基本的人権は認められていない。裁判を受ける時も酸素補給機付きの木箱に入ったままだ。そのまま棺桶に使えて便利かもな。


眠気覚ましにインスタント珈琲を淹れ、デスクの上に置く。インターネットニュースを見る為にパソコンを立ち上げ、日付に気付いた。月が変わった。今日は……11月1日か。


手紙をもらったのは10年前の今日。現実を認め、区切りをつけるのにいい頃合いなのかもしれない。という意味で……


俺は鍵を掛けた引き出しから写真立てを出して机の上に置いた。自然に漏れたため息に流された珈琲の湯気が10年前の俺と良子の姿を白く染める。それが薄れてゆく俺の記憶のようで嫌だった。指先でガラスを拭き、珈琲を反対側に退避させる。


「その写真、灰児がたまに眺めてるやつよね。一緒に映ってるのは誰なの? 同居してからもうずいぶん経つんだし、そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」


考えてみれば良子と付き合った時間より、ノーラと付き合ってる時間の方が長くなってる。これからも付き合わなければならないのだし、もう教えた方がいいか。調査報告書を隠れて読むのは面倒だしな。


「昔の恋人の良子だ。別れて10年になる。」


「どうして別れたの?」


「写真を見れば分かるだろ。美女と野獣、月とスッポンってやつさ。容姿だけじゃない、俺は孤児院育ちの高卒サラリーマン、良子は海外留学から帰ったエリート研究員。要するになにもかもが釣り合っちゃいなかった。今でもなんで良子が俺みたいなのと付き合う気になったのかが分からん。」


「良子さんは今どうしてるか知ってる?」


「知ってれば未練がましく写真なんて持ってない。手酷く振られたってんならまだよかった。俺の前から消えたんだよ。"必ず帰るから待ってて"と書かれた手紙を一通、残してな。」


「じゃあ振られたとは限らないじゃない。」


「手紙をもらってから今日で10年。その間、一度の連絡もナシ。携帯電話からスマホに変わっても電話番号は変えてないのにだ。思えば俺は良子の実家も勤め先も知らなかった。彼女にとって俺との関係は、ハナから軽いお遊びだったんだろう。」


冴えない中年の俺は10年前も冴えない若者だったが、本気だった。"必ず帰るから待ってて"か。心から信じてた訳じゃないが、結果として待ってる形にはなっちまってるな。冴えない男をからかうお遊びは大成功って訳だ。


タチの悪いお遊びだと分かってるんならサッサと写真なんか捨てちまえば……なるほどね……それでも俺は信じたいらしい。良子が帰ってくるって。


ほろ苦い回想はチャイムの音で中断された。俺は来客の姿を確認すべく、玄関前を映すモニターの画面を見てみる。


……剣崎の婆さんじゃないか。なにかあったのか?


俺はジャージを素早く着込んでから玄関を開け、婆さんを招き入れた。


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「久しぶりだね、灰児さん。」


「ああ。婆さんの顔を見るのは久しぶりだ。ノーラ、婆さんに渋茶を。」


剣崎小春、この雑居ビルの家主だ。婆さんの抱えたとある事件の解決、いや落とし前をつけた報酬として俺はこの雑居ビルを家賃ナシで借りている。地下室だけでいいと言ったのだが、婆さんはビルごと提供してくれた。昭和に建てられた小さなビルとはいえ、気前のいい話だ。婆さん曰く"灰児さんのいる場所はいつ刃傷沙汰が起きるかわからないからねえ。危なっかしくて誰にも貸せやせんわさ"という事らしいが……


「……灰児さん、実は頼みがあるんだよ。」


渋茶を啜る婆さんの顔色は冴えず、口も重い。相当言いだしにくい頼み事らしいな。


「このビルの建て替えでも考えてるのかい?」


「このビルはワシが生きとる間は好きに使えばええと言ったろ。灰児さんに孫の話をした事があったかえ?」


「名前だけは聞いた。確かあきらとか言ったな。お孫さんがどうかしたのか?」


「影に取り憑かれとる。」


「なに!」


婆さんの孫が宿主だと!?


「いつからだ? あの事件の時は違ってたはずだ。もしそうなら宿主を守ろうとしたはずだからな。」


「高校に入ってから取り憑かれたようじゃ。取り憑かれたのではなく、晶が呼び寄せたのかもしれんが……」


4年前、婆さんの息子夫婦は敵対的ソンブラに殺され、孫は瀕死の重傷を負った。そして婆さんから仇討ちを頼まれた俺は、息子夫妻の仇を殺した。俺がここに住み始めたのはそれからだ。


「春さん、取り憑かれたお孫さんになにか問題が起きたの?」


ノーラの質問に婆さんは首を振った。


「起きたのではなく起こしたんじゃ。宿主になった晶は探偵ごっこを始めたらしい。影を使役する少女探偵じゃな。そして特大のトラブルに首を突っ込んだ。」


「どんなトラブルだ?」


「クラスの不良少女が家出して、晶はその娘を追っている。電話にも出ないし、なにかあったに違いない。」


「だったら少年課の仕事だ。警察に連絡は?」


「すぐにしたわえ。じゃが探しに行った場所が問題なんじゃ。少年課どころか特対課でも手に余る。」


「おい、まさか……」


「そう、封鎖区なんじゃよ。さっき一泊ドッグから帰ってきて、スマホのメッセージに気が付いたんじゃ。」


最悪だな。宿主とはいえ女子高生が封鎖区とは……


「封鎖区に入ったのは確実なのか?」


婆さんはスマホを取り出しメールアプリに残ったメッセージを見せてくれた。


"今から封鎖区に入るから帰りは遅くなるかも。でも心配しないで、必ず帰るから!"ときたか。無謀な娘だ。


封鎖区に入ったのは9時間前か。マズいな、かなり時間が経ってる。


「事情は分かった。やってみよう。婆さん、そのスマホを貸してくれ。」


「……すまないね。頼んだよ、灰児さん。」


「任せてくれと言いたいが、絶対助けると保証は出来ない。場所が場所だけにな。婆さんは家で待っててくれ。」


自宅で孫の無事を祈る婆さんに吉報を届けられるといいんだが。この婆さんまで"必ず帰るから"なんて言葉の呪いに囚われて欲しくない。呪いを解く方法は一つ、孫を無事に婆さんのところへ帰す、それだけだ。


俺は婆さんを見送ってから、安物のスーツをクロゼットから取り出した。


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「なんだ、灰児か。なにかあったのか?」


電話の向こうでカチリとライターの鳴る音がした。百円ライターしか持ってない俺と違って、権藤はオイルライターを愛用している。


「あったから電話してる。アンタをバードウォッチングに誘ったりしない。」


「はん、野鳥に興味なんざない癖に。それで?」


「どツボを踏んだ。正確にはどツボを踏んだ婆さんのツボを俺が買い取った。」


「おいおい、高額の壺やら掛け軸は詐欺商品の定番じゃないか。おまえさんも好きだな。」


好きでやってる訳じゃないが、見栄は張っておこう。


「趣味なんだ。権藤、封鎖区内にいる情報屋を紹介してくれ。」


「封鎖区!? こりゃまた特大のどツボだな。期待通りで嬉しいよ。いいぜ、俺も付き合ってやる。」


「アンタに付き合ってくれとは言ってない。情報屋を紹介してくれればいいんだ。」


「封鎖区内にも情報屋のツテはあるが、俺じゃなければ話さない。信用出来る情報屋とはそういうもんだ。」


権藤の好意、いや好奇心に甘えておくか。足手まといになる男じゃないしな。


「分かった。今から事情を説明する。実は……」


権藤に事情の説明を終えた俺は地下室を出た。地上から差し込む眩しい太陽が俺の影を階段の壁に映す。




真昼の太陽が際立たせた影、その髪が長く伸び、口元が嗤った。……俺の影は戦いを予感しているのだ。



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