34話 オイルライターに刻まれた言葉



「澪っ!しっかりしろ!」


クソッ!失血で意識を失ったのか!


澪の体を纏う影がパラパラと剥離してゆく。何度も見てきた光景、だが今回だけは違う!これが最後のはずはないんだ!


「……灰児、最後の力を振り絞って少しだけ時間を作る。……わかるな?……最後の時間だ。」


細かな亀裂が無数に入った顔で義元はそう言った。鎧と同様に、魔弓義元を模る弓型も崩れつつある。


「馬鹿を言うな!早く澪の傷を塞ぐんだ!」


「手遅れだ。灰児もわかっているはず。……頼むから時間を無駄にしないでくれ!」


現実を認める為には儀式が必要だった。俺は屋上の床に思い切り拳を叩き付ける。屋上の床にも、俺の心にも亀裂が広がった。


「義元、言伝はあるか?」


「澪には"澪の影であった事に後悔はない。あの世に行っても澪の影でいたい"……そう伝えてくれ。」


「わかった。必ず伝える。他には?」


「アルには"短い間だったが友達でいてくれてありがとう"、と。それから灰児、ノーラ、俺達の仇を取ってくれ。」


「約束しよう。無影の王は必ず地獄へ送る。」 「任せて。無影の王は私と灰児が始末する。」


「頼んだぞ。仇打ちの見返りに灰児とノーラを天国に引き揚げるからな。俺達は澪の兄さんに天国に引き揚げてもらえるはずだから。」


「是非お願いね、魔弓義元。」 「期待してるぜ。」


ひび割れた唇で魔弓義元は微笑み、最後の言葉を紡ぐ。それは魂魄からの叫びとなって屋上に響き渡った。


「さらばだ、魔剣ノーラ!楽しかったぞ、太刀村灰児!」


影で形作られた魔弓が眩い光を放ち、その光は澪の体へと吸い込まれた。


光を吸収した澪の体は蛍光のような光に包まれ、その意識を覚醒させる。


「……義元!? 義元は……」


「……義元からの言伝だ。"澪の影であった事に後悔はない。あの世に行っても澪の影でいたい"そう言っていた。」


義元からの最後のメッセージを聞かされた澪は微笑み、静かに述懐する。


「義元、拙い私に尽くしてくれてありがとう。灰児、私達の…」


俺は澪の唇から流れる血を拭いながら、そっと指で台詞を止める。


「言わずもがなだ、澪。この落とし前は必ずつける。奴の命でな。」


「お願いね。……無影の王の手がかりはポケットに入ってるから。ノミ野郎が欲しがっていたUSBメモリよ。」


「USBメモリ!? じゃあ奴が回収したのは…」


「澪さんオリジナルの手抜き料理、その献立とレシピよ。……ノミ野郎が忙しい毎日を送っているなら……役立つんじゃない?」


土壇場で偽物を掴ませたのか。さすが澪だ。


「ノミ野郎もご苦労様だな。苦労した挙げ句に手に入れたのがマズい料理のレシピとは。」


「あら、結構イケるのよ?……フフッ、私、血塗れね。これじゃホントに……墓場田だわ。……灰児、煙草を頂戴。」


「禁煙したんじゃなかったのか?」


「……馬鹿ね、今さら……でしょ?」


俺はポケットから取り出した煙草を咥え、澪からもらったオイルライターで火を付けた。そして一息吸ってから煙草を澪に咥えさせる。


「……天国は……禁煙らしいから、今のうちに……吸っておかないとね。……みんなにはよろしく……言っといて。」


「ああ。兄さんが澪達を天国に引き揚げる前に、無影の王のアゴを蹴り上げとけよ? じきに奴も地獄へ送るからな。」


「フフッ……そうするわ。……灰児、オイルライターの底を……見てみて……」


俺は手にしたオイルライターの底を見てみたが、シリアルナンバーが刻まれているだけだった。


「……そっちじゃなくて……ケースの中……」


俺はオイルライターのインサイドユニットを取り出し、ケース内の底板を覗いてみた。底板には引っかき傷でメッセージが刻まれている。


そのメッセージは……"I love you"……


「澪、俺は…」


澪は血の滲んだ指で俺の唇を押さえ、微笑んだ。


「……返事は……あの世で聞かせて……期待してる…わ……よ?……」


澪は煙草を咥えたまま、ゆっくりと瞳を閉じ、もう瞼を開く事はなかった。俺は唇に当てられた澪の指を握りしめ、天を仰ぐ。


……また降り出した小雨が頬を濡らし、とうの昔に涙の枯れてしまった俺の気持ちを代弁してくれた……


────────────────────


コートのポケットからUSBメモリを回収し、遺体が雨で濡れないように塔屋の中に移動させてから、エンジンのかかったままのマスタングに戻って煙草に火を付ける。


まだ警察も消防も来てないのはどういう事だ? とにかくここを離れるのが先か。今は事情聴取を受けてる時間などない。


車を走らせて5分もしない間にスマホに電話がかかってきた。冥からだ。ノーラが手早くイヤホンを付けてくれたので、ハンズフリーモードに切り替えてから通話を始める。


「灰児!無事なの? 何度も電話してたのよ?」


冥らしくもない慌てた声だな。澪の件はまだ知らないはずだから、別の何かが起こったようだ。


「立て込んではいるが無事だ。なにがあった?」


「灰児のペントハウスが火事なのよ!今、消防隊が到着したところ!」


ペントハウスが火事!……そういう事か!!


「……そうか。冥、晶と翠は一緒か?」


「ええ。私の店で同居してるから。」


「今出掛けてるがすぐ戻る。小腹が空いたからを焼いておいてくれ。」


「わかったわ。を付ければいいのね?」


「ああ。帰ったら連絡する。」


隠語での会話を済ませ、車の行く先を変更する。おそらくスマートフォンは盗聴されている。安全な連絡手段のある隠れ家セーフハウスに向かおう。


─────────────────────


「―――都内各所で起こった連続爆破テロにより、主要道路には検問所が設置されています。それでは現場にいる反町さんに中継を繋ぎ…」


俺はテレビのスイッチを消し、狭い室内で考えに耽る。ターゲットの周りで爆破テロを起こし、邪魔が入らないように仕向けていたか。やはり無影の王はかなりの組織力を持っている。それだけ分かれば十分だ。


このワンルームマンションは別人名義で、その筋に高い金を払って準備しておいたものだ。2年以上使っていなかった事もあるし、敵の手がいくら長くても、まだここまで届いてはいまい。そしてこの部屋には固定電話が引いてある。冥だけではなく権藤にも、固定電話で状況は伝えた。通話屋を介してダミーの回線を経由したから安全なはずだ。


澪は命と引き換えに重要な情報をもたらしてくれた。傀儡の王は無影の王だと。そして無影の王の正体が記されたUSBメモリをも残してくれた。……問題はUSBメモリが屋上での戦闘で破損していた事だ。


「灰児、割り屋に修復を頼んでみたらどう?」


ペロリーメイトを齧りながら思案する俺に、ノーラが提案してきた。


「どうだろうな。鬼島は警視庁にいた事がある専門家にメモリの解析を依頼したが徒労に終わった。裏社会の割り屋も個人営業だ。同じ結果に終わる可能性が高い。」


「プロテクトを割る作業に加えて修復も、難易度は上がってる訳だものね。……御立サイバーのような大がかりな機材と専門のチームが必要な作業、か。そんな伝手はあるの?……あれば思案してないでもう動いてるわね。」


「いや、どう動くかを考えてるのさ。このUSBメモリは鬼札ジョーカーなんだ。」


「ジョーカー? 壊れたUSBメモリが?」


「そう。澪の遺してくれたジョーカーだ。無影の王はUSBメモリが破損した事を知らない。そこが付け目だ。」




なにもせずに部屋の隅でうずくまっていたい気持ちを振り切り、俺は立ち上がった。相棒の死を悼むのは、無影の王の首を取ってからだ。……奴の命が二つある事を願う。一度殺したぐらいじゃ俺の怒りが収まらないからな!


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