31話 黄昏に生きる女、真夜中に生きる男



近くにあった喫茶店に入り、君枝夫人の話を聞いてみる事にする。


湯気を上げる珈琲を前に君枝夫人は思わぬ事を言い出した。


「太刀村さん、主人から投資信託の話を聞いた事はありますか?」


「投資信託ですか? 聞いた事がないですね。」


「主人の遺書に信託財産の事が記してありました。その信託財産を現金化した遺産のお陰で、私も娘も何不自由ない生活を送れているのですが、なんでも私に相談してくれる主人から投資のお話なんて聞いた事がなかったもので、不思議には思っているんです。その遺産が会社からのお見舞い金や退職金に手をつける必要さえないほどの額なのも、気になって……」


少し安心した。細山田部長の家族が生活に困窮してるなんて事はなかったようだ。だが投資信託だと? あの細山田部長がか?


「信託財産を現金化した額はどのぐらいでした?」


「それが……2億円もあったんです……主人のサラリーでそんな投資って可能なんでしょうか……」


スマイルヘルスケアの給与水準から考えても不自然な額ではある。頭のいい人ではあったが、部長は投資の達人でもあったのだろうか?


「部長は優秀な方でしたから投資に長けていても不思議はないですね。社内でもよく経済誌を読まれていました。」


「主人が優秀かどうかは私にはわかりませんが、仕事熱心な人でしたわね。急ぎの仕事があれば夜中にでも起き出して、パソコンに向かっていましたし……」


夜中に仕事?……スマイルヘルスケアはブラック企業じゃなかった。俺の知る限り、元町支店で部長が夜中に動かなければならない程のトラブルは起きた事もない。それに奥さんの口振りじゃ、部長が夜中に仕事をするのは珍しい事じゃなかったみたいだ。巨額の遺産、夜中にも仕事、これは裏になにかある……


考えてみれば無影の王はなぜ元町支店を襲撃したんだ? 健康器具と食品の販売をやってる商社を襲ってなんになる。襲われた店舗は他にもあったから通り魔的犯行だと県警は断定したようだが、本当にそうだったのか? あの日、俺はビルに残っていた宿主達を倒して、無影の王の名を訊き出した。"……やるな。だがおまえがどんなに強かろうと我らの主、無影の王には決して敵わん"と言い残した襲撃者達のリーダー、あの確信に満ちた顔とその腕前は今でも思い出せる。あれほどの手練れが通り魔だなんて、おかしいとは思っていたんだ。


……!!……権藤から聞いた事があったな。内閣調査室には秘密の部署があって、CIAまがいの諜報活動をやってるらしいって。アメリカでは近所の雑貨屋の陽気な親父が、実はCIAの諜報員だったなんて事があるらしいが……まさか、細山田部長は……


「どうかしましたか、灰児さん?」


「なんでもありません。少し部長の事を思い出していました。君枝さん、信託財産の件は調べてみますよ。投資信託は損をする事もあるので、奥さんには内緒にしていただけだと思いますが。」


「お願いします。調査結果はここに送ってください。」


住所を記したメモを受け取り、俺は席を立った。


「おっと、レシートを忘れるところだった。」


「太刀村さん、私が払います。」


「部長にはよく奢ってもらいました。ここの払いと調査費用を香典にさせてください。」


メモをポケットに入れ、レシートを掴んだ俺は店のレジへと向かった。


────────────────────


「……と、いう訳なんだ。権藤、アンタはどう思う?」


公園のベンチに座った俺は、スマホを片手にさっきの話を権藤に聞かせてみた。


「そりゃあ……マジでおまえさんの上司は内調の諜報員だったって話なんじゃないか? 内調の秘密諜報員が殉職した場合、信託財産に偽装した報償金が遺族に支払われるって話を聞いた事があるんだよ。しかもその細山田部長ってお人は頭が良かったんだろ?」


「ああ。頭が良くて仕事も出来るし、腹芸も上手かった。」


「そんな御仁が晴れて東京本社に栄転したってのに、またぞろ元町支店に飛ばされてきたってのも妙だと思わないか?」


「部長は"派閥の力学による玉突き人事の結果だよ"と言っていたが……」


「二部上場すらしてないスマイルヘルスケアにそんな派閥抗争があるのか?」


上場企業を特別視する訳じゃないが、スマイルヘルスケアは二部上場企業と同程度の規模を持つ会社だよ。創業者である会長の意向で株式を上場してないだけだ。ダントツの筆頭株主である会長の独裁体制、それが古巣の実態だった。


「考えてみれば、パワフル会長の独裁体制が敷かれたスマイルヘルスケアにそんな派閥抗争があるとは思えない。あの最強の後期高齢者は竹を割ったような、いや、唐竹割りを素手でやりそうな爺さまだ。」


「だとすりゃなおさら諜報員だったってセンが濃厚だろう。おまえさんの元上司は無影の王の尻尾を掴んだのかもしれないな。一般人多数を巻き込む惨事を起こした理由は…」


「内調への警告。もしくは他にも目的があったか……」


「関西にいる人生エンジョイ原理主義のお仲間にその件を調べてもらう事にしよう。自分で調べたいところだが、今は傀儡の王で手一杯だからな。」


「わかった。なにかわかったら連絡してくれ。」


瀕死の真野ちゃんは影鎧を纏った俺をコスプレと勘違いした。でも細山田部長は俺が宿主である事に驚いた様子はなかった。死の間際に立ちながらも、落ち着いた様子で俺が強力な宿主である事を確認し、後事を俺に託したんだ。……細山田部長はおそらく内閣調査室の諜報員、無影の王は最初から部長の命を狙っていたのか……


────────────────────


「そう、灰児の上司は内調の諜報員だったの……内調に極秘セクションがあるらしいって話は組にいた頃に聞いた事があったけど、噂の域は出なかったわ。」


大型客船の船内にあるカフェテリア、冥のため息が珈琲カップから上る湯気をかき消した。窓の外に見えるデッキでは、晶と翠が通りがかった客に記念撮影を頼んでいる姿が見える。学校をサボって参加した旅を満喫しているようだ。


同僚達の追悼を済ませ、ハーバーランドで女三人と合流した俺はショッピングに付き合わされた挙げ句、ランチクルーズとやらに連行された。海の上でわりかし豪華なランチを摂った後、俺は冥に細山田部長の件を話してみたが、残念ながら冥は内調の秘密部門に関する情報はなにも知らないようだった。まあヤクザの関心はマル暴や公安に向いてただろうしな。知らなくても無理はない。


「まだ諜報員だと決まった訳じゃないがな。そっちの調査は権藤に任せるしかない。素人が調べてどうこう出来る話でもないしな。」


「そうね。灰児、クルージングを終えたら市内でショッピングよ?」


「またか? ショッピングはさっきやってただろ?」


元殺し屋だろうが現役女子高生だろうが、女って生き物はショッピングが好きだな。


「義元にお土産を買わないといけないでしょ? 新宿に帰ったらお肉パーティーね。」


「言っておくが調理は俺と翠がやるからな。」


テーブルに映る冥の手の影から口だけが現れ、小声で宿主に警告した。冥はテーブルの影に向かって手を合わせる。


「一枚だけ。一枚だけ私が焼いてもいいでしょ?」


宿主の懇願に、影はすげなく答えた。


「ダメだ。冥の料理は人を殺しかねん。もう殺し屋は廃業したはずだ。」


……人気細工師になれるほど手先が器用な冥なのに、どうして料理だけはダメなんだろう?


──────────────────


小旅行の最後の日程は俺と冥が育った児童養護施設「蔓木園」の訪問だった。訪問と言っても園の敷居を跨ぐ事はない。影に頼んで視覚を強化し、園内の様子を覗き見するだけだ。


蔓木園はその名の通り、園を囲う壁に蔓がびっしり巻き付いている。俺がいた頃に植えられたものだが、立派に成長したもんだな。……それに引き換え俺ときたら、この有り様なのだが……


園の食堂では小皺の増えた園長が、孤児達に囲まれて食事を摂っていた。あの輪の中にかつての俺や冥もいたのだ。


「……園長先生、お元気そうだわ。」


「ああ、元気そうだ。そろそろ行こうか。」


「そうね。あまり二人を待たせるのもなんだし。」


俺はもう蔓木園の敷居を跨ぐ事は出来ない。手を血で汚し、これからも汚す道を選んだ俺には、園長の前に出る資格はない……


車に乗り込む前に冥に確認する。


「冥、本当に園長に会わなくていいのか? 俺に倣う必要はないんだぞ?」


「殺し屋をやってた私がどの面下げて? 冗談でしょ?」


「殺し屋稼業はもう廃業しただろ。今はサ店のマスター兼、細工師だ。」


「辞めたところで手に付いた血は拭えないわ。黄昏時を生きる私は、眩い光の差す場所には行けないの。金や組織の為に殺す事はないにしても、必要とあらば殺す人間である事には違いないし、ね。」



……そうだな。冥は黄昏、俺は真夜中に生きる人種だ。陽光の暖かさは思い出の中にあればいい。


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