第11話 モブ令嬢のわたしはライバル令嬢に巻き込まれる

 ばちばちと火花が散りそうな勢いで向かい合っている二人の近く、他のモブの方々に交じりながらこそっと現状を聞いてみる。


「……これは、どうしましたの?」


「トレイシー嬢が道を譲らなかったのが気に入らなかったみたいですわ」


「さすがお姫様ですわねぇ」


 そう。お姫様だ。豪奢な金髪を縦ロールに巻いている彼女の名前はリーリヤ・イサーエヴナ・ユスーポヴァ。北の大国の正統なる第三王女で、そして、この国の第一王子の婚約者候補でもある。頭脳明晰、スポーツ万能。ラピスラズリに似た蒼の瞳と北の大国特有の白磁の肌、そして豪奢という他ない金色の髪をぐりぐりに縦ロールになさっておられる。

 ちょっときつめに目が吊り上がっているのは、怒っているからなのか、地なのか。


「そこをお退きになって下さらないかしら? と申し上げてるのです」


「なんで私が退かないといけないのよ」


 おおう。けんか腰。声だけ聴いてても分かるほどのけんか腰。ヒロイン三人娘の最後のひとり、トレイシーちゃんはあれか? 強気な子なのかな?

 そーっとそーっと人の壁をすり抜けて、前の方に歩み寄るとまさに一触即発状態のふたりが見えた。まずい。これは、まずい。


「ああっ」


 ちょっとわざとらしい声をあげて変な回転を加えながらよろよろっと二人の間に割って入ってみたよ。もうそれ以外にどうしたらいいのかが思いつかなかったのは秘密だよ。


「何ですの? 貴女は」


 ものすごく眉間に皺を寄せて、怪訝そうな顔で見つめられてしまった。美女が台無しですよー、なんて火に油を注ぐセリフは言えない。口が裂けても言えない。


「せっかくの美人が台無し」


 口が裂けたら言えない人がいたー! トレイシー、お前ー!!

 思わず咄嗟にトレイシーの口を塞いでしまった。ごめんね。あとで謝るね。


「外交問題ですわよ」


 わなわなとリーリヤ姫が震えている。手に持った扇子がぎりぎりと音を立てている。相当怒っているのは分かっていたけど、止められなかったのはわたしの落ち度だ。これは。


「ごめんなさい。彼女はここに来て日が浅く、貴族社会にもまだ馴染めていないのです」


 もがもが、と何かトレイシーが言いたそうにしていたけど、これは無視だ。今は言い訳を聞く時間ではない。この姫君の怒りをおさめないといけない。


「貴女は彼女の何ですの?」


「ただの学友です。ただ、黙ってみていられなかったので出てまいりました。わたくしはニナ・ジュリエット・ブルゴー。ブルゴー男爵家の末の娘です。リーリヤ殿下、どうか寛大なご処置を」


 トレイシーの頭を押さえつけて、いっしょに頭を下げて90度の角度で礼をする。土下座ってもいいんだけど、たぶんこの世界の文化に土下座はないだろうなー。おそらくだけど。


「貴女はその娘の肩を持ちますのね!」


 激高した声にはっとして顔を上げると扇子を持った手が振り上げられているのが目に入った。思わず、ぎゅうっと目を瞑る。何が激怒スイッチだったのかがわからんけど、お気に召さなかったようだ。こまったー。どうしよー。ぴっと頬を扇子が掠めていって、頬の一部が熱くなった気がした。そのあと、もう一度ひゅっと扇子を振り上げる音がして、もう一回来るか―と思ったら来なかった。

 何が起こったんだろう? と思って、恐る恐る目を開けると見知った背中がそこにはあった。


「リーリヤ姫殿下。これは一体どういうことでしょうか」


 低く落ち着いた声色は、わたしが聞いたことのないものだった。目の前に立っていたリオネル王子は、その左手で振り下ろされようとしていた扇子を掴み、リーリヤ姫と対峙している。わたしからは王子の表情は見えない。

 だが目の前の姫君は震えるほど青ざめた表情で王子を見ている。


「俺の大事な――に何をなさっているのか、と聞いてるんですが?」


 畳みかけるようにそう言って、力が抜けてしまったリーリヤ姫の手から扇子を抜き取ると傍にいた彼女の侍女にそれを手渡す。ああ、なんだろう。今になってすごく心臓がどきどきして止まらない。涙がぶわっとあふれてきそうになって、もちもちの胸をおさえて一生懸命こらえた。ここで泣いてしまったら、リーリヤ姫がただの悪者になってしまう。


「お、王子」


 絞り出した声は思ったよりも震えていた。ああ、本当に申し訳ない。

 気付いた王子がわたしを振り返る。その目は一度大きく見開かれて、それから悲し気に細められた。


「すまない」


「いいえ。いいえ、リーリヤ殿下は悪くないんです。わたしがつい変なことを言って怒らせてしまっただけで。怒らないでください」


「……怒っていない」


 むすっとした王子の顔を見るのは初めてだ。いつもにこにこしてるか、引き離されて悲しそうにしている顔しか知らないから。


「リーリヤ姫殿下も大事な学友です」


 青ざめた顔のままでいるリーリヤ姫は、ちょっと気の毒になってフォローしてしまった。あ、すっかり忘れていたトレイシーは王子の登場で緩んだわたしの手を振り払ったあと、呆然としてそこにたたずんでいる。


「しょ、勝負ですわ」


 それでもリーリヤ姫は震える声でそう絞り出した。勝負?


「今度の体育祭で、勝負ですわ! わたくし、貴女のことなんて認めませんから!」


 そう言って、侍女たちと共に駆けていってしまわれた。お茶会だけでも憂鬱なのに、次は体育祭のお知らせですかー? ていうか、ターゲットはわたしなのか? まぁ、こんなぽっちゃりだもの。負けるとは思わないか。


「ニナ」


 衆人環視の中だったので、今日の王子はハグは無しだった。ただ、わたしのもっちりとした両手をとって項垂れている。


「ごめん」


「どうしました?」


 問うても返事はなかった。両手に持った私の手の甲にぐりぐりと額を押し付けている。そういう動作が犬っぽいところなんだけど。

 ていうか、すごいタイミングだったなぁ。ちょっとびっくり。まさか来てくれるとは思わなかった。正に王子様みたいだったね。わたしがモブでなければ完璧だったのになー。

 そのままリオネル王子が動かなくなってしまったので、どうしようか困っていたところで、固まっていたトレイシーと目が合った。


「! あんた!」


 あんた? あ、わたしか。トレイシーがなんか慌てている。


「ちょっとこっち来なさいよ」


「どうしましたの?」


「いいからっ」


 仕方がないので、そーっと王子の手を離した。


「ニナ」


 名前を呼ばれると、なぜか胸が苦しくなる。なんでそんなつらそうな顔をするんだろう。


「友人に呼ばれているので、わたくしはこれで」


 ぺこりとお辞儀をして背を向けた後、ばたばたとやってきた振り切られていたらしい騎士たちに囲まれてリオネル王子の姿は見えなくなってしまった。

 わたしはそのままトレイシーに手をひかれて、中庭の奥、いつもの定位置に連れていかれたのだった。

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