第30話 モブ令嬢のわたしは魔王になぜか懐かれる

 口をはくはくと、まるで金魚鉢の金魚が水面近くに顔を出して必死で呼吸をするように、はくはくと詰まりそうな息をどうにか回復させる。心臓がばくばくと恐怖で音をあげる。この前まで感じていた、あの甘酸っぱい胸の高鳴りとは、これは対極にあるものだ。ぎゅう、とドレスの胸元を掴むと、それに気付いたマルティーヌ嬢がわたしの前に立って魔王の視線を遮ってくれた。


「我が主。どうかそこまでになさってください。彼女は先代の聖女とは違うのです」


「ふむ? 何故だ。彼女であれば、我の視線などものともしないだろう」


 そう。そうだね。もし、聖女ならね。わたしはただのモブ令嬢だ。ここは本当に痛感する。わたしはモブ令嬢なので、魔王なんかに見つめられたらそれこそ比喩でなく石化してもおかしくない。

 少し面白くなさそうにふん、と鼻を鳴らした魔王は、わたしをちらりと一瞥してそれから玉座に深く座り直した。


「つまらない。楽しくない」


「仕方ありません。人間とは、かくもか弱い可哀想な生き物なのですから」


 マルティーヌ嬢はわたしをかばってくれているのだろうか? それなら何故、いっしょにここにいるのだろう。ゲームの中で彼女は出てきたっけ? 記憶力が神がかっていれば覚えていたのかもしれないが、それは期待するだけ無駄だった。だって、大事なことも忘れていたのに。

 リオネル第一王子は、このゲームの最難関攻略対象だった。

 二周目、三周目で良いパラメータやアイテムを引き継いでどうにか落とすことの出来るキャラクターだった。誕生日は自分で設定できる仕様だったけど、この一年目の誕生日にイベントが起きるというのがミソなのだ。王子の体が魔王に乗っ取られる。それをどうにかするのがプレイヤーの腕の見せ所ってやつなんだけど、わたしは今自分のパラメータがどんなものなのかも分からないし、チートアイテムのひとつも持っていない。あるのはこのもちもちのボディひとつ。あと、リオネル殿下への恋心だけだ。

 ごくん、と生唾を飲み込む。なんとなく、冷や汗も出てきた。

 わたしは、今のこの状況をイベントのひとつだとは思えない。だって生死がかかっている。死んだらそこでバッドエンドの表示が出ておしまい、さぁセーブしたところからやり直そうなんて出来ないのだ。だって、今のわたしの人生はゲームなんかじゃないから。


「聖女様の顔色が優れません。また後で時間を置いてお連れします」


「ならば我の私室に連れてくればいい。積もる話もあるのだ。よかろう?」


 尊大な態度、不遜な目つき。ああ、でも顔も声もリオネル殿下のものだ。わたしは、この声をよく知っているのに、なんで何も出来ないんだろう。

 悔しく涙がにじんできた。でも、泣かない。わたしは、あきらめない。


「……はい。よろこんで」


 声はちょっと震えていたし、何なら棒読みに近いような言葉だったけど、どうにか声を出せた。わたしが反応を示したので、魔王は面白そうに笑ったし、マルティーヌ嬢は驚愕したような顔をしていた。

 そうだね。きっとマルティーヌ嬢はわたしが聖女ではないと知っているんだね。今の反応で分かる。本当は怖くて仕方ないけど、絶対リオネル殿下を取り戻すチャンスはあるはず。そのためにも、魔王に出来るだけ近づかなくてはならないんだから。






 そして、魔王の私室に通された後、ふかふかの絨毯の上に座るように指示をされたところまでは良かった。うん。まぁね。わたし、魔王陛下(?)にとってみたら、ただの下賤の民ですし? 前世の頃の記憶があるからか、床に座ることにはあまり忌避感はないのよね。貴族のお嬢様としては問題でしょうけど。

 で、だ。

 なんでこうなった? (数時間ぶり、三度目)

 なぜか座ったわたしの膝の上にごろんと頭を乗っけて、魔王はすやすやと眠り始めたではないか。

 どういうことなの? 本当に。

 それをまたマルティーヌ嬢はすんごく冷めた目で見ているし、なんだこの針のむしろは。視線を気にしたら負けなので、とりあえず魔王の顔をじっと見つめてみる。顔色は悪いし、色味は全然違うけどやっぱりリオネル殿下だ。わたしの、大好きなひとだ。

 こらえたはずの涙が、ぽろりと零れた。しずくが魔王の額に落ちて、彼は目を開ける。目が、あう。


「何故、泣く」


 何でなのか、分からないのだろうか。本当に? まぁ、わたしがその体の持ち主のことが好きだったんですって言っても無駄な気はする。どう説明していいのかは難しすぎてよくわからない。

 冷たい指先がもちもちの頬に触れて涙を拭う。ああ、やっぱりそうだね。わたしの心は動かない。同じ顔のひとなのに、同じ声のひとなのに。わたしの心を動かすのはリオネル殿下じゃなくちゃ、駄目なんだもの。


「我は三百年眠っていた。この王家の血脈に封じられていたのだ。その中で、お前に出会った」


 わたしの膝に頭を乗せたまま、魔王が言う。


「これがお前に触れた瞬間、お前が我の待っていた女なのだと気付いた。この封印から解き放つ、運命の女ファム・ファタールなのだと」


 そして起き上がった魔王はわたしを見つめる。先ほどまでの恐怖は、ない。ただどう応じたらいいのかが分からないだけだ。


「部屋へ戻れ。マルティーヌよ、案内せよ」


「御意」


 マルティーヌ嬢は頭を下げ、またわたしの手を引いて連れていく。

 ここは多分、魔王城だ。今はもう廃墟に近かったはずのお城。魔王が戻ったから、魔王が居た頃の姿に戻ったのだろうか?

 わたしがきょろきょろしていると、マルティーヌ嬢が溜息をついたのが分かった。


「随分と肝が据わっているのね」


「そう見えるかしら?」


「ええ」


 短い会話からはわたしに対する呆れが見える。だって今更じたばたしても始まらないし、たぶん、無理に逃げることは出来ない。監視役がぴったりくっついて離れないものね。


「前から思っていたけれど、貴女、変わっているわね」


「よく言われる」


 誰にとは言わないけど。


「助けが来るとでも思っているの?」


 その問いには首を横に振った。わたしを助けるために王国が何かすることはないだろう。どちらかというと、第一王子を助けるためには動くんじゃなかろうか。


「さあ?」


「……まぁ、いいわ」


 わたしはいろいろと思い出せないことが多すぎる。時間はあまりないけど、出来るだけ情報を集めることは大事だ。必ず、リオネル殿下を取り戻す。ひとまず、わたしひとりの戦いはこうして幕を開けたのだった。

 

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