第31話 モブ令嬢のわたしは魔王付きのメイドと話をする
もう一度最初の部屋に案内されて、わたしはそのままベッドに倒れこんだ。
はしたない! と怒るひとはここに居ない。ただ、すごく冷たい目をしたマルティーヌ嬢がいるだけだ。
ここはすごく静かだ。人の気配はしない。それもそうか。ここは魔族の城なんだ。
「本当に胆の据わったお嬢様ですこと」
少し皮肉気に言われて、わたしは返す言葉もない。だってずっと緊張しっぱなしなんて、体がもたない。ここがどうやら安全地帯らしいことは、なんとなくだが分かる。
「なんでわたしのこと、聖女なんて言うの?」
ですます言葉は面倒くさいのでもうやめた。だって相手も、貴族のご令嬢ではないと言っているからね。
「……貴女が聖女の血筋だからですよ」
少しばかりの沈黙があって、そう続けられた。
「三百年前、当時の過激派に祭り上げられて魔王陛下は人間の国への侵攻を開始しました。しかし、戦いは長引きどちらも疲弊していた頃、人間の側に勇者と聖女が現れたのです。彼らは人間の軍に交じってこの城まで来ました。その軍を率いていたのがその頃の王国の第一王子。魔王陛下は聖女に一目ぼれをし、肉体を失ってなお執着して第一王子の体を乗っ取りました。このあたりは劇にもなっていますから、あとはご存知でしょう?」
文化祭で見た、あの舞台劇。聖女に愛を囁きながら命を落とした第一王子。あれは、現実にあったことだったのか。
わたしは体が震えるのを隠すために、もちもちの手のひらをぎゅっと握りしめた。強く。
「王家の血筋に、魔王は封印されていたってこと?」
「そうです。この三百年。第一王子は生まれませんでした。女系の血筋である女王家には男子が生まれること自体が珍しかった。……本当は生まれていたのかもしれませんね。そういうのを隠すのは、人間はお得意でしょう?」
酷薄な笑みを浮かべてマルティーヌ嬢は皮肉を口にする。
「そうして、今世にあの方が生まれました。救いの乙女が現れるという言葉を信じてか、今回は隠されはしなかった。運命の日、魔王陛下は貴女に出会ったのです」
それは、きっとあの初めて出会ったお茶会のことだ。静電気みたいなちりっとした痛みが走ったあの日。でも、その役目は本当はヒロインたちに与えられるもののはず。聖女の血筋なんて、この国にはたくさんいるでしょうに。一子相伝とか、血族結婚を繰り返しているわけじゃないんだし。
「マルティーヌ……あなたはずっと、待っていたの?」
魔族は知る限りでは人間たちが生きている国の近くには出没しないようになったのだと聞いた。遠い大陸に移住して、そこで安息を求めたと。
「そうです。魔王陛下の目覚められる日を、この三百年、ずっと待っていました」
マルティーヌ嬢、もうこの嬢と付けるのもやめるかな。マルティーヌの瞳の虹彩は縦に走っていて彼女が人間ではないのだと物語っている。
「あの方が誰を好きでも構わないんです。ただ、この気持ちを押しとどめることは出来ないだけ。あの方がしあわせならそれでもいいと思いながら、その実は恋の炎にこの身を焼かれている。そういうのものなのです」
その気持ちは、ほんの少しだけ分かる。自分以外の誰かを、好きなひとが選んでもいいと思っていたことがないわけではないから。
ただ、今は違うだけだ。リオネル殿下が、自分以外を相手に選んだとしたら、胸が締め付けられる。とても。
「ひとまず、おやすみください。また呼びに参ります」
「マルティーヌ、わたしは魔王の聖女ではないのよ?!」
「……知っています。でも、あの方がそう決めたのなら、いいんです」
「よくない。よくないよ、そんなの。わたしにとってもよくないし、マルティーヌにとってもよくない。もちろん魔王にとってもだよ?!」
「ニナ様はそういう喋り方をなさる方だったんですね」
はた、と気づいて慌てて口を塞いだけどもう遅い。怒らせることは得策でないと分かっていながら、それでも口にするのは止められなかった。だって、違うのに。
「また、参ります」
そう言って、扉が外から閉じられる。鍵をかけた音がやけに静かな室内に響いた。
しくじった。本心とはいえ、あれは今言うべきではなかった。
「……こわい」
ぽつり、と口からこぼしてしまえば、もう後はとめどなくわき上がってくる感情を押し込めることは出来なかった。何がこわいのかは漠然としていたが、よくよく考えてみれば分かる。
魔王は、わたしを聖女だと思っている。
初めて会った時からそう感じていたのだと、マルティーヌが裏付けした。
では、リオネル殿下の本当の気持ちは? わたしのことを強く抱きしめたことも、交換日記で他愛のないやり取りをしたことも、全部、リオネル殿下の本意とは違っていたら?
こわくてこわくて、そのことは考えないようにしていたのに、さきほどのマルティーヌとのやり取りで思い出したくないことが掘り起こされてしまった。
わたしがただ、勘違いで有頂天になっていただけだったら、どうしよう。
でも、ひとつだけ、もしもリオネル殿下の本意が違っていたとしても、ひとつだけ、これだけは覆らないことがひとつだけある。
わたしの気持ちだ。
「まだ、言ってないんだもの」
ちゃんとわたしの気持ちを、言葉にしてリオネル殿下に伝えていない。わたしは、わたしの気持ちに正直になることなんて、前世でもほとんどなかった。いつも相手の顔色を窺って、言うべき言葉を慎重に選んで、そうしてほどほどの付き合いというものを続けてきたのだ。
自意識過剰と言われるのも嫌だったし、自分が傷つくのが何より嫌だった。だから、モブだと割り切って一歩引いて生きているのは楽だったのだ。
「わたしはモブだけど、わたしの人生の主役はわたしだものね」
ぺちん、と頬を叩いて自分を鼓舞する。こわいけど、ちゃんと確かめなくちゃいけない。そうしなくてはわたしは前に進めない。
モブ令嬢はモブ令嬢なりに、頑張ってやろうと心に決めた。今だって本当はこわいし、逃げ出したい。リオネル殿下の真実を知るのもこわい。
それでも、わたしが聖女と勘違いされたままなのも嫌だ。こんなところに閉じ込められているのだって理不尽だと思う。だから、わたしは戦うのだ。どう戦えばいいのかはまだ分からないけど、わたしなりにわたしらしく戦ってみせると決めた。
「大丈夫」
他の令嬢の方々の背中をぽんと叩いてかけていた言葉を、今度は自分に投げかける。ひとり部屋に残されたのも好都合。自分に何が出来て、何が出来ないのか。じっくり考えるとしよう。
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