第12.5話 ヒロインたちと姫と王子はそれぞれに思案する

「……良かったのかな、これで」


 トリーことトレイシーが呟いたのを、隣で本を読んでいたはずのカーリーとあたしは耳ざとく聞いていた。良かったのか、どうか。それは分からない。


「彼女はNPCだったよね。ゲームでは」


「ゲームではあたしたち以外みーんなゲームの中の人だったよ」


「そうだね」


 そう。あたしたちは気付いたらこの世界に居た。いわゆる異世界転生、もとい乙女ゲーム転生ってやつなのかな。メタいけど、そういうことだ。このゲームはやったことがあるし、全部のエンディングを見た覚えもある。なのに。


「情報にマスクがかかっているのは不便ですね」


 ふぅ、とカーリーがずり落ちかけていたメガネの鼻のところを押し上げて溜息をつく。そう。全部は思い出せないのだ。すごくすごく好きで何度もやったゲームのはずなのに。まぁ、全部覚えてたら化け物か。


「まぁ、ひとりじゃなくてよかったけど」


 あたしがそう言うと、トレイシーとカーリーは顔を見合わせて笑った。えー、何よぅ。笑うような場面だった?


「そうだね。私たちも」


「ひとりじゃなくて、よかった」


 しみじみとそう言われて、あたしはそうでしょうそうでしょうと胸を張ってみせる。

 あたしたちが目を覚ましたのは、街のはずれの孤児院の近くだった。この姿で気を失ってたのだ。この世界のことは知っているようで、知らない。分からないことがたくさんある。ただひとつ、確かなのは。


「推しメンが実際生きてる世界ってだけで尊い」


「それなー」


「確かに」


 こんなことを言って同意してくれる人が傍にいるってだけで、ちょっと心強い。嘘はつかない約束で、推しメンを言い合った時に被ってなくて本当よかったと思ったもんね。同担拒否じゃないけど、せっかく同じ世界で「生きている」んだもの。いっしょにいられたらいいな。少しでも長く。


「でもさー、意外だったよね。あの王子様がぞっこんの相手がいたなんて」


 ゲームの中に彼女は居たと思う。ちゃんとは覚えてないんだけど。にこにこしてて優しい感じだった。だから目当てのイケメンが居ない時は、ついつい会いにいって他愛のない話をしたもの。


「ねー。トリーが王女様ともめた時のあれ、すごかったよね」


「俺の大事なニナって言ったよね。絶対。あれはもう確定でしょー」


「ニナ様がまた臣下の礼というか、距離を取っているのがまたもどかしいですよね」


 きゃわきゃわと話し込んでいると、女子高生に戻った気分になる。この世界では学院に通う女子のことはなんていうのかなぁ。


「あ、でもトリー、ニナ巻き込んじゃったんだから、体育祭頑張りなよね」


「そうですよ。ニナ様ぜったい運動苦手だと思うので」


 そう! なんか王女様の敵対心が完全にニナに向いたみたいになってたよね。あれはまずい。


「というかさ、なんでこんなにファンタジーな世界なのに体育祭なんだろね」


 トレイシーは全然別のこと考えてたけど。そこはツッコんだらダメなとこだと思う。あたしの頭でもわかる。


「無理やりこう学園物でファンタジーでって混ぜたからじゃないかなー。でも運動系の攻略対象はぜったい目立つじゃない? アルフォンスくんも出てくるんでないの?」


「はっ! そうか! じゃあ最初のアピールタイムってことだよね。がんばろ」


「ニナ様のこともちゃんと見ててくださいね」


「あ、うん。忘れないように、努力は、する」


 トレイシーの言い方にはちょっと心配が残るけど、まぁあたしとカーリーでフォローすれば何とかなるっしょ。そして就寝の時間まで、あたしたちは楽しくいろんな話をした。思い出せない前世のことや、いろいろなもやもやに蓋をするように。




*****




「やってしまいましたわ……」


 わたくし、リーリヤ・イサーエヴナ・ユスーポヴァは北の大国の第三王女。兄弟は10人ほどいて、その中では一番下でしたので末っ子というやつでしょうか。のびのびと育ったわたくしに、お父さまこと国王陛下は突然隣国へ行けと申し渡したのです。そして良い婿を得てこい、と。


「姫殿下。あまりぐるぐる回っていると、目が回りますよ」


「分かってますわ! でも、じっとしていると落ち着かないんですのよ」


 侍女のひとり、エマがわたくしのことを心配そうにしながら言ってくれた言葉にも思わず噛みついてしまう。この短気さが災いして、まだわたくしにこの学院の中で友だちはいない。がじがじと親指の爪を噛みながら、またぐるぐると回る。


「リオネル王子が現れたのはびっくり致しましたね」


「そう! そこですの!」


 今日はわたくしの進む進路を邪魔する女生徒がいたので頭に来てつっかかっていたら、何やらふくふくとした別の女生徒が間に割って入ってきたのです。何やら邪魔をしていた女生徒の肩を持つようなことを言っているから、頭に来て何も考えずに扇を振り下ろしてしまったのですわ。まさかそれを、この国の第一王子に見られるなんて。


「大事な、って言ってましたね」


「男爵令嬢だとも言ってましたわね。あの娘」


 優しそうな子だった。やわらかいふにふにとした感触をしていそうな体型と、豊かな栗色の髪をしていて瞳は穏やかな緑色。見ているだけで安心してしまう表情をしていましたわ。


「私、母国の神殿で見た大地母神様を思い出しました」


 ああ、確かに。偉大なる大地母神様にも似てましたわね。


「姫殿下のフォローもしてたように思いますよ。王子、すごく怒ってたじゃないですか」


「あぅ。そう、だけど」


「次会った時には謝れるといいですね」


「でも、もう勝負を挑んでしまいましたわ」


 そして逃げ帰ってしまった。そんなひとにやさしくしてくれる人なんているわけない。分かっているのに、ついその時の感情を優先してしまうのはわたくしの悪い癖です。


「あの方なら大丈夫そうな気もしますけど」


「うぅ……。とりあえず、明日の予習をしたら寝ますわ! 明日から放課後に体育祭のための体力作りをしますからね!」


「はいはい」


 エマはわたくしが小さい時からいっしょに居てくれるメイドで、姉のひとりのようなものなので、わたくしの考えなどお見通しであるという感じでいますわね。わたくしが頭脳明晰、運動神経抜群だと言われるのは実は努力の賜物なのです。見えないようにしているけど。

 とりあえず、次に会えた時に勝負が終わったらちゃんと謝れるように、それも練習しておこうと思ったわたくしなのでした。




*****




「……」


「殿下、もうお休みになられては?」


 筆頭騎士のアシルに声をかけられて、ずいぶん長いこと思案に浸っていたのを思い出した。昼間に久しぶりに会えたニナ。彼女がトラブルに巻き込まれていると聞いて、王家伝来の転移装置で駆け付けたのだが間に合わなかった。


「……まだ、悔やんでいらっしゃるので?」


「当たり前だ。女の顔に傷がついたのだぞ」


 やさしい柔らかさのあのふにふにのほっぺに傷が付いていた。深い傷ではないのかもしれないが、一気に頭に血が上ったのは認める。王子らしくない態度であったかもしれない。


「ニナ嬢のご友人が連れてゆかれたのでしょう? きっと手当てしてもらっていますよ」


「それはそうなんだが」


 あまりのことに思わず本音が口から出た。ニナは、どう思っただろう。ていうか、ちゃんと聞いてたかな。然るべき場所を設けて、然るべき手順を踏んで、しっかりと伝えたいと思っていたのに。


「……もっとはやく駆け付けられたらよかった」


「殿下の出来る最善であったと思います」


「それでもだ」


 大事なんだから仕方ない。本当はいつも付いて歩きたいくらいなのに、相当我慢しているのに。


「……殿下」


「何だ」


「私事ですが、実はブルゴー男爵家のお茶会に私も招かれました」


 悔しすぎて思わず睨んだ。大人げないのは許してほしい。俺だってまだ子どもだ。


「それでですね。殿下、公式な訪問は叶いませんが、もし男爵家のお茶会に潜入出来るとしたら、行きますか?」


 思わず拗ねてすがめていた目を見開いた。そんなことが出来るのか?


「ブルゴー男爵家の次男が騎士団におりますので、ちょっと酒でもおごって手伝ってもらいます。ただ、殿下が行きたくないのであれば――」


「行く! 行きたい!」


 即答だ。そんなのもし行けるというのなら、行かないわけがないだろう。5分でも10分でもいい。ほんの少しでも会えるのなら会いたい。


「ふふ。かしこまりました。では手配しますが、他の者に知られないようお気をつけください」


「うん。うん! すごいな、アシル。さすが俺の護衛騎士筆頭! 有能すぎるな! 今度賞与を増やしてくれって言っておく」


「ではもうおやすみください。また明日も仕事は山積みです」


「う……うん。わかった」


 そこは引き下がるところなのでおとなしく聞く。ああ、夢のようだ。もう二度とあの男爵家の屋敷の庭でニナに会えることなどないだろうと思っていたのに。それだけでもう心がざわめいて浮足立つ。先ほどまでの嫌な気分もどこかへいってしまったのだから、現金だと言われても仕方ないだろう。


「ありがとう。アシル。おやすみ」


 寝支度を整えて、寝所へ向かう前に、もう一度、俺の有能な筆頭騎士にねぎらいの言葉をかける。

 アシルは少し笑って深々と頭を下げただけだった。

 ああ、ニナに会える。それだけで幸せなんだ。それ以外に何もいらないんだ。

 今はただ、そのしあわせだけに浸って、俺は眠りについた。

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