第3話 モブ令嬢のわたしはほどほどの成績で授業を受ける

「ニナお嬢様ぁぁ。申し訳ありませんんん」


 びゃーびゃーと泣きながらメイド服の裾を翻して駆け寄ってくるセリアの頭を持っていた扇でぽこんと叩くと、わたしはひとつ溜息をついた。

 私付のメイドであるセリアはわたしと同い年なんだけど、前世分の人生のお蔭がなんだか頼りなく思えるので妹みたいな感覚だ。顔のそばかすもきっちりとおさげにされた焦げ茶色の髪も顔に似合わず大きいメガネも、あざとい、とは思うけど。絶対か弱い女の子アピールなんだと思う。本人に自覚がなくても。


「王子様がご出勤されたら教えてって言ったじゃない」


 語尾は強めで叱るのではなくあくまで困るというニュアンスで伝えると、またその髪の色によく似たこげ茶色の瞳からぼろぼろと涙がこぼれた。


「ご出勤ってお嬢様ぁぁ」


「ご出勤でしょ、あれ。王族としてのお仕事もあるのに、学院に来て勉強もしなくちゃいけないなんて大変よね」


 ほんとにその勤労意欲には頭が下がる。偉いなーと思う。わたしはやりたくない。モブとしてのんびり気楽に生きていたいのが今生の私の目標なのだ。しなくていい苦労はしない主義とも言える。多分ね。


「お嬢様、それ他の方の前では言ってはダメですよぉ」


「言わないわよ。でも皆思っていると思うけど……」


 それでも公務の合間を縫って学院に通い、わたしを見かけたら駆け寄ってくる姿は何かに似ていると常々思っている。あー、あれだ。前世の実家で飼ってた犬だ。ゴールデンレトリバーの吉之丈きちのじょうだわ。すっきりした。ていうかあの犬、あんなにごりごりの洋犬だったのになんであんな和名だったんだろう。前世のお父さんのセンスを疑ったよね。連れてきたらもう名前決まってんだもん。

 犬。犬だな。王子様なんだから常に上に立つ人みたいな感じのはずなんだけど、わっふわっふ言いながら走ってきてどーんとぶつかられてよろけたな。うん。なんでかなつかれているんだよなぁ。


「今日の授業ってこの後の淑女学の次って何もないわよね?」


「そうですね」


 このプルプルしている小動物みたいな可愛いメイドにも、ちょっと汚名返上のチャンスをあげないとね。


「まっすぐ家に帰りたいから、授業が終わるタイミングで馬車を準備しておいて。よろしくね」


「は、はい! このセリアちゃんとお仕事してみせますから!!」


 ちょっとアレだけど普段の仕事はちゃんとしているんだよなー。頑張れ、ほんと。





 次の授業が始まる前に、さわさわと噂話が教室内をさざ波のように駆け巡っていた。


(今日はリオネル殿下がいらしているそうよ)


(まぁ! 今日はわたくしお会いできるかしら?)


(剣術の授業と帝王学の授業には出席されるでしょうけど、そのあとはすぐ戻られるのかしらね)


 思わずお耳が空が飛べる小象のようになって噂話を聴き耳してしまう。きゃいきゃいしている女子たちは可愛い。花が集まっているのを見るのは眼福。

 しかし不思議なことに、わたしのところに王子様が現れた話は出てこない。まぁ、いつも何故か人がいない場所でばったり出くわすのが多いからなぁ。


「皆様、お揃いですか? 授業を始めます」


 淑女とはなんたるかをご教授下さる伯爵夫人が現れ、授業の開始を告げる頃にはきちんと口をつぐんで姿勢を正しているあたり、本当にみんな貴族のお嬢様方なんだなぁと思う。ほんっと、わたし場違いなんだよね。


「では、ここの問題を……ニナ様」


 ちょっと考え事をしていたのを見逃さない伯爵夫人に名指しされ、わたしは曖昧に笑って当たり障りのない答えを返す。伯爵夫人は自分の思った通りの返答に満足したようで、にっこりと微笑んでうなずかれた。

 うん。空気を読むのと猫かぶりはわたしの専売特許なのだ。

 そうして前世でも立派なモブとして生きていた。

 優秀すぎても間違えすぎてもダメなのだ。ほどほど、というのはなかなか加減が難しい。

 他のお嬢様方の答えに納得したような声をあげながら、はやく家に帰りたいなーなんてぼんやりと考えている間にあっという間に授業は終わりを告げたのだった。

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