第4話 モブ令嬢のわたしは召使たちと屋敷へ帰宅する

 授業が終わってさっさと帰り支度をすませると、何人かいたモブ仲間(と勝手に思っている)のご令嬢たちに挨拶をしてわたしはさっさと教室を後にした。

 油断するとまた王子様が現れないとも限らない。自意識過剰にもほどがあるとは思うが、念には念を入れておかないと何が起こるか分からないから人生なのだ。なんてね。


「ニナお嬢様、こちらです!」


 そしてたゆんたゆん揺れる柔らかいお肉が邪魔だなーと思いながら、走っているとは気付かれないほどの競歩もかくやという歩き方で、セリアが手配してくれたうちの馬車に乗り込んだ。

 なんか学院内にすごい素早い動きをするご令嬢が出るっている都市伝説みたいのがあるらしいんだけど、わたし関係ないよね? 関係、ない、よ、ねぇ? ちょっと不安になってきたな。


「はああぁぁぁぁ、疲れたぁぁぁ」


 馬車の座席にえっちらおっちらとよじ登り、座席に伏して思わず本音が出てしまった。お嬢様言葉とか知ったものか。

 ニナとして生きてきた十六年よりも、前世で生きてきた年数の方が倍以上だもんなぁ。何歳とか言わないけど。


「お疲れ様でございます。明日は授業はお休みですから、お屋敷でごゆっくりなさるとよろしいかと」


 セリアではない声がしてびくっとなって起き上がった。ぎぎぎ、と首を曲げれば、向かい合わせの座席で申し訳なさそうにしているセリアの隣に、初老の男性がひとり乗り込んでいる。


「侍従長、どうしてここに」


「セリアがあまりに慌てていて役に立たなかったので、私の方で馬車は手配させていただきました」


 ああ、ね。そこまでちゃんと考えてなかった。そうだよね。テンパるよね。ごめんね、セリア。


「ありがとう。……怒らないの?」


「何を、でございますか?」


「今、わたし、淑女にあるまじき失態をお見せした気がするのだけど」


「馬車の中であればかまいません。お嬢様とて、それをわきまえてされたのでしょう?」


 じいや、と愛称で呼んでいたこともある初老の侍従長、クロード・フェルの言う言葉には重みがある。年季の違いというのもあると思うし、何より心許せる家族以外の人だからというのもある。


「ごめんなさい。ありがとう」


「何のことやら分かりませんな」


 ふふ、と笑う侍従長は、イケメンである。今は白髪に蓄えたひげと銀縁のメガネがベストマッチで知的なおじい様って感じだけど、若い頃はぶいぶい言わしてたんだろうなぁ。ぶいぶいって古いな。ていうか、本当にこの国顔面偏差値高すぎるんですけど?! セリアだってかわいいし、お嬢様方もお坊ちゃま方も言わずもがなだし。

 ていうか、微笑んだ侍従長にセリアがぽやぽやーんとうっとりしてるんですけど。ちょっとその年の差は見過ごせない。奥様を亡くして今は独身だというけど、祖父と孫くらい年の差があるっていうのは見過ごせませんよ。


「……セリアー?」


 思わず名前を呼んだら、授業中に居眠りしていた学生みたいにびくっとなってこっちを見た。うん。そうだね。わたし、居たね。


「あ、えと、あわ、あわあわあわわわ」


 あわあわって人間言うんだな。ほんとに。


「落ち着いて。今回は侍従長に助けを求めて結果オーライだったけど、自分で何とかすることも覚えてね」


「は、はいっ!」


 返事はいいんだよなぁ。返事は。

 まぁ、のんびりやっていけばいいかな。

 そしてそのまま、侍従長にいろいろなアドバイスをされながら顔を赤らめているセリアをにやにや見つめつつ馬車は屋敷へとひた走っていったのだった。





「ニナーっ!」


 ブルゴーの屋敷に着いて、馬車からえっちらおっちらとまた降りているとドレス姿の女性が走ってくるのが見えた。

 なんだろうな、このデジャヴ。


「お母さま!」


 両手を広げて走ってきたお母さまにぎゅむーっと抱きしめられて、その豊満な胸に顔をうずめる形になった。四十路半ばとはいえ、相変わらず抜群のプロポーションである。お母さまに似たら良かったのにな。


「おかえりなさい、ニナ。わたくしの可愛い娘。今日も無事に帰ってきてくれて嬉しいわ」


 お世辞とかではなく百パーセントの笑顔と好意でお母さまが言う。

 わたしはその胸に埋まりながら、折れそうな細腰にそっと手を添える。

 あったかい。安心する。

 母親ってこんな優しいものかと、ちょっとだけ思う。


「ただいま、お母さま」


 ちょっとなんだか泣きそうになって鼻の奥がつんとしたけど、それは堪えて笑顔で答えた。

 お母さまはちょっとだけ目を見開いて、それからにっこりとまた笑ってくれた。

 ああ、わたし、すごく幸せだな。




 ブルゴー男爵家には五人の息子と一人娘のわたしがいる。

 女の子を待って待って待ち望んでいたから、生まれた時はそりゃもうフィーバーだった。

 何で知ってるかって、そりゃあ、その時の記憶があるからだ。

 わたしには生まれた時から自我があって、前世のことも覚えていた。


「ねぇ、ニナ」


「はい、お母さま」


「ひいおじいさまの付けた名前は嫌い?」


 何度かこのやり取りもしている。覚えている。頑なに拒否して変えたというか実績を積んだのだ。


「嫌いではないですけど、呼びづらいのでちょっと」


「ニルヴァーナっていい名前だと思うのだけど」


「あ、あはははぁ」


 なんで涅槃ニルヴァーナやねん。関西の人に聞かれたら気持ちの悪い関西弁を使うなと怒られそうな関西弁が、脳内関西人から発せられた。なんで仏教用語やねん。ロックバンドの方でもいらしたような気はするけど、このファンタジー世界にロックバンドはいないしなー。


「わたし、ニナって名前好きなんです」


 えへへへへへ、と笑って誤魔化した。そーお? とあまり納得がいっていない顔で、お母さまは首をかしげる。

 黄金に近い豊かな金髪、淡い色をした瞳はアメジスト。すらっとした体型も相まって本当に美女と言って過言ではない。そんな母は父に一目ぼれしたというのだから驚きだ。


「おかえり、ニナ。執務室の方まで声が聞こえてきたよ」


「お父さま!」


 父は私によく似た体型をしている。マシュマロボディ。むちむちだ。でもすごく人の好さそうな顔をしていて、安心する雰囲気がある。顔の作りはちょっと子どもっぽいので、ひげを蓄えているのだけれど侍従長ほどの威厳はない。栗色の髪も新緑の瞳も父譲りだ。


「またニナを困らせていたのかい? ハニー」


「そんなことないわ。ダーリン」


 そしてこの両親はダーリンハニーと呼び合う仲なのだ。両親の仲が良すぎるのというのも考えものだ。

 文官の長男、武官の次男、冒険者になった三男、学院に努める四男に市井で町医者をしている五男。

 よく考えるとうちの兄弟は幅広くいろんなところにいる。男爵家という可もなく不可もないそこそこの地位が功を奏しているようだった。


「次の休みはお茶会をやるそうだね? ハニー」


「そうですわね。ご招待する方を決めないといけませんわ」


 そう言われて、はっとした。五月のお茶会。忘れてた。完璧に忘れていた。

 そろそろ社交界シーズンに入るから、お茶会の招待状の準備も考えねばならないのだ。

 あ、でも手紙に書くことが出来たかも。


「ニナにも手伝ってもらいますわね」


「ああ、それがいいね」


 なんかラブラブ光線が行き交っててすごい口を挟みずらいんだけど。

 とりあえず手紙に書くことがひとつ増えたので、わたしはちょっとだけほっとしていたのだった。

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