第35話 モブ令嬢のわたしは大団円の欠片を得る

 それから大人しくなったマルティーヌと魔王様(人形)を連れて王国に戻ることになった。クレバーは魔王を足止めするために三人娘が連れてきたらしくて、終わったらもう用済みとばかりに眠り薬をかがされて、イェレミアス様が転移魔法で送ってかれた。ひどい扱い。

 そしてわたしは、リオネル殿下と共に王国へと無事の帰還を果たすことが出来た。聖女の懐剣を使わずに。





「よく戻った」


 でもこれは予想外。なんでブルゴー男爵家の御屋敷に女王陛下がいらしてるの? びっくりなんですけど?


「女神からの託宣に間違いはなかった、ということか」


 女王陛下はそう言って深く溜息を吐き出した。そういえば誕生日の朝にお父さまにそんな話をされたっけ。


「本当にブルゴー家は男爵位でいいのか、という意見も出ておるのだぞ?」


「王家を影から支えよ、との初代聖女様からの家訓でして。申し訳ございません」


 深々と頭を下げたお父さまはちょっと疲れが見える。わたしが攫われていた間の心労のせいだろうか。ていうか、初代聖女はうちの出だったってこと? 初耳が多すぎて頭の中がパニックになるんですけど?!


「リオネル」


 それから穏やかな慈しみの表情で女王陛下はリオネル殿下に声をかけた。殿下はずっとわたしの傍に居て、女王陛下の御姿を目に入れてからはわたしの手を離そうとしない。


「母上。いえ、女王陛下。お願いがございます」


「何?」


「私を第一王位継承者から除外してください。第一子が王太子になるという決まり事を破棄していただきたいのです」


 わたしははっとしてリオネル殿下を見た。わたしの手を握っている手が震えている。それはもしかして、ずっと、考えていたことなのだろうか。


「魔王はお前の体から去ったのだ。もう何の心配もなかろう」


「それでも不安がる者は多い。それにこの国は女王国です。妹たちの誰かが継いでゆくのが正しいと思います」


「……ふむ。お前はその後はどうするのだ?」


 王子として生まれ育ち教育されてきたリオネル殿下が、どうしてこんなことを言いだしたのかは分かっている。でも本当に、それでいいのだろうか。

 きゅう、と手を握り返すと少し驚いたようにわたしを見て、それからリオネル殿下は微笑んだ。穏やかであの夜に見た笑顔とはまるで違う、どこか自信に満ちた笑顔だった。それから表情を引き締めなおすとまっすぐに女王陛下を見つめる。


「ニナ・ジュリエット・ブルゴーの夫になりたいのです」


 ド直球! ド直球できた! ほらー女王陛下も目を丸くしてらっしゃるじゃないかー。もー。お父さまはなんとなく察していたようで眉間の皺を一生懸命人差し指で伸ばしている。そうだよねー。わたしもそう来るかーって思ったもん、今。


「そのために王家の地位を捨てるのか?」


「捨てるわけでも捨てたいわけでもありません。ただ、彼女が私を救ってくれました。魔王の封印のために誰も触れようともしなかった私を受け入れてくれて、捨てようとした命を拾ってくれたのは彼女なのです」


 そう言って、もう一度わたしを見る。わたしはその視線を受け止めて、しょうがないか、と笑うことにした。だって、わたしが宣言しちゃったんだもんね。捨てるならくださいって言ったのは口だけじゃなくて本当だもの。


「彼女、ニナ以外の伴侶は要らないので」


「随分とべた惚れに惚れたものだな」


「仕方ないです。だってニナは初めて会った時から俺の大事なひとなので」


 人目もはばからずリオネル殿下は言うだけ言うとわたしをぎゅうっと抱きしめた。お父さまが絶望的な顔をしているのは申し訳ないとは思ったけど、女王陛下は一拍置いてそれから朗らかに笑い始めた。


「ああ、お前がそんなに明るい顔をするなら、それでもいいかな」


「では」


「だが妹たちや王家の血筋を引く他の貴族の娘たちが女王となる器に至らなかったときは、お前も覚悟を決めろよ。リオネル」


 ……それはつまり、わたしにも覚悟を決めろということだ。女王陛下の眼光は鋭い。わたしは、でも幸せを感じていた。だってリオネル殿下が生きていて、女王陛下は彼が王族であることを認めてくれている。これ以上に嬉しいことなどない。そう心から思えたから。





 乙女ゲーム本編の方のリオネル殿下といえば、そりゃもうハッピーエンドがハッピーじゃないことで有名だった。魔王を殺そうとして一緒に死ぬバッドエンドはもちろんだけど、魔王だけを殺すことに成功して王国に戻っても彼は疑われ続けることになったのだ。そしてヒロインと彼は王国を出て、遠い異国の地を目指して旅立つエンドになっている。ふたりだけの世界といえば聞こえはいいが、ようするに放逐されて戻ってくるなと言われたってことだ。家族と仲の良い今のわたしにとって考えても、それはひどく悲しい終わりだった。


「ニナ!」


 チェルシーが走ってきてわたしに抱きつく。カーリーは後ろからイェレミアス様といっしょにやって来た。いい雰囲気でないのー? うんー?


「あれ? トレイシーは?」


「アルフォンス君のところにフォローしに行ってるよ」


 本命攻略対象の彼のところに行っているらしい。まぁ置いてきぼりにしちゃったもんね。


「魔王陛下とマルティーヌは?」


「魔封じのまじないをかけられて放逐が決まったそうです」


 イェレミアス様が言った言葉に、わたしはちょっと驚いた。だって魔王なのに。


「もともとあのゴーレムそのものに魔封じも仕掛けてありましたし、三百年前の魔族侵攻の真実も語られましたからあの方は無害でないけど有害でもないと判断されたようです。王国から出て、もともとの故郷があった地へいっしょに旅立つと言ってましたよ」


 三百年の禁固刑が終わった後だから、ということなんだろうか。この国の人たちのお人好し加減は飛び抜けていると思うけど、そう決まったのならそれでいいかな。


「そっかぁ」


「ニナは? 王子様とはどうなったの?」


 だからド直球! なんで君らはオブラートに包むってことを覚えないんだよー。ほんとにもう。


「えと、婚約者的な扱いになることになったような……」


「あいまい!」


「だって」


 まだ自分に自信はない。だって仕方ない。そうして生きてた年数の方が多いんだもの。これからは少しずつだけど胸を張って、リオネル殿下の傍にいられるようになれればいいんだ。


「ニナー!」


「あら。噂をすればリオネル殿下がお呼びですわね」


 カーリーが微笑んでわたしの背中を押す。


「私たちにはまたゆっくりお話を聞かせてくださいませ。ニナ様」


「……ごめん。ありがとう!」


 一度わたしは席を外して、リオネル殿下は女王陛下やお父さまといろいろな話を詰めていたようだった。政治のことは分からないし、貴族社会のことも全部は理解していないわたしは、そのまま居ても邪魔だろうから退出していたのよね。


「ニナ!」


 何度もわたしの名を呼ぶ。そのたび、リオネル殿下はすごく嬉しそうな顔をする。


「なんでそんなに嬉しそうなんです?」


「魔王に体を奪われていた時、ニナの名前を呼べなくて嫌だったんだ」


「そんなに?」


「俺のニナなのに」


 ぐ、と言葉に詰まる。本当になんというか、一皮むけたというか遠慮がなくなった気がする。そのまま手を引かれて、中庭に出る。四阿が見えてきて、ここは最初に出会った場所だと気付いた。


「ここでニナに出会った」


「はい」


「それから俺の人生は一変したんだ」


 両手を広げてリオネル殿下がおいで、と言うので、わたしは恐る恐るその腕の中に飛び込んだ。わたしを抱きしめるためにリオネル殿下が駆け寄ってくるのが常で、わたしからこんな風にすることは今まで一度もなかった。

 もちもちの体を苦しくないように、でも強い力でリオネル殿下が抱きしめる。


「キス、してもいい?」


「……はい」


 改めて許可を取られてキスをされるなんて、今までの人生一度もないわけでいや不意打ちでも一度もないんだけども、とにかく自分の心臓がうるさい。リオネル殿下の端正な顔が近づいてきたので、わたしは瞼を閉じる。じっと見ていたい気もしたけどそこは空気を読んだ。

 軽くついばむようなキスが降ってくる。え、一回じゃないの? 何度もするの? 聞いてないですよ? それから最後に少し長く唇が触れてゆっくりと名残惜し気に離れていった。そーっと目を開くと愛しげに幸せそうにリオネル殿下が微笑んでいる。


「リオネル殿下?」


「今日はここまでにしとこう。歯止めがきかなくなりそうだ。ニナが可愛すぎて」


 この王子はどこまでわたしの顔を赤くさせれば気がすむのか。悔しくてそのまま、その胸の中に顔をうずめてぐりぐりとしてやった。明るい笑い声がわたしの頭上から降り注いでくる。


「ニナ」


「なんです?」


「君が拾ってくれた俺の命は、一生君に捧げる。ずっと一緒にいよう」


 そう言って耳元でちゅ、と音がした。イケメンは本当にずるい。

 でも幸せそうにリオネル殿下が笑うから、わたしはもうそれで十分だった。わたしの前世からの願いは、ほんとうに成就したのだ。

 おとぎ話のめでたしめでたしのその先は、どんなことになるのかまだ分からない。

 それでもわたしはわたしの大好きな人といっしょに進んでいくことが出来るのなら、モブでも主役でも構わないと思っている。

 もちもちぽにょぽにょのモブ令嬢は第一王子のリオネル殿下とこれからも一緒に歩んでいく。

 どんな困難もふたりなら、きっと大丈夫。

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もちもちぽにょぽにょのモブ令嬢の私は第一王子に抱きしめられる 小椋かおる @kagarima

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