第34話 モブ令嬢のわたしは前世からの願いを叶えてみせる
その瞬間は、突然訪れた。
魔王の持っていた黒い霧をまとったような魔剣をやたら光るだけかと思っていたクレバーの聖剣が弾き飛ばしたのだ。魔王は目を見張り、そして観念したかのように目を閉じる。クレバーが聖剣を掲げたまま、ゆっくりと近づいていくのを見て、わたしはへたり込んでいた体を起こし魔王のところへと駆け寄っていた。
「聖女?!」
魔王はわたしが動いたことに驚いているようだった。クレバーもだ。聖剣はおさめられていない。まだびかびかと光って、魔王を威嚇しているみたいに見える。頭の中はそりゃもうフル回転だ。どうしたらいいのか、ずっとずっと考えていたけど。この胸元にある剣は使いたくなんてないし、わたしはどうしてこの世界に来たのか、わたしがあの時願ったことはどうやったら叶えられるのか、考え続けていた。
「リオネル殿下!!」
敢えて、魔王の名前は呼ばなかった。当たり前だわ。だってわたしにとっての優先順位は、リオネル殿下の方が上なんだもの。そしてそのまま、物理法則に従って魔王の体にダイレクトアタックを仕掛ける。わたしの体はもちもちでぽにょぽにょだけど、それなりに重さはあるのだ。
どかっとぶつかって、よろけた魔王の上に圧し掛かる。まぁ、もう、どうでもいいんだわ。うん。貴族の令嬢がはしたない! とか礼儀作法の先生には怒られるだろうけど、彼女はここにはいないし気にしてなんていられない。
深呼吸をする。それから、魔王の顔をがっと掴む。もちもちとしたわたしの指先が、彼をとらえる。
「わたし、あなたに言わないといけないことがあるんです。魔王陛下、あなたではなくて、本当の体の持ち主であるリオネル殿下に」
怖いけど、そんなことは言ってはいられない。だって勇者がいて、聖女がいるんだもの。わたしはただのモブだけど、こんな状況なら何が起きるかは分かる。魔王は魔王で幸せになってほしいと思ってしまうのは、乙女ゲームという箱を外から覗いていた頃のわたしの願いだ。でも、それよりも先にわたしには叶えたい願いが出来てしまった。
「わたしに魔王を討てとおっしゃいましたけど、そんなことをするのはまっぴらごめんです」
まっすぐ魔王と視線がかち合う。赤い瞳の奥に、緑色の光がほんのりと宿ったような気がする。
「わたしはあなたが、リオネル殿下が好きなんです。だから謝らないで、いっしょに生きてください」
緑色の輝きがほんの少しだけ増した。あと一押しなのは分かっている。ヒロインはどうやって口説き落としたんだっけ? とかいろいろ思ったけど、そのあたりは無粋なのでやめておく。わたしはわたしの言葉でリオネル殿下を口説き落とさないといけないんだから。
「魔王と共に消えるはずの命」
ぐ、とそこで言葉に詰まる。そうしないといけないのは分かっていても、心の準備をするのには時間がかかるってもんだ。視界の外、三人娘がわくわくしてこっちを見ている気配はするし、そことは関係なくイェレミアス様とマルティーヌはバトっているし。
「わたしにください」
ぎゅむっと目をつむって、そのまま唇を彼の唇に押し当てる。これは魔王じゃなくて、リオネル殿下。リオネル殿下だから浮気じゃないもの。
むにっと唇と唇が触れた感触がして、ふぉおおおファーストキスー! とか変なテンションになって、それをかき消すように光がわたしと彼を包んだ。目を恐る恐る開けば、金色の髪に深い翡翠色の瞳。わたしの、王子様。
「リオネル殿下」
震える声で名前を呼ぶと目の前のひとは照れくさそうに笑って、それからいつものようにわたしをぎゅうっと抱きしめた。その腕のあたたかさは忘れもしない、わたしのことを好きだと言ったひとの手だ。
「ニナ。ごめん」
「わたし、謝らないでって言いましたよ?」
「うん。でも、ごめん。ありがとう」
王子様の呪いを解くのは姫君のキス。そう決まっているらしいけど、わたしのキスでどうしてこうなったのかと言えば、愛の奇跡ってことにしよう。そうしよう。
黒いもやのような人型になってしまった魔王は、ただ茫然とわたしたちを見ているような気配がする。突然王子から弾き飛ばされたんだから当たり前か。
『ああ、本当にお前は私の
『血の封印から解き放たれて、これで私もゆっくりと眠ることが出来る』
「そうはさせるかー!!」
ちょっといい話的な流れでしゅわーっと消えそうな感じだった魔王を、何故かチェルシーとトレイシーが両脇から腕っぽい部分を捕縛した。つかめるんだ、あれ。
「いいものご用意してるんですよ、魔王様」
にっこりと笑ったカーリーが何かをごそごそと取り出した。あれ、アイテムボックス的なやつ? ヒロイン限定で使えるアレなやつ?
「ひとまず、この中に入っててくださいね」
そして何がしかの呪文を唱え始めた。輪唱するようにチェルシーとトレイシーも唱えだし、聞いたことのない言葉の羅列は、どこか聖歌のようにも聞こえて空間を満たしていく。
「魔王様!」
マルティーヌが気づいて駆け寄ったが、間に合わなかった。黒い靄のようなそれは、カーリーが取り出した等身大の男性の人形に吸い込まれてしまったのだ。
……あれ? これ、もしかして。
「ふふふ。ニナ、気付いちゃった? これねー、夏休み返上で作ったゴーレムなんだ」
「ゴーレムってもっといかつい感じの土の塊みたいなやつじゃないの?」
「そこはそれ。あたしの美意識と芸術センスを持って作っちゃったから、イケメンになった」
「あ、そう」
チェルシーの解説は要領も得ないしざっくりすぎる。後でちゃんとカーリーに聞こう。
マルティーヌがその人形に取りすがり泣いていると、何故か人形がまばたきした。うわ、こわ。ホラーかな?
「え?」
泣いていたマルティーヌの涙も引っ込む。そりゃそうだ。
「これは一体どういうことだ、小娘」
ぎぎぎ、と体を動かして、魔王がチェルシーを睨んだ。そうなるよね。
「いい体でしょ? あたしの前いた世界では、百年経てば物にも精霊が宿るって言われてたの。だから、その体あげる代わりに今回の顛末、王国で話してもらうからね」
「魔王様に何という無礼を!」
「ちゃーんと本当のことを話せば、遠くに追いやられはするだろうけど自由になるんじゃないの? これがぎりぎり落としどころだよ」
トレイシーが激高するマルティーヌをたしなめるように言う。
わたしは抱きしめた手を緩めないままのリオネル殿下を見上げる。
「……そういうことか」
何か納得なさっているけど、わたしにはほとんど分からないんですけど? どういうこと? 顔にそれが出ていたのか、リオネル殿下はわたしを見てそれから嬉しそうに笑った。
「ニナとこれからもずっと一緒にいられるってことだ」
訳がわかりません。どうしてそういう結論になったの? 微笑まし気に見てくる三人娘にも腹が立つし、わたしだけ蚊帳の外っぽくて嫌なんですけど。
「帰ったらちゃんと説明する」
「……ぅ、はい」
そう言われてはそれ以上は何も言えないじゃない。ちぇ。
「……ねぇ、ニナ」
「はい?」
「さっきのキスのやり直し、してもいい?」
耳元で囁かれて、今さっきまでの超展開にすっかり忘れていたことを一気に思い出させられた。顔がぼぼぼっと火が出そうなくらい熱くなって、きっとこれは耳どころか首まで赤いやつだ。
「ここじゃダメです!」
「ここじゃなきゃいいんだな。分かった」
「……~っ!」
わたしが何も言えなくなってわなわなしているのに気付いて、リオネル殿下は本当に嬉しそうに笑った。
わたし、間違えなかったのかな。ちゃんと正しい道を選べたのかな? そう思っていた気持ちは、あっという間に消え去ってしまった。この笑顔が守れたのなら、それでいいか。
今はまだ王子の腕の中の居心地が良すぎて、この時間がもっと長く続いたらいいのにと願わずにはいられなかったのだった。
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