第7.5話 司書は第一王子へ招待状を受け渡す

 私イェレミアスは驚いていた。

 つい最近、ちょっと気を失うほどののろけを聞いたのだが、その当事者の令嬢が目の前に現れたからだ。もちもちの体躯、丸いフォルム。豊かな髪は栗色で背中に流されている。顔の輪郭をあえて隠さないことで丸さはアップだが潔さも感じられる表情。

 そして手渡されたのは、王子への手紙。お茶会への招待状だと彼女は言っていた。これを隠しておくことも、渡さないことも、私の一存で決められる。何故なら私はこの国の第一王子の側近であるからに他ならない。ちょっと抜けてて心配なところもまだまだあるが、この国を治めるにたる人物になると私は思っている。

 でも隠しておくとまたそのあとが酷いことになりそうな予感はする。むしろ悪寒か。彼女への執着は年々増していると思われるのだが、誰も止めないのが不思議だ。

 王族と男爵令嬢の婚姻など、認められるわけがない。

 私のようなミドルネームがない平民と貴族のお嬢様の婚姻があり得ないように。まぁ、私の場合は混血というのもあるし、万が一王子が王となることがあれば一番下の一代男爵くらいにはさせてもらえそうだけどね。


「さて、どうするか」


「レミー様!」


 考え始めたところで、ばたばたと足音を立てて走りこんでくる三つの人影が目に入った。しかも大声で私の愛称を呼びながら。

 ないわー。ていうか、ないわー。

 初対面でしょう、君たち。淑女の風上にも置けん。


「図書室は静かに」


 私の声は興奮気味の彼女たちの声にかき消されてしまう。イラっときた。大人げないと言われても仕方ない。私は静寂を好むタイプなのだ。なぜか王子に見いだされ、側近などという地位をもらい仕事を手伝ったりはしているが、本来はこの図書室で本に囲まれながら司書の仕事をしていることが三度の飯よりも好きなのだ。

 その静寂を壊すものは許さない。貴族の令嬢であってもそれは変わらない。


「いい加減にしろ!!」


 ずっときゃいきゃいしている三人の娘たちに、ぶちんと切れた俺の雷が落ちた瞬間図書室全体が揺れたような気がした。





「大変でしたわね」


 大騒ぎをした三人娘たちを図書室から引きずりだし、廊下で小一時間ほど立ったままくどくどと説教をして、謝り倒すひとりと不貞腐れているひとりと我関せずなひとりに呆れながら元の位置に戻ると、声をかけられた。


「あ、ああ、御見苦しいところをお見せしました」


「いいえ。いつもお疲れ様です」


 小柄でふわふわとした淡い金色の髪に両サイドにふたつ髪飾りをつけた彼女は、マルティーヌ・ドバリー男爵令嬢。私の癒しだ。さやさやと小声で話してくれて、すっかり私の気持ちも落ち着いた。やさしい笑顔もまた、いい。


「もしよかったら、これ」


 ころん、と小さな可愛い包み紙に包まれた飴玉が私の手のひらに落ちてきた。


「疲れた時には甘いものですよ」


 ふふ、と笑って、彼女は去っていく。私は幸せを噛みしめながら、この飴は一生食べられないかもしれないと思った。





「図書室で大立ち回りしたんだって? レミー」


「その名前は嫌なことを思い出すのでおやめください。リオネル王子」


「いいじゃないか。俺と君の仲だろう」


 ふふんと王子は相変わらずの調子で横柄な態度を私に取る。くだんのご令嬢にこの姿を見せたいものだ。彼女の前では全然違うんだろうな、というのはこの前ののろけ話からでも垣間見える。

 まぁ、でも分からなくはない。意中の女性の前だと、なぜか姿勢を正したくもなったりするものだ。いくつになっても。


「ニナ男爵令嬢にお会いしましたよ」


「ニナに? え? いつ? どこで?」


「図書室にいらっしゃいました。王子に手紙を渡してほしいとおっしゃられまして」


 懐から招待状を取り出すと、ばばっと飛びつかれて奪い取られた。ひらひらと見せびらかすことも出来なかった。本当に、好きなんだなぁ。


「……本当だ。本当に、ニナの字だ」


 大事な大事な宝物を扱うように、大切に大切にそうっと指先でその名をなぞって王子がつぶやく。

 ああ、あなたは本当に、


「ありがとう。イェレミアス」


「ん? 何もしてませんよ?」


 唐突にお礼を言われて思わず私の頭の中が疑問符でいっぱいになる。


「お前はこれを握りつぶすことも出来た。でもそれをせずに俺に渡してくれた。ありがとう」


 ああ。そうか。知っているのか。あなたも。


「王族がどこかの貴族を贔屓して扱うことは出来ない。だからこのお茶会に出席することは出来ないが」


 彼女との隔たりを。


「彼女の手紙を受け取れたことがうれしい。ありがとう」


 ぺり、と封蝋が開かれて、中に入っていた招待状が見えた。ふんわりとミントの香りがする。ニナ男爵令嬢の好きな香りなのだろうか。手紙に香りを纏わせるのは淑女のたしなみのひとつだ。


「ああ、香りが消えてしまうな」


 寂しそうにそう言って王子は招待状に視線を落とす。きっと当たり障りのないことが書いてあるに違いない。彼女はそういう人なのだと、なんとなく分かってきた。


「っ!」


 ゆっくりと指でなぞり文字を読んでいた王子は、最後の最後に差し掛かったあたりで息をのんだ。顔が一瞬で真っ赤になる。耳どころか首まで赤い。


「どうかなさいましたか? 何か悪いことでも」


「いや。いいや。違う」


 片手で手紙を大事に持ち、空いている方の片手で口を塞ぎながら荒い息を押し込めている。


「……ああ、覚えていてくれたのか」


 小さく私には聞こえないような声でつぶやいた後、瞑目した王子はどこか寂しげな顔をしていた。声をかけるのを躊躇われるような表情だった。


「返事を書きたいんだが……駄目だろうなぁ」


「そうですね」


「……会いたいな」


 ぽつりと零れた言葉は、今度は私にもしっかりと聞こえていた。

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