第8話 モブ令嬢のわたしはヒロインのひとりとお茶をする
ヒロインたちに出会ってからというもの、わたしは昔やっていた乙女ゲームのことをうっすらぼんやりとだが思い出すことが増えた気がする。タイトルは思い出せないし、どんなエンディングだったかもあやふやなんだけど。攻略対象の男性陣はきらっきらのイケメンで、その男性たちを攻略するためにはライバル令嬢たちにステータスとかイベントとかで勝たないといけないという仕様だったはずだ。ってところまでは思い出せたんだけど、
「肝心のご令嬢方とか、誰が誰だか思い出せないんだよねー」
「何してるの?」
「うひゃっ?!」
中庭の木陰でもくもくと間食のジャムサンドを食べながら手帳を広げていたわたしの頭上から、突然声が降り注いできて思わず驚いて持っていたジャムサンドをそのまま口の中に全部入れてしまった。
「ほごほがごごっ?」
「何言ってんのか、わっかんない」
あはは、と笑う声に目を見張った。かわいい声だな、と思う。高めだけどそれでいて嫌味ではなく聞き心地がいい。さすが、これがヒロイン補正か。
「あたし、チェルシー・フローリー。あなたは?」
「え? わ、わたし?」
「そう。あなたは何てお名前なの? 教えてくれないと
おっといきなりの脅迫である。こりゃあ腹黒そうだなぁ。でもそのぴぎーって響きはかわいいね。
「別に、いいですけど」
「いいのっ?」
思わず食い気味にズッコケられた。意外と悪い子ではなさそうかも。
「ふふ。嘘と本当が半分ずつですわ」
「変な子」
「あら、わたくしなんかに声をかけるあなたも、ちょっと変わってるのではなくて?」
「まーねー。こんな上品な学校の中庭でちょっとした重箱みたいなサイズの籠の中から次々と出てくるサンドイッチを食べ続ける女がいたら声をかけずにはいられないって」
まあ、面白い光景であったことは認める。異論はない。
「食べます? 美味しいんですよ、うちのジャム」
「自家製なの? ……一切れ、貰おうかな」
すとんとわたしの隣に座ったので、敷物の端を彼女に譲って座るように促し、持っていた水筒から果実水を注いでコップを手渡すと彼女は目を白黒させた。
「
「なんとなく予備がないと不安な
これは本当。なんとなく、なんだけど、こういう準備は入念な下準備をしてしまうタイプなのだ。天気予報とかもばっちり考えて、あと授業の空き時間も計算に入れて、ひとりピクニックを慣行したんだけどね。ぼっち万歳!
お皿にするためのハンカチも準備して、チェルシーに差し出すと彼女は何度か瞬きをしてからぱくっと口に入れた。自家製ブルーベリージャムとクリームチーズのサンドイッチ、口に合うかしら?
もくもくと口を動かして、それから彼女の大きくて綺麗なサファイアの瞳からぼろぼろと涙がこぼれてきた。何? 何? すんごい不味かったとか?!
「……おいしい」
泣いてもかわいいとかずるいなぁ。これ。わたしのもちもちとした手よりもかわいらしい、白魚のようなおててが震えている。
「あのね、あたし、意地悪だった。ごめんね」
素直な子だな。計算でこれだけ出来るのなら、それはそれですごい才能だとは思うけど、チェルシーはうるうるとした目でわたしを見ながらぺこりと頭を下げた。
「なんか、しあわせそうにサンドイッチ食べてるあなたを見てたら、ちょっと意地悪したくなったの」
「そうだったんですの」
「でも、あなたはあたしを無視しなかった。他の人たちと違って」
この貴族の子女の方が割合も多い学院で、普通の女の子が過ごすのってめちゃくちゃ大変だと思う。わたしも立ち回りにはすごく気を遣ってるけど、すごく疲れるよね。
「これもすっごく美味しかった。なんか、ママが作ってくれてたサンドイッチ思い出して涙が出ちゃった」
えへへ、とチェルシーは笑う。鼻水がずびずびしていたので思わずさっきお皿に使ったのとは別のハンカチで顔を拭いてあげたら、ちーんと鼻をかまれた。わたしはおかーさんか。
「あのね、また、お話しに来てもいい? またここに居ることある?」
「……そうですわね。お天気のいい日は大体居ますわ」
「なんか、あなたといるとすごく安心する。ありがとう」
すっと手を出されたので、わたしもおずおずと手を伸ばして手を握る。大丈夫かな? わたしの手、手汗ですごくしっとりともちもちしてて気持ち悪くないかな?
「……名前、教えてよ」
「
「いじわる」
「ふふ。ニナです。ニナ・ジュリエット・ボルゴー」
「ニナ、ボルゴー……クレバーが言ってたボルゴー男爵家のニナってあなたね!」
さっき泣いていたのがうそのように、チェルシーの顔が輝いた。
おや? クレバー何を言ってくれてるのかな? ていうか本当に何の話したんだ、あやつ。
「ニナと話すと安心するって言ってた。手がぷにぷにでかわいいね、ニナ」
むにむにーっとわたしの手を握って感触を確かめている。まぁ、感触が面白いのも認めよう。
「褒めてます?」
少し苦笑したようにそう言うと彼女はさっき泣いてたのがうそのように笑ってくれた。ああ、笑顔の方がいいね。かわいい女の子は笑顔がいいよ。
「また来るね! ニナって呼んでもいい?」
「好きなように呼んでくださいな」
そうしてわたしと彼女は手を振って別れた。なんか嵐というか、もっと小規模だからつむじ風みたいな子だな。
そしてひとつ、確信が湧いた。あの子は、転生者だ。この世界の令嬢には握手をする文化がない。
「これって嵐の前の静けさかな……」
なんとなく、波乱を感じながら、もしかしてぼっち初の友だちが出来たのかも、と浮かれずにはいられないわたしなのだった。
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