第25.5話 第一王子は文化祭で思いを募らせる

 文化祭という催し物があることは知ってはいたが、そこまで積極的に参加していなかったのは本当だ。俺とニナの兄たちは年が違うから、彼女が父兄参観の日に学院に来ることもなかったし、興味がなかったと言ってしまえばそれまでだ。


「今日はずいぶんご機嫌ですね、リオネル殿下」


「そうか?」


 鼻歌でも歌いだしそうな俺にイェレミアスが楽しそうに声をかけてきた。そういえば何か最近、イェレミアスもずーっとご機嫌なんだよなー。


「お前の方こそ、何かいいことでもあったのか?」


「え? 何でですか? この前侍女にも聞かれたんですけど」


「ずっとにやついてる、顔が」


 侍女や俺のように、しばらくこの男の顔を見ることがなければ気付かない程度の差異だった。イェレミアスは眉間に皺を寄せているが、口元が緩んでいる。よっぽどいいことがあったんだろうな。


「……教えてくれてもいいのに」


 良いことは共有したい。こう思うのは悪いことではないと思う。


「王子にお話すると高確率でニナ嬢の話になるのでちょっと……」


「いいじゃないか! 最近は刺しゅうに嵌まっていて、前よりもうまくなったって言ってた!」


「隙あらばそうやって」


「語りたい! 言いたい! ニナが一番かわいい!」


「そういうところですよ!」


 結局遮られてしまって詳しくは聞けなかった。いつか聞き出してやる。俺だけが負けている感じがするのはちょっと面白くないからね。





 視察という名目で生徒だけしかいない文化祭の日程に学院に来て、いろいろと見て回るのは楽しい。父兄が来る日はそれだけでしがらみが増えるからぐったりする。一応、この国の第一王子として取り繕ってはいるんだ。ニナと居る時だけが癒しのひと時なのは間違いない。


「次はニナ嬢のところのクラスですね」


 ぼそぼそっと俺にだけ聞こえるようにアシルが耳打ちしてくれる。うむ。この護衛騎士筆頭。さすが出来る男だ。ブルゴー家のお茶会で、ふたりで会える機会を作ってくれたところからも分かるけれど、俺の希望を叶えつつ周りをうまく誤魔化してくれていると思う。

 やあやあ、と手を振りながら視線で探せば、ニナの姿が目に入った。コーカンニッキで二、三日に一度のやり取りを交わすようになってからは久しぶりな気がする。あれを俺に進めてくれた方には感謝をしてもしきれないな。

 ニナは髪を今日はおさげとも呼ばれるふたつ結びのゆるい三つ編みにしていて、紺色の首の詰まったワンピースが楚々とした印象を残す。白いエプロンも映えている。うん。かわいい。

 ニナがこちらに気付いて顔をあげる。目が合う。ああ、それだけでもう、天にも昇る気持ちだ。なんて胸の奥があたたかくなって、幸せな気持ちで満たされるのだろう。


「アシル、そろそろ少し休憩を取りたいんだが……ここのクラスとかどうだろうか?」


 こほん、とわざとらしく咳払いをしてそのクラスで休みたい旨を伝えると、彼は大仰に礼をしてそれを承諾した。


「ありがとう、アシル」


 丁寧に礼を言って、受付の令嬢にアシルが注文をしに向かった。


「紅茶とお菓子を二つずつ。よろしく頼む」


「は、はいっ!」


 受付の子のひっくり返った声がして、少しだけ笑ってしまう。まぁ王族がこんなところで休憩するとか考えられないよな。これは無礼講。そうだ。文化祭というお祭り騒ぎに便乗したちょっとした無礼講だ。

 支度を整えている彼女たちを見ていると、何か少しさわさわとしていて落ち着きがない。一人の令嬢がニナに近づいていって、何かを頼んでいる様子だった。彼女はちらりとこちらを見て、俺と目が合う。すこし、ほんの少しだけ、顔が赤くなった気がしたのは俺の都合のいい気のせいだろうか。

 そして、ニナが茶器とお菓子を一緒に運んできてくれた。どうやら、さっきのさわさわとしたさざめきは彼女に運んでもらうためのやり取りだったようだ。ご令嬢、いい仕事をした。褒めて遣わす。


「お待たせしました」


 彼女の手が震えている。まぁ、こんな風に紅茶を配膳するということはご令嬢では体験することのないことだろう。俺だってやれと言われたらこうなる。


「給仕の子たちはみんなお揃いの服を着ているんだな」


「そうですね。この日のために揃いの衣装を着ることにしました」


 とても似合っている。本当は今すぐ立ち上がってむぎゅーっと抱きしめてしまいたいくらいかわいい。でも今ここでそれを言うことは出来ないので、今日のコーカンニッキでは絶対伝えようと心に決めた。


「ニナ」


 小さい声で、ニナの名前を呼ぶ。

 ざわざわとした雑踏の中では他の人間に気取られることもないとは思うが、極力気を遣う。彼女が嫌な思いをしないように。

 手招きをしてテーブルの上に彼女の手を置いてもらった。そっと、自分の手のひらを重ねる。思いのほか、彼女の手はひんやりとしていた。いや、これは俺が興奮しすぎて手のひらに熱がこもっているせいか。


「我が儘を言って連れてきてもらった。会えてよかった」


「……はい」


 小さな声で話す。手のひらから熱が伝わっていく。ほんの短いやりとりだけの交換日記も悪くはないのが、直接会えるこの時間は何にも代えがたい。


「今日はこの後、私のクラスは舞台劇をやるんだ。見に来てくれるかい?」


 恐る恐る聞いてみた。一応、クラスの催しにはちゃんと参加している。周りが気を遣ってくれるから、なかなか断れないのもあるが。


「はい。喜んで」


 にこ、とニナが笑う。いつもの笑顔でないのは残念だが、彼女なりに気を遣ってくれているのが分かる。ああ、本当はもっと自然にいっしょに居る時間がもっと欲しい。

 そっと指先を離す。これ以上触れていたら、自分を自制していられる自信はない。

 ぐい、と紅茶を飲み干すと、お皿の上に置いたお菓子をぱぱぱっとたいらげて、まるで何事もなかったかのように立ち上がった。ゆっくりとしていたアシルは俺の行動にちょっと驚いて同じように慌ててたいらげたがちょっとむせた。すまん。


「では。とても良い時間だった。ありがとう」


 名残は尽きない。本当にもっといっしょに居たい。

 王子らしく周りに笑顔を振りまいて、俺はニナの元から立ち去った。

 ああ、本当に、もっといっしょに居たかったな。

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