第23.5話番外 司書は文学少女系ヒロインに恋をする
何で急にそんなことを言いだしたのか自分でも理解できない。
第一印象はおそらくお互いに最悪だったように思う。三つ子の少女。同じはずなのに個性の違う三人の少女たちは、それぞれにぶつかるような個性をしていて興味深かった。ただし、私の聖域である図書室で大騒ぎをしたのはいただけなかったが。
その中の一人。カーリー・フローリー嬢は他のご令嬢方ともまた違っていた。
おとなしく控えめ。あまり話さなさい。だが本への愛情というか、知識への貪欲なまでの執着というべきか、それが並々ならぬものであることは私にもわかった。まるで私の合わせ鏡のようだとも。
閉鎖的な一族から解放されたくて人間の社会に来て数十年。それから今の地位を築いてようやっとここまで来た。彼女にミドルネームがないのは庶子だからだと聞いたことがある。私も似たようなものだ。人間と違う血を引いているから、受け入れてもらえない。
「今日はこの本を」
短い言葉のやり取りをしていた。めぐり合わせなのか、彼女が本を借りに来る日には私が司書の受付当番の日が多かった。
第一王子の側近として働いてはいても、本から離れる生活は考えられないのだと無理を言って王子がこの学院に通っている間は司書として働かせてもらっている。
白くて細い指先は、でもご令嬢らしからぬ生活感がにじんでいる。そういえば、彼女は姉妹といっしょにこの学院の寮に入っているのだったか。
「最近はこの
ぽろっとつい、心の中で思っていた言葉が口をついて出ていた。彼女は少しきょとんとして、それからいつもかけているメガネの奥のサファイアの瞳が優しく笑みの形を作った。胸が、どきん、と高鳴った気がした。
若造でもあるまいに。
「はい。今はこのゴーレムのことについて、いくらでも知識を得たいんです。妹の、頼みなので」
彼女はそう言って誇らしげに笑った。幼さも残るその顔立ちで、真っすぐ前を見て胸を張って。
ああ、眩しい。眩しいな。
きらきらと輝く何かが見えるかのようだ。
「貸出手続き、ありがとうございます。それでは」
本を抱えてぺこりとお辞儀をすると彼女は小走りで行ってしまった。遠くぱたんと扉が閉じるまで、私はずっと彼女の後姿を目で追っていた。
それから、司書の仕事がある日が楽しみになった。現金といえば現金だ。
彼女に会えると思うと、好きな本に触れられることはもちろんそれが倍増されて楽しみになった。
マルティーヌ嬢は例えるなら夜の闇だと思う。安寧を与える闇。その安らぎは心地よい。反してカーリー嬢は例えるなら春の日差しの陽だまりだ。眩しくて暖かくてずっと見ていたいような。
まさか、この年になってこんなことを考えるようになるとは思ってもみなかった。
しかし、さらに不思議なことに、カーリー嬢が現れる日にはマルティーヌ嬢が現れることはなかった。鉢合わせになったりすれば気まずい気持ちになるのは私だけなのだが、本当に不思議なことにそんな機会は訪れないまま日々は過ぎた。
そしてカーリー嬢と話している途中で、マルティーヌ嬢が現れた時、私はなぜかカーリー嬢を優先した。それが何故かは分からない。ただ、以前から感じていたマルティーヌ嬢への思慕がいつの間にか薄れていたことに気付いた。
「ちょっと、驚きました」
学食のカフェテラスで本を横に置いて、柑橘の香りのする果実水を飲みながらカーリー嬢はそう呟く。
まぁ、私も驚いた。まさか学生をここに誘うことがあろうとはね。
「あそこでは私語は厳禁だからね」
あくまで冷静を装って答える。まさか、もっと彼女と話したいから場所を移したなんて、そんなの言えるわけがないだろう。
「それで、ゴーレムの記述について、知りたいことはあるかい?」
「あ! そう、そうですね。えっと、この文献のこの箇所なんですけど、私には難解で教えていただけたらと思って――」
持っている本を私に向けて開いて見せてくれる。いっしょに覗き込むと前髪が少し触れあった。
ばっと彼女は離れて、ごめんなさい、と小さな声で謝る。
「いや、私もいけなかった。君が謝る必要はない」
「……でも、はしたない、ですよね」
ぼそぼそ、と聞こえるか聞こえないかの声で前髪を両手で押さえながら彼女は言う。あんまりそんなに可愛い仕草をしないでほしい。意地悪をしたくなってしまうじゃないか。
「……私の前でだけならいいよ」
またもうっかり心の声が出てしまった。彼女の顔が、ぼんっと音を立てて真っ赤になった。ああ、可愛いね。
「今のは内緒だ」
笑いながら人差し指を自分の口元に持っていって、しーっと言った。彼女はこくこくと頷いている。顔は赤いままだ。
何でだろう。つい最近まで、何か心の中にあった
それから彼女は気を取りなおして、先生に教えを乞う生徒のように私に様々な質問をぶつけてきた。私は知っている限りのことを答え、分からないことに対してはそれに対する答えが載っていそうな文献の名前をあげ、彼女は熱心にノートを取っていた。
なんと有意義な時間だったろうか。
気付けばカフェテラスは終了の時間が間際に迫るような時間になっており、職員に声をかけられたので仕方なしにこの楽しい時間を終わりにすることにした。
「今日はありがとうございました!」
本とノートを抱きかかえるカーリー嬢は、本当に嬉しそうにしているので私の心はとてもとても満たされた。ああ、そうだ。ずっと何だか、飢えているのに何も口に入れることが許されないような気持ちだったんだと気付いた。
「ああ」
「あの、また、お話聞かせていただいても、いいですか?」
恐る恐るという顔で問うてくるその表情に、私はにっこりと微笑んでみせる。
「もちろん。時間の許す限りになってしまうから、また時間がある時は私から声をかけよう」
「ありがとうございます! あの、次も楽しみにしてますね」
彼女は不安そうな表情を一変させて、嬉しそうに笑った。あたたかい春の陽だまり。こんな表情は他の誰にも見せていないのだと思うと、ちょっとした優越感もある。何より、私の胸の中がこんなにもあたたかいもので満たされる日が来るとは考えてもみなかった。
カフェテラスから出て寮と図書室への分岐路に差し掛かった時はさみしい気持ちにもなったものだ。
だが、お互いに離れる時に、また会う約束をしたことを思い出した。
ただそれだけが、とても幸せな時間だったのだ。
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