探偵は犯人とカフェに行く
あくる日の午後、龍二がカフェ内の間仕切りされたワーキングスペースへと入ると、既に竜太郎が席に着いていた。ここは、静岡市内のとあるカフェ併設型の温浴施設。市街地の中心にある駿府城公園横の県警本部からは、車で5分ほどの場所だ。サウナ完備の大浴場に加え、たっぷりの蔵書を持つ、おしゃれで、ゆったりとくつろげるカフェスペースが、男性署員はもちろん、女性署員にも人気がある。龍二に促され、入浴を済ませてきた小弓が先に席に着いた。
「義父さん、お待たせしました。吉良小弓さんです」
「初めまして。県警のお手伝いをしております、
「初めまして。吉良です」
挨拶を終え席に着く。ひと風呂浴びてきた後だけあって、小弓は輝くような肌をしている。フィンランドには「女性が一番美しいのはサウナから出た後の1時間」という
「さて、ご報告を。
「そうですか。良かった。早く会いたいです」
小弓は心底ホッとした様子で息を吐いた。
「ただ――」
「ただ?」
「背中や腕に、以前に殴打されたと思われる古い
小弓の顔色がさっと蒼ざめた。竜太郎は何食わぬ顔で話を続ける。
「以前に虐待があったのでしょうね。でも、今は心配ありません。さて、事件のお話をしましょう。今回の事件、小弓さんと新浜さんのお2人が『自分が犯人だ』と名乗り出ました。おそらくは、誰かが誰かを庇っている、もしくは、誰かが誰かと協力をして嘘をついている。私は、そう考えています」
「夫を刺したのは私です! 信じて下さい! 嘘をついているのは新浜先生です!」
「ええ、私もそう思います」
竜太郎があっさり同意したので、小弓は拍子抜けしたようだった。新浜の証言は、現場の状態と齟齬が見受けられ、行動も不自然だった。竜太郎も嘘だと判断しているのだろう。
「怖かったでしょうね。夫に暴力を振るわれて、締め出されて」
「え……ええ。たった一人で取り残されたような気分でした」
「たった一人。そうなのです。ドアの外には小弓さん1人。ということは家の中には吉良さんと希美ちゃんの2人きり。小弓さん、心配じゃありませんでしたか」
「え?」
竜太郎はじっと小弓を見つめる。小弓は質問の意図を計りかねているのか、当惑した様子で黙っている。
「以前に虐待があったとすれば、同じことが起こる可能性がある。吉良さんが希美ちゃんに暴力をふるう可能性が。気が気じゃなかったのではないですか」
「は……はい。それはもう心配しました」
小弓はハッとした様子で慌てて答えた。
「そうでしょうか。それにしては、割とのんびりされていたのではないですか。公園でひとり過ごした後で、自首されたようで。その時も、すぐにでも部屋へ行って希美ちゃんを保護するよう求めてはいませんでしたよね」
「そ……それは、怖くて気が回らないというか、その、ショック状態というか……」
「なるほど。そういう場合もありますね。でも、本当は違ったのではないですか。あなたはわかっていたのではないですか。吉良さんは希美ちゃんに手を上げない。だから、心配する必要など無い、と」
竜太郎が指摘すると、小弓は明らかに動揺した。
「私が一番引っ掛かっていたのはそこでした。虐待が絡んでいるにしては、関係者がその事に対して無頓着すぎる。では、虐待は無かったのかというと、ご近所の方はDVや虐待を疑う通報を行っている。そして何より、希美ちゃんの身体には痕跡は残っていました」
「だから、それは主人が! 診断書だって提出しました」
「その通り。吉良さんが小弓さんに虐待を行ったとされる写真に診断書のコピーが警察にも保管されています。希美ちゃんではなく。でもね、小弓さん、あなたの写真に診断書にしても、あれは嘘ですね」
「嘘だなんて! 写真に診断書には主人も暴行を認める覚書をしています!」
「そう。そこです」
竜太郎は人差し指を立てて軽く振った。
「今回の一連の事件、誰かが小弓さんを庇っている様子が明らかでした。なにか事が起きるたびに、小弓さんは悪くない、むしろ被害者だという『説明』が入る。それを行ったのは誰か。ひとりは新浜さん。そしてあなたを庇っている人物はもう一人いる。それは、――刺された吉良さん自身ですね。今回の事件、庇われているのは小弓さん、あなただ。そして、協力してあなたを庇っていたのは、新浜さんと吉良さんだったのです。そう考えると、全て辻褄が合います」
小弓は黙ったまま、両の手をきつく握りしめて竜太郎を睨んでいる。なまじ目鼻立ちが整っているため、その姿は凄味がある。
「写真に診断書は、小弓さんが被害者であることを『説明』するために用意された偽物の証拠でした。打撲痕の写真。これはメイクの得意な人物であれば、偽装が可能です。希美ちゃんの傷を隠したのとは逆の要領で、傷を演出して写真に収めればいいのです。それに加害者の覚書と医者の診断書まであれば、DVで受けた傷だと思ってしまう。ちょうどサウナであまみを知らない人が、怪我や火傷と勘違いしてしまうようにね。関係者中でそんな精巧なメイクができるのは、小弓さん、アイドル時代からメイクが得意だったあなただけだ」
竜太郎は小弓の視線を真っ向から受け止め、さらに続ける。
「では、何のために偽装したのか。それは、騒ぎにまでなってしまったDV騒動からあなたを守るためです。DVは偽装ではなく、実際に起きていた。そして、その加害者側は誰だったのか。それは……小弓さん、あなたです。あなたが吉良さんに暴力をふるい、希美ちゃんに手を上げていた。吉良さんは通報までされてしまったDVを無かったことにするのは無理だと考え、新浜さんと協力し、自らが泥を被る形で予防線を張ったのです」
小弓は黙ったまま竜太郎を睨みつけている。
「それを踏まえてみると、今回の事件の風景がガラッと変わります。昨日の朝、なんらかの原因で、貴女が吉良さんに暴力をふるい始めた。吉良さんは耐えていたが、希美ちゃんに危害が加えられそうだと知って、抵抗したのでしょう。激怒したあなたは吉良さんを刺し、吉良さんは貴女を部屋から追い出して鍵をかけた。希美ちゃんと貴女を守るためにね」
「私を守る……? 違う!」
それまで黙っていた小弓が、突然テーブルを両手で強く叩く。そして、立ち上がって叫んだ。
「違う! あいつは……、あいつらは、希美を私から取り上げようとしたのよ! 私の事を何も分かっていないくせに分かったような顔をして! 上辺だけニコニコして、裏で2人してコソコソと準備して。だから私は、先手を打って刺しただけ! 希美は誰にも渡さない。私のものだわ」
その叫びは、自らの殺意を持った犯行を認めるものだった。
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